その1「アニメがきっかけで本を読む」 (1/7)
――小さい頃、本をよく読む子どもでしたか。
相沢:うーん。あまり読まなかったですね。両親も姉も全然読書しないので、家に本がなくて。なので、最初に読んだ本として憶えているのは、小学生の時に読んだライトノベルの『スレイヤーズ』です。アニメを見て、その後で原作の存在を知って読むようになりました。それがライトノベルの入り口になり、それから富士見ファンタジア文庫のライトノベルを読むようになりました。秋田禎信さんの『魔術士オーフェン』のシリーズとか、「ソード・ワールド・ノベル」という、「ソード・ワールド」の世界観を使ったシェアード・ワールドのシリーズがいろいろあって。ほかに『ロードス島戦記』なども読みました。読む本はファンタジー小説が多かったです。
――アニメで興味を持ったので活字で読んでみたら、活字の世界も面白かった、と。
相沢:そうだと思います。僕、小学生の時の記憶が全然ないんですけれど(笑)。記憶を操作されたのかっていうくらい憶えていないんですよ。
――そうなんですか(笑)。お姉さんとはいくつ離れているのですか。文化的なことで何か共有したこととかなかったのでしょうか。
相沢:姉は9つ上で、いつも帰りが遅かったし、話題の接点がなくて。僕が20歳過ぎるくらいまで、ほとんど会話がなかったです。
――ご出身は埼玉県ですよね。小学生の頃、放課後どんなふうに過ごしていたかの記憶はありますか。
相沢:大宮のあたりで育ちました。小学校高学年くらいかな、『スレイヤーズ』とか「ソード・ワールド』が載っていた「ドラゴンマガジン」という雑誌がありまして、そこに情報が載っていたテーブルトークRPGなどのアナログゲームに興味がわいて、書店に行ったり。どこの書店だったかな......。
――大宮近辺ですか?
相沢:いや、御茶ノ水とか水道橋のアナログゲームが置いてある書店まで行きました。まだ日本語に翻訳されていなかった「マジック:ザ・ギャザリング」というトレーディングカードゲームの存在を知って、買いに行ったりして。英語もよく分からないのに「このカード格好いい、すごく欲しい」となるパッケージングだったんです。それで、日本語版が出る前にいちはやくそのゲームを地元の友達に教えて流行らせました。5、6年するとそれが「遊戯王」にとって代わられるという。
――先取りしてたんですね。しかも流行らせたという。
相沢:そんなふうにゲームや、いろんな趣味を持っていたので、本ばかり読んでいたわけでもなかったんです。ただ、読書の入り口がライトノベルで、中学生、高校生とずっとライトノベルを読み、なかでも一番すごい衝撃を受けたのは電撃文庫の『ブギーポップは笑わない』でした。
――上遠野浩平さんの。
相沢:はい、上遠野さんです。僕はそれまで読書というのはエンターテインメントとしてとらえていた部分があって。「スレイヤーズ」や「魔術士オーフェン」にもシリアスな側面はありますけれど、結構コミカルというか、笑って楽しめる側面が強かったものですから、楽しい時間を過ごすのが最初の読書体験で、本を読むことはそういう娯楽だという感覚が当時の僕にはあったと思うんです。でも『ブギーポップは笑わない』は違った。衝撃的だったのは、そこに自分たちのことが書いてあるというか。当時の高校生の、周囲ともうまくいかないし、社会ともうまくいかないし、学校でもうまくいかないしという一種の閉塞感をずっとモヤモヤ抱えている、そういう感情が書いてあって、そこに自分を見つけたというか。「あ、すごい。俺のことが書いてある」というような感動があったんだと思うんです。
で、すごく感動して、衝撃を受けて、そういうものに出会うとやはり子供だったので「自分もそうしたい」って思うわけですよ。
――といいますのは。
相沢:「小説ってすごいんだ、じゃあ、僕もこういうことをしてみたいぞ」みたいな。僕も誰かに「自分のことが書いてある」って思ってもらえるような、感情を揺さぶるようなすごい話というのを作りたいなと言う気持ちになりました。つまり、その一冊との出会いで、「小説家になりたい」って思ったんです。
それと同じタイミングで、「小説をいろいろ読んでみよう」と思って、読み始めたんだと思います。