その1「謎の文学コンプレックス」 (1/7)
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――いちばん古い読書の記憶を教えてください。
町屋:あまり子どもの頃から本をすごく読んでいたというタイプではなかったのですが、でも、母親がよく地域の公民館の図書室みたいなところに連れていってくれて、紙芝居を借りて読んでもらったことは憶えています。
――お母さんが紙芝居をしてくれたんですか。
町屋:そうです。長方形の箱に入ったものを1枚ずつめくっていってくれて。「桃太郎」的なものなど、昔話の定番が多かったと思います。
――今思うと、腕白な子でしたか、それともおうちの中で遊ぶのが好きな子でしたか。
町屋:基本的にはインドアですね。腕白さはゼロって感じで(笑)。家ではテレビを見るか、あと、家族がクロスワードパズルみたいなのをよくやっていたので、自分もやりました。あ、でもインドアと言いつつ、マンション住まいだったので、同じマンションの子とは近所で遊ぶことが結構ありました。友達を作るのが得意なほうではなかったのですが、マンションだと同じ年代の子が自然にまわりにいるので、マンションに助けられました(笑)。
――生まれは東京ですよね。
町屋:生まれてから2、3歳まで東京の浅草の、花やしきの近くで育ったらしいんですけれど、最初の記憶が埼玉に引っ越してきた日の記憶なので育ったのは埼玉という意識ですね。なので「東京生まれ詐欺」ですね(笑)。
――そうだったんですね(笑)。小学生の頃に読んだ本で憶えているものは。
町屋:小学生の時はさくらももこさんのエッセイが一番印象に残っていて、あとは、自分でもなぜなのか分からないんですけれど、子どもが病気で亡くなっちゃうとか、事故で亡くなっちゃうみたいなノンフィクションを探して読んでいたんですよね。
――探すというのは、どのように。
町屋:小学生の頃はずっと図書室に行っていたんですね。そこでタイトルに「白血病と戦った何々君の記録」みたいなものを見つけては読んでショックを受けていました。暗いなって思うんですけれど(笑)。
――なんでしょう、死に対して興味があったのでしょうか。
町屋:たぶん、あったと思います、今考えると。あとは、小学生か中学生だったかで、『路傍の石』や夏目漱石や太宰治にチャレンジして「本当に無理」って思って。小中学生時代はそんな感じです。『一握の砂』とか、格好いいタイトルの本に憧れては、「ちょっと意味が分からない」と言って挫折。だから、中学生や高校生の時に太宰に衝撃を受けたとか、三島由紀夫や寺山修司を読んで人生変わったと言うような方を見ると、「すごい」って憧れます。僕もそういう衝撃を受けてみたかったっていう。だから、幼少の頃から謎の文学コンプレックスみたいなものがありました。
――ご兄弟はいますか。文化的な影響は受けたのかなと思って。
町屋:6歳上の兄がいます。歳が離れているので、仲がいいとかそういうのではなく、もう本当に「いる」という感じでした。ただ、兄は漫画をたくさん所有していたので、思春期は兄から物語を教わった部分が大きかったと思います。最初はさくらももこさんとか「週刊少年ジャンプ」。「ジャンプ」は最盛期だったので毎週買って読んでいました、というか、買いに行かされて、でも先に読むと怒られました(笑)。『幽☆遊☆白書』や『ドラゴンボール』、『スラムダンク』あたりが好きでした。いまだに『幽☆遊☆白書』の富樫義博さんはすごく好きです。兄が年を取るにつれて、男子向けの恋愛漫画みたいなものが出現しはじめて、それを小学生で読むという状況で。
――男子向けの恋愛漫画......。『BOYS BE...』みたいな作品ですか?
町屋:まさにそういうものです。『BOYS BE...』とかになると子ども心にも、「なんかご都合主義だな......」とか思えてたんですけれど、それに近い漫画で安原いちるさんの『ANGEL♡BEAT(エンゼル・ビート)』という漫画がありまして、これは男の子も女の子も可愛く活き活きと描かれていてすごく好き。今でも安原さんは『ばりすき』という博多弁ラブコメマンガを描かれていて、好きで読んでいます。
――作文や読書感想文は好きでしたか。
町屋:結構好きでした。子どもの頃から人の顔色をうかがいがちで、「何を書けば大人は喜ぶのか」というのが分かっていたんです。だから割とスラスラと書けたんですよね。いやらしい子どもでした(笑)。自分は中学校受験をして全部落ちたんですけれど、国語は得意でした。ああいう中学受験の国語とかって、解き方の傾向を塾で教わりますし。