作家の読書道 第214回:凪良ゆうさん
引き離された男女のその後の時間を丁寧に描く『流浪の月』が大評判の凪良ゆうさん。もともとボーイズラブ小説で人気を博し、『神さまのビオトープ』で広い読者を獲得、新作『わたしの美しい庭』も好評と、いま一番勢いのある彼女ですが、幼い頃は漫画家志望だったのだとか。好きだった作品は、そして小説を書くようになった経緯とは。率直に語ってくださっています。
その3「執筆を再開するまで」 (3/7)
――順序は踏んで、二次創作で漫画を描き続けて......。
凪良:でもそのあと音楽のほうにハマってしまったんです。バンドがやりたいけれど、住んでいるところが滋賀のド田舎だったんですよ。だから京都の子と友達になったりして。その頃は漫画を描くのはやめていたし、読むほうも漫画よりも音楽雑誌ばかりでした。結局京都に移り住みましたし。
――音楽雑誌はどのあたりを?
凪良:バンドブーム全盛期と言われている時代で、おたく気質なので、ほとんど全部の雑誌を買っていたような気がします。好きなアーティストの記事は全部、舐めるように読んでいました。
――どんなバンドが好きだったのですか。
凪良:若かったので、ビジュアル系とか。なんか読書道の話になっていないですよね、すみません(笑)。改めてこうやって訊いていただくと、自分は駄目だったんだなって思います......。作家さんを目指している方って、根っこに小説の読書があるじゃないですか。そういう方と自分は全然違うと思っているので、それはすごくコンプレックスです。
――いやいや、小さい頃から読書家の方もいれば、昔は全然本を読んでいなかったという方もいますし、みなさん本当にそれぞれです。では、京都で暮らし始めてからというと...。
凪良:それが10代の終わりくらいからですが、そこから本当に、プラプラ生きていたので、その後も特に小説を読み込むとか、また漫画に戻るとかいうこともまったくなく、読書は10年くらい本当に空白期間があって...。
――ではその空白期間を経て、その後読書を再開したということでしょうか。
凪良:結婚して、その後からですね。全然身にならない読書というのに2年くらい費やしたと思います。暇で暇でしょうがなくて、すぐ近くに図書館があったので、とりあえず目につく本を借りて読んでいました。ほとんど小説しか置いてなかったので読んだのも小説なんですけれども、めちゃくちゃ量を読んだのに、今思い返すとなにも記憶に残ってないんですよ。振り返って「私、なんのために本を読んだのかな」って思うくらい。いちばん本を読んだのがその2年間なのに、不思議です。
そういうなかである日インターネットを見ていたら、「銀英伝」の記事があったんですよ。「あ、昔好きだった」と思ってなんとなくその記事を読んでいるうちに「銀英伝」熱が甦ってきて、小説をもう1回買い直して読んでいたら、また描きたくなっちゃったんですよ。でも、もうその時には10年以上ブランクがあるので漫画は描けなくなっていたんです。ペンも使えなくなっていたし。でも何か作りたいなって思って、「じゃあ、小説書こう」って、気軽に思って(笑)。
――へええ。そうだったんですね!
凪良:そうなんです。だから、小説を書いたのは二次創作が始まりだったんです。あまりに楽しくてどんどん書いていたんですけれど、誰にも見せたりはしなくて。でも毎日毎日ずーっと書いていたら、「そんなに書くんだったら、投稿してプロになればいいのに」って言われたんです。そう言われて、「そういえば私、昔漫画を投稿していたな」って。でも、投稿したりプロになるのは漫画でしか考えたことがなくて。今書いているものは(原作がある中での)借り物の世界での遊びだと思っていたのにそういうふうに勧められて、「そうか、そういう道もあるんだ」って気が付いたんですよ。そこからオリジナルを書くようになりました。昔漫画で投稿していたので、そのあたりのハードルが低かったんだと思います。
――それでBLの賞に応募したのですか。
凪良:はい。昔読んでいた「花とゆめ」と同じ白泉社から、もう廃刊になっちゃったんですけれど「小説花丸」という雑誌があって、それがボーイズラブ専門誌だったんですよ。やっぱり昔すごく好きで読んでいた雑誌と姉妹っぽいタイトルということで馴染みやすかったんでしょうね。
――投稿されてすぐ入選されたんですか。
凪良:3回目に入選して、そこで担当さんがついたので、まず雑誌掲載を目標に指導してもらうようになりました。オリジナルを書いたのが投稿した3本だけだったので、教えてもらいながらじゃないと何もできなかったですね。