作家の読書道 第216回:青山七恵さん
大学在学中に書いて応募した『窓の灯』で文藝賞を受賞してデビュー、その2年後には『ひとり日和』で芥川賞を受賞。その後「かけら」で川端康成賞を受賞し、短篇から長篇までさまざまな作品を発表している青山七恵さん。衝撃を受けた作品、好きな作家について丁寧に語ってくださいました。
その3「本に関する第二の衝撃」 (3/9)
――作文は好きでしたか。
青山:好きでも嫌いでもなかったような気がします。コンクールに入賞したことが1回だけありましたけれど、得意と思ったことはないですね。
――その頃、ご自身で物語を想像したり書いたりはしていましたか。
青山:そうですね。小学校からの帰り道は、本を読んでいるか空想しているかのどちらかでした。その頃からうすぼんやりと、大人になったら子ども向けの本を書く人になりたいと思っていました。
――頭の中でどんな物語を繰り広げていたのですか。
青山:変身できるとしたら誰になって何をするかとか、何かひとつ特殊能力を授けられるとしたらどの力を選ぶかとか、クラスの女の子ひとりひとりにドレスをデザインするとしたら誰にどんなドレスを着せるかとか。物語にもならない空想です(笑)。
――中学生になってから読書生活は変わりましたか。
青山:中学校の図書館で、吉本ばななさんの『アムリタ』を読んだとき、「そして、トンキーもしんだ」と同じくらいの衝撃を受けました。「トンキー」のときは、先生の感情を目の当たりにした驚きだったんですが、『アムリタ』のときは、小説というものを目の当たりにした驚きだったと思います。これはいままで自分が読んでいたものとは何か違う、小説って、もしかしてこういうもののことをいうのかな、って思ったんですね。
『アムリタ』では、誰も魔法を使わないし、木も虫も喋らないし、アルファベット順に人が死んだりもしません。そのかわりに、主人公の女性が頭を打って記憶をなくしたり、弟が急に超能力に目覚めたり、死んだ妹の恋人と仲良くなったりする。実際にはいろんなことは起こってはいるんですが、それまで読んでいたものと比べると、この本では何も起こっていないように見えて、愕然としちゃったんです。でも、直感的に、これはこれまで好きで読んでいた別世界の話じゃない、これは自分にも何か関係のある話だ、というふうに思いました。そして読み進めていくうち、こういうものこそが「小説」と呼ばれるものなんじゃないかと感じ始めて、なんだか、「あれれっ」と思っちゃったんですよね。
――「思っちゃった」という言い方だと、なにか違和感みたいなものがあったのかなと思えますが......。
青山:違和感というか、なんていうんでしょう。お話を書く人になりたいとこっそり願いつづけていたくせに、自分には何も見えていなかったんだなという驚きと呆れです。たとえばいま、私がここに立っているとするじゃないですか(と、会議室の大きなテーブルの一角を指す)。それでずっとあっち(テーブルの外側)の壁紙の色なんかを見ていろいろ夢想を膨らませていたけれど、ふと振り返ってみたら、実は自分がこんなに広大なテーブルの上に立っていたと気づいた、みたいな。
それまで好んで読んでいたのは、自分とは関係のない、日常からできるだけ離れた世界を描いた物語でした。でも、物語の世界って、それよりもっともっと広いんだと気づいたんです。『アムリタ』のなかでは、多少特殊なことは起こってはいますが、基本的にご飯を食べたり、おやつを食べたり、ダイエットをしたり、音楽を聴いたりとか、そういう日々の営みが丁寧に描かれています。ただ生きている、ということを書くことで一つの作品世界が成り立っている、そのことに心底びっくりしたんです。こういう世界をもっと知りたいと思って、それから吉本さんの他の作品を読み始めました。
――前にインタビューで青山さんが「日常は冒険だと思う」というようなことをおっしゃっていましたが、その原点を今知った気がします。
青山:そうですね。実際自分が経験を重ねて、それをはっきり実感するようになったのはもっと後のことですが、『アムリタ』の影響は大きかったと思います。
――吉本ばななさんの作品は『アムリタ』以外に何がお好きでしたか。
青山:『TUGUMI』、『哀しい予感』、『キッチン』、短篇集の『とかげ』などです。私自身、作家として、居候や、おばと姪、血縁のない人たちがひとつ屋根の下に暮らすというモチーフを好んで描いてしまうのですが、それもやはり最初の"小説体験"が吉本さんの作品だったからだと思います。