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第39回:辻内 智貴さん (つじうち・ともき)

辻内 智貴さん

一人の世捨て人のような青年の、奇蹟的な行動を描いて感動を呼ぶ『セイジ』をはじめ、社会の片隅で生きている人々に優しい眼差しを投げかけている辻内智貴さん。元シンガーでもあり、“決して読書家ではなかった”という彼に、小説を書こうと思わせた作品とは? そして、何度も繰り返し呼んでいる小説とは? 普段の生活、今後の展望も含めて、あますことなく語っていただきました。

(プロフィール)
1956年福岡県生まれ。デザイン学校在籍中に、音楽を始め、78年にビクターレコードからソロシンガーとしてデビュー。後、ビクターを離れライブハウスなどでバンド活動を続ける。99年、「セイジ」が第15回太宰治賞最終候補作に選ばれる。2000年、「多輝子ちゃん」で第16回太宰治賞受賞。のびやかな文体と作家的資質に対して高い評価をえた。2001年5月、「多輝子ちゃん」と書下し作品「青空のルーレット」を収録した『青空のルーレット』(筑摩書房)を刊行。その後、『いつでも夢を』『ラストシネマ』(光文社)、『信さん』(小学館)を発表している。

【本のお話、はじまりはじまり】

辻内 智貴(以下辻内) : 最初に言っておきますけれど、僕、そんなに本を読んでいないんですよ。

――そうなんですか。じゃあ、小さい頃はどんな子供だったんですか。

辻内 : 活発でしたね。福岡で育ったんですが、5つ上の兄貴がいて、そいつがケモノみたいな奴なんですが(笑)、よく一緒に遊んでくれて。だから本は読んでいませんでした。まあ、家にイソップ物語なんかはあったので、それは読みましたけれど。

――はじめてちゃんと読書をしたっていう体験は、覚えていますか?


点と線 −改版−
『点と線 −改版−』
松本清張 (著)
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辻内 : 高校生の時に読んだ松本清張の『点と線』です。親が清張が好きで家にあったんです。これはすごく面白いと思いましたね。まあ、だからといって読書好きにはならなかったんですが、その後清張さんの本は読むようになりました。

――そこまで清張に惹かれた理由はどこにあると思いますか?

辻内 : 後付けの理由になりますが、殺すなら殺すで、もう殺すしかしょうがないような状況がちゃんとあるんですよね。こういう状況に陥ったら、オレでも殺してしまうかもしれない、という。僕は推理小説の定義も知らないし、トリック全盛の時代もそれにハマることはなかったんですが、とにかく、清張さんの作品にはリアリティがあった。まあ、それ以降、高校時代に推理小説はポツポツと読みました。海外ものが多かったですね。

――どんな作品を読んだか覚えてます?

辻内 : いや、図書館で適当に見つけては借りて読んでいたので、作者も作品名も覚えていないですね。で、そこから読書にハマッたかというと、そうではなくて、その後ブランクがあって、30歳を過ぎた頃からまたポツポツと読み始めた感じです。

――じゃあ、一人の作家をずっと読みつづけているということはない…?

ザ・スタンド 1
『ザ・スタンド 1』
スティーブン・キング (著)
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アトランティスのこころ(上)
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スティーブン・キング (著)
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辻内 : いや、推理小説とはまた違いますが、スティーヴン・キングだけは、全部読んでいます。

――彼の作品はどこか違ったのでしょう。

辻内 : 詩。ポエジーがある。訳文で読んでいても、それを感じるので、原文もそうなんだと思うんですが。ストーリー展開というよりも、文章が好きですね。他の作品でも、小説ということで言えば、もちろんストーリーも大事だし書かれている内容も大事ですが、僕は文章を読むこと自体が快感なんです。だから、文章がダメな作品はダメ。10ページぐらい読んだらもう、閉じちゃいますね。

――キングで好きな作品は何ですか。

辻内 : 最近読んだ『ザ・スタンド』はめちゃくちゃ長い話ですが、文章が好きですね。ちょうど今は『アトランティスのこころ』を読んでいます。僕は図書館で借りるので、本棚にある本から借りていくので、決して刊行された順を追って読んではいないんです。

【音楽をやっていた頃】

――辻内さんは元シンガーですよね。その頃は本は読まなかったんですか。

辻内 : 考えてみると、ほとんど読まなかったですね。10代で福岡で活動をはじめて、東京に出てきて、ずっと…。本を読んでる場合じゃなかった。

――詞を自分でお書きになっていましたが、ボキャブラリーはどう補充していたんでしょう。

辻内 : :詞を書く時って、勢いなんです。意味不明でもいいんです(笑)。ただ、そういう意味では、自分はずっと言葉に触れてきてはいたんですね、今思うと。

――読んだとすれば、どんな本を?

堕落論
『堕落論』
坂口安吾 (著)
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桜の森の満開の下
『桜の森の満開の下』
坂口安吾 (著)
講談社
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坂の上の雲 1
『坂の上の雲 1』
司馬遼太郎 (著)
文藝春秋
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父の詫び状
『父の詫び状』
向田邦子 (著)
文藝春秋
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坊っちゃん
『坊っちゃん』
夏目漱石 (著)
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『三四郎』
夏目漱石 (著)
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辻内 : 20代の後半で、坂口安吾なんかを呼んでいましたね。でも、なんで手にとったのか分からない。気づいたら、手にとっていました。『堕落論』『桜の森の満開の下』…。僕は安吾は小説家としてはよく分からない。ただ、キャラクターとしてはすごく面白いと思うんです。彼は思想家なんじゃないかと思いますね。すごく論理的だし、洞察の組み立て方がすごいなと思う。

――さきほど、10ページ読んでやめてしまう本もあったとおしゃっていましたが、そうなるとなかなか自分に合う本を見つけるのは大変だったのでは。

辻内 : そうですね。だから気に入った本を繰り返し読むんです。司馬遼太郎さんとか、向田邦子さんとか。

――どれをお読みになったのですか?

辻内 : 30代で司馬さんの『坂の上の雲』を読んで、衝撃を受けましたね。文章もすごく素敵で。あれは3回読みました。

――確か全8巻ですよね。それを3回も!

辻内 : ディズニーランドに3回行くようなものですよ。楽しくって読むんですから。

――向田さんは何を?

辻内 : 知人に薦められてこれも30過ぎて読んだんです。だから僕は向田さんが亡くなってからのファンなんですよね。『父の詫び状』なんかを読んで、ああ、素敵だなと思って。ただ、僕としては、司馬さんも向田さんも好きですが、その源流にあるのは夏目漱石だと思います。

――漱石を読んだのはいつ?

辻内 : それも30代ですね。本て不思議ですね。さっきの安吾もそうですが、なんで読んだのか、そのきっかけはまったく思い出せない。ただ、漱石に関しては、一度彼の作品を読むと、他の作家がみんな彼の弟子のように思えてきて。僕もその一人ですよ。最初に読んだ『坊っちゃん』もすごく好きなんですが、どちらかというと『三四郎』が好きですね。とにかく、明治の頃にこういう文章があったんだってことに驚きました。『三四郎』の書き出しなんて、もう、たまらない。今の人が書いてもまったくおかしくない文章なんですよね。

【小説を書き始めた頃】

――辻内さんが小説を書き始めたのはいつ頃なんですか?

辻内 : 35、6歳で音楽に挫折して、何もすることがなくなって、ヒマになっちゃったんですよね(笑)。それで本もまたよく読むようになったし。それで、37、8歳くらいに、急に集中的に書き始めたんですよ。どこに持っていくあてもないのに、その時に、2年間で中編を十数本、短編を二十編くらい書きました。

――すごい!

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セイジ
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辻内 : で、そのあとはぱったり書かなくなって。今はその時の財産で食っているようなものなんです(笑)。あの頃の情熱が今もあればいいんですけれど、全然書いていなくって(笑)…。

――編集者泣かせですね(笑)。でもその当時、書き始めたのは、何か、きっかけはあったんでしょうか。

辻内 : 自分も何か書きたいな、と思ったのは、太宰。『雪の夜の話』という小編があって、それを読んだ時に、あ、何か書きたいな、と思った。きれいな話なんですよ。名作と謳われている大げさなものよりも、よほど感動しましたね。嵐の夜に難破して、大海の中流されて灯台に流れ着いてしがみついたら、灯台の窓の向こうで一家が夕食をとっていた。男はここで大声を出したら団欒を壊してしまう、そう思って何も言わず、次の波にさらわれていってしまう…。現実世界では大馬鹿な話ですけれど、でもそれって大事なことだと思う。この小さな話は、僕の中ではまったく、小さくないですね。

――辻内さんの作品には、人間にとって大切なものは何かを問い掛けてくるところがあるのは、そういう視点をもってらっしゃるからなんでしょうね。あと、今話題になっている『セイジ』のように、社会から忘れ去られたような人の姿を浮き彫りにする作品もありますが…。

辻内 : 負け組が好きなんでしょうね。僕も含めて、僕の周囲はみんな負け組ですから。音楽やろうといって東京で頑張って、うまくいかなくなって故郷に帰ったり…そういうフィールドで呼吸してきましたから。でも、『セイジ』なんかは、負けているけれどあれは勝っているんだと思う。それに、順風満帆で生きている人よりも、負けたことのある人間のほうが魅力的。負けた奴のほうがいかしていますよ。大病するといろんなことに気づくし、挫折した奴って優しいし…。

――『セイジ』もそういう気持ちから生まれたんですか?

辻内 : いろんなことが組み合わさっていますね。新潟県から自転車で南下して旅したことや、福岡にいた頃、峠道でドライブインをやっている知り合いがいたんだけれど、その後バイパスができちゃってその店がさびれてしまったり…。それに、ちょうどユーゴが内戦をやっていて、両腕を飛ばされた少女が野戦病院で途方にくれた顔をしているのを見て。あれはむごかった。あとは、自分自身の、やることのない閉塞した日々というのがあって。そうしたことがガチャガチャと重なってできたものです。

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『いつでも夢を』
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ラストシネマ
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【最近の生活&読書道】

――最近は、あまり書いてはいないんですか。メモをとったりとか。

辻内 : 書いていないし、メモもとっていません。書き留めなくても、残るものは残りますから。

――日々、何をして過ごしているのでしょう…(笑)。

辻内 : 自転車こいでます(笑)。まあ、何もしてないですよ。10年ぐらい前から感じているんですけれど、みなさん365日で1年、とか2年という言い方をしていますが、僕にはそういう節目がなく、長い1日を生きているような気がしているんです。眠くなったら寝るし、起きて元気だったら外に出る…。

――自由人ですね。

辻内 : みんなに怒られます、連絡とれないって。僕、携帯電話も持っていないので。ファクシミリもようやくこの間買ったばかりなんですよ、それまで黒電話でしたから。

――読書はどんな時に?

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白石一文 (著)
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辻内 : たいてい図書館にいってあるものを借りてきて、その日やることがなくなった、寝しなに読みますね。

――ウトウトするまで読む、という感じですか。

辻内 : いや、途中まで読んで、寝るなら寝るで、ちゃんと本を閉じて寝ます。お袋が、寝しなに読んでいて突然パタッと頭を下げて死んだように眠るタイプで。そういう人って多いんだろうけれど、羨ましいですね。

――じゃあ、夢中になって朝方まで読むということもあるんですね、きっと。

辻内 : 最近、出版社の方が僕と通底するものがあるんじゃないかといって白石一文さんの『一瞬の光』を送ってくれたんですが、あれは一気に読みましたね。読み終えたのが、朝の8時でした。どんな本でも、読んでいて赤面しちゃうことってあるんですけれど、白石さんの文章にはまったくそれがなくて、本当に立派な本だと思いました。

【今後の展望】

――今は何も書いていらっしゃらないということですが、充電期間のようなものなんでしょうか。

辻内 : 小説にしろ何にしろ、表現をするってことは、何かが"どうでもよくない"という衝動で表現するんだと思うんです。でも、ここのところ、自分は"どうでもいい"んですよね。

――そこからは、何か生まれるのでしょうか。

辻内 : 今考えているのは、例えば、今ここに、カップがあって、ミルクがあって、灰皿がありますよね。それらのことよりも、それらが載ったテーブルを書きたいんです。言葉を変えるなら、"生き死に"ってことですよね。

――すごく根源的なところですね。

辻内 : 毎日いろんなことをやっているわけだけれど、それは"生き死に"っていう土俵の上での出来事。僕が今興味があるのはそのへんのことですね。でもまだそれは、逆光から見ているようなもので、目がくらんでうまく見えない。僕は光源から見たいんです。ただ、光源からちゃんと見るには、まだ未熟なんですよね。

――でも、いつか、ぜひ書いてください。

辻内 : 自分でもまあ、ある種の信頼を自分においてあるのは、書ける時にはきっと書ける、ということなんです。

――楽しみにしています。

(2005年1月更新)

取材・文:瀧井朝世

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