WEB本の雑誌>【本のはなし】作家の読書道>第46回:古川日出男さん
パワフルなイマジネーションを駆使して、見たこともなかったような世界を見せてくれる作品や、キラキラと輝いた、とても愛情にあふれた作品など、新作を発表するたびに、違う顔を見せてくれる目下大注目の作家、古川日出男さん。その湧き出す独自の世界の源泉はどこに? 原点となる3人や、小説を書くきっかけになった作品について、あふれる言葉で語ってくださいました。
(プロフィール)1966年福島生まれ。早稲田大学第一文学部中退後、編集プロダクション勤務等を経て、98年『13』でデビュー。2002年『アラビアの夜の種族』で、第55回日本推理作家協会賞と第23回日本SF大賞をダブル受賞。他の著書に『沈黙』『アビシニアン』『中国行きのスロウ・ボートRMX』『サウンドトラック』『ボディ・アンド・ソウル』『gift』『ベルカ、吠えないのか?』がある。
――古川さんの作家としてのルーツをたどると、どんな本にいきあたるんでしょう。
古川日出男(以下古川) : 僕は演劇がスタートなんです。今書いているものに影響があるとしたら、それは戯曲。高校から演劇をやって、台本を書いていたんですが、その前の段階として、当然戯曲を相当数読みましたから。最近自分のルーツを考えてみたんですが、そうするとやっぱりシナリオに戻ってくる。
――もともと演劇に興味があったのですか?
古川 : たまたまなんです。
――たまたま?
古川 : 高校に入ったときに何か部活をやりたいと思ったんですが、表現系か一人でできるものだな、と思った。それで、美術や陸上や演劇というのを考えていて、部活の説明会に行ったら、最初に勧誘してきたのが演劇部だった。入ってみたら3年生数人、2年1人、1年1人。それで1年の秋には自分で演出を始めました。それで上演できるものを探して戯曲を徹底的に読みました。清水邦夫さんの『ぼくらが非情の大河をくだる時』の中のものなんて、ほとんど台詞を覚えている。自分の体にとりこまれてきたのって、この戯曲の言葉たちなんだなと感じます。
――覚えているというのがすごい。
古川 : ただ、自分や他の役者が喋った通りに覚えているので、今読み返してもそれを思い出してしまう。記憶を消して読みたいですね。
――清水さんの本は衝撃的でしたか。
古川 : もう、目次を見てぶっとびました。「鴉よ、おれたちは弾丸をこめる」「いとしいとしのぶーたれ乞食」「ぼくらは生れ変わった木の葉のように」…。カッコいいでしょ? 普通の田舎の文化で育った高校生が、こうした完全にビートニクの影響を受けた6、70年代のものに触れると、前の世代の初めてロックを聴いた男の子たちのように興奮してしまって(笑)。
――この戯曲集が、言葉に衝撃を受けたはじめての体験だったんですね。
古川 : それ以前では、小5で井上陽水を真剣に聴いていましたね。それ以来の衝撃だった。それで、当時はワープロやコピー機を生徒に使わせてはもらえなかったので、ガリ版刷り。みんなで一文字一文字写していったので、音でも手でもこれらの台詞は覚えていった。その体験はでかかった。今でも残っています。
――古川さんの原点ですね。
古川 : 原点は日本人では3人。清水邦夫、村上春樹、詩人の吉増剛造。
――村上氏の本をはじめて読んだのは?
古川 : 大学に入って普通に読み始めたんですが、そのときはそれなりに感動したけれど、流行の作家だし、ハマって好きになる、というところまではいかなかった。いろんなことを学ぶ師匠となったのは、20代の後半から。ある日図書館に行ってたまたま全集が並んでいるのが目に入ったんです。現代の作家の作品が、8冊くらい、同じ背表紙で並んでいて、なんだかそこだけポッカリと窓が開いて光がさしているみたいに見えて、思わず立ち止まって。読んでみたらすごく面白い。それで年代順に読み始めてみたら、読み終えた頃にはもう、自分が変わっていた。以来、この時代春樹さんは何をやっていたんだろう、とか、この作品を書くにはどうしたらいいんだろう、などと、小説を書く時に併走してもらうランナーになってもらっています。
――でも、古川さんの作品は、村上さんの作品とは、まったくテイストが違いますね。
古川 : その人がすでに名作を書いていたら、もう自分は書く必要がない。好きだから同じことを書くっていう人は、何か勘違いしていると思う。好きだからこそ、その人の領域はサンクチュアリとしてとっておいて、自分は自分なりにやりたいですね。
――その頃にはもう、小説を書き始めていたんですね。きっかけは?
古川 : 演劇で舞台の上だけでやるには、僕のイマジネーションが暴走しすぎて、制約が多く感じるようになっていて。そういうような時に、例えばマルケスの『百年の孤独』を読んでしまった。で、小説ならまるごと書ける、「演劇は制限あるから…」なんて言わず、小説を書けよって思った。今日はあえて古いバージョンの『百年の孤独』を持ってきましたが、これには家系図がついていないんですよ。わけわかんない、何が起こっているか分からない、誰がおじいちゃんで誰が孫が分からない混沌としたものを読んだほうが、面白いんですよ。僕はこの間『ベルカ、吠えないのか?』という本を書きましたが、最初犬の家系図をつけるかどうするか、という話になったんです。でも僕はつけないほうがいいと思って。それはマルケスに学んだこと。
――たしかに、犬たちがたくさん出てきますものね。
古川 : これ、二段組で文字でキチキチになっていて、ぱっと見た時こんなのを読んで面白いわけがないと思ったんだけど、読んでみたら面白い。僕、教科書に載っているような人嫌いだったんですよ。頭でっかちでつまらない気がして。でも、これはパワフルで猥雑で、その上神話的で、そんなものがノーベル賞までとっている。何が偉いとか、モラルとかがあるわけじゃなくて、ひとつの宇宙がまるごと作られて、それに世間がひれ伏す。反体制的でアヴァンギャルドでも、世界の秩序に攻撃できるってことで、これはすごいなって思った。
――それで小説家を志した?
古川 : ラテンアメリカ文学ではもう一人、ボルヘスがいます。高校生から一緒に演劇をやってきた友達がいたんですが、20歳くらいで方向性が変わって別々になって、そいつはそいつで劇団を作ってやっていた。それ以降はあまり交流がなかったんだけれど、そいつがある日葉書をよこして。「今ボルヘスを読んでいるんだけれど、日出男は読むといいと思う」って。その時は読まなかったんですが、そしたら23歳でそいつが事故で死んじゃったんです。葉書の言葉が遺言みたいに自分の中に残っていて、それで読んだ時、表面的には硬いんだけれど、奥にあるのはヘンテコで、そのヘンテコさの具合が自分の中にあるヘンテコな具合と似ていた。だからああ、なるほど、と思った。一瞬文学って高尚で、しかもラテンアメリカ文学なんてかけはなれたものだと思うけれど、まったく自分と一緒じゃないかと思った。それで、自分も本という形でつきつめられたら、やりたい、やるべきは演劇じゃなくて小説なんだなって。それが20代半ばです。
――ボルヘスで印象に残っている本は何ですか。
古川 : 翻訳者によって変わるんですよね。僕は集英社の全集などに入っている篠田一士さんの訳が好きで。他の人だと、難しすぎて分からない、という人もいますね。ボルヘスは意図的に衒学的に書いているけれど、翻訳ものなら分かりやすいもののほうが、すっと入れる。
――その後は、どんな作品を?
古川 : やっぱり古今東西の名作は読まなくて(笑)、次にいったのはサルマン・ラシュディの『真夜中の子供たち』やスティーヴ・エリクソンの『黒い時計の旅』。ラシュディは死刑宣告されたことでも有名ですが、インドやパキスタンに住んでイギリスに在留して英語で書いている。秩序ある世界の辺境にいて、とんでもない目でとんでもないことを書いている。エリクソンはアメリカの社会にいながら全然その味にそまらずズレまくっていて、ズレまくっている自分そのままでしか生きられないという不器用さをひとつの幻視する力に変えている人。
――またタイプが違いますね。
古川 : 僕は本質的に二人の中に共通しているものを見たんです。何かというと、自分と似てる、ということ。ボルヘスを読んだ時と同じ。『真夜中の子供たち』はポストコロニアル以降の世界の辺境から出ている文学みたいなところがあって、『黒い時計の旅』は世界の中心にいるはずなのに、世界の中心でどうも叫べなくって(笑)、はじっこで叫んでいる。柴田元幸さんの訳なんだけれど、柴田さんの選ぶものって主流じゃなくてヘンなものが多い。でもヘンなまま、日常のリアルとつながっている。だからみんなが読むんでしょうね。
――ご自身も、主流ではないと?
古川 : 子供の頃からどうも俺は社会からはみだしているな、と思っていました。だから不幸、ということでもなく、言っても伝わらないからいいや、という感じで。だから読むものもこうした作品になる。でもみんな期待しているんですよね。『アラビアの夜の種族』を出した時も、よく当然のように「澁澤龍彦を読みましたね」って言われたんだけど、全然読んでいないんですよ。こういうものを書く人はこういうものを読んできたはず、という先入観があるんでしょうね。でも僕は幼い頃文学なんて全然読んでいない。でも言葉は血となり肉となるものだから、台詞を一文字ずつ暗記した経験は、学校の課題図書を読んできた人と対抗できるくらいだと思うけれど。ただ、しまったな、と思いました。書いているのが幻想文学だからこういうものを読んできたんだろう、と言われるのは…。読んでいない、と言っても分かってもらえなくて。
――でも幻想文学以外にもいろいろ書かれてますよね。
古川 : 最近いろんなものを書いているから、ようやく分かってもらえるようになりました。
――ほかには、どんな作家を?
古川 : 英米文学みたいなものを読んでいたんですが、自分でいざ書き始めてみると、書くほどに小説法が必要な気がしてしまって。きれいな文章、小説っぽい文章ってあるでしょう。でも90年代のどこかで、吉増剛造さんを読んだら、ノックアウトされてしまった。清水邦夫さんの戯曲の台詞を読んだ時のようでしたね。それで、正しい日本語とか、先生に褒められる日本語なんて、ないって気づいた。自分の感じたことを書くためには、自分にしか書けない文章で書けばいいんだと、この詩人に教えられました。
――たしかに、古川さんは独自の世界を持っている。
古川 : 自分の中に当たり前のように異様なイメージがあるなら、異様に書けばいいんだ、と。で、『13』という小説を、時間はかかったけれど書いたんです。
――デビュー作ですね。
古川 : 普通の小説の文章でなくこの小説に必要な文章で生み出せばいいんだって、気づかせてくれたのが、吉増さん。古本でも手に入るものは手に入れていって、今30冊以上うちにあります。この『悪魔祓い』は、装丁もカッコいいのでもってきました。
――吉増さんの詩によって、小説の書き方を学んだわけですね。
古川 : 小説を書くためには、文体や固定されたシステムを作ればいいというものではなくて、ある物語に必要なのは、その物語用の言葉なんだと知りました。そういうことをもろもろの段階を踏んで分かったので、代表作を作って自分のスタイルを維持しようという気はなかったし、今でもない。
――作家になられてから、読書傾向は変わりましたか?
古川 : 細かくは変わったけれど、その時その時何を読んだかは覚えていないですね。普段は直感で選んでいます。1番いいのは気になったものを買っておいて、何年後かに読むこと。直感を二段階踏んでいるので、外れが少ない。
――最近読まれたのは…。
古川 : そう聞かれると思って、考えてきました(笑)。やっぱり村上春樹さんの『象の消滅』ですね。以前に何度も読んだことのある短編ばかりを集めた選集なんですけれど、ここでは収録されている順番が違う。例えば最初の「ねじまき鳥と火曜日の女たち」はオリジナルの短編集では、最後に収録されていたんです。だから、その余韻をもって読み終えた記憶がある。でもこれでは、最初に載っている。そうすると、これから物事が始まるものとして読むことができて、また新たな感動がありました。
――村上さんといえば、若手作家が村上作品をトリビュートして書いた「村上春樹RMX」のシリーズは、古川さんが発起人なんですよね。あのきっかけは?
古川 : ある日自宅で妻と二人でスパゲティ作っていて、イタリアンワインがうまいな、幸せだなと思っていて。なんでイタリアンワインを飲んだりするようになったんだろうと考えてみたら、村上さんがイタリアなどに滞在した時のことを書いた『遠い太鼓』を読んで、ワインっていいものかもしれない、と感じたからなんですよ。村上さんは、自分の生活を豊かにしてくれた。「肉体に還元されたものには、感謝を返さなくちゃいけない」という戯曲の言葉を思い出して、じゃあミュージシャンがカヴァーアルバムを作るように、人を集めてカヴァーを作ろう、と。それでメディアファクトリーの人に電話したら会議を通って、自分も村上さんに手紙を書いて許可を得て。突発的にやったことなんです。
――すごい行動力!
古川 : 思いついたことってやったほうがいいと思っているんで。自分の体からモノができていくのは紙の上の本って限定しないほうがいい。朗読したほうがいい場合はするし。言葉って体からできてくるから、じゃあ体を鍛えたらどんな文体になるのかと思って格闘技をはじめてみたり、内側考えたいと思って春からピラテスをはじめたり。
――肉体によって文章も変わりますか。
古川 : 変わりますよ。年とともに体も衰えるからそれを見つめて、その時々に合わせて自分の全身をコントロールできるようにしていたいですね。
――そういえば、古川さんは小説を書く時にすごく体力を消耗するから、いつもチョコレートでエネルギーを補いつつ、お書きになるんですよね。
古川 : それが内臓を壊して、チョコが食べられなくなったので、ウィダーインゼリー飲みながら書いています。書くと痩せますね。みんなそうみたい。真剣に書くと、2、3キロは痩せるって。
――普段の生活のリズムは決まっているのですか?
古川 : 書いている日だと、朝起きるのは6時半くらい。FMを聴きながら新聞や雑誌を見て、ご飯を食べてから30分から1時間ほど読書。自分が書いている本と共に走ってくれるペースメーカーみたいな本を読みます。といっても書いていることに似ているものではなくて、ただ、書いているものに対して何メートル先に行っているか、遅れているかによって、自分の書いているもののペースをつかむ。で、9時半か10時くらいから1、2時間書いて、いったん休憩して外に行って軽くご飯を食べたりする。その後3時間書き、夕飯を食べて、夜は映像や音楽といった文章でないところで自分の感情、感覚をアジャストする。で、寝て起きると調整ができているので、それをもう一回文章で調節して…という感じですね。
――自分で自分を調節するって、アスリートのよう。
古川 : 小説家って、アスリートですよ。それも村上さんに学んだことなんです。
――ちなみに、戯曲は自分でもお書きになったのですか。
古川 : 30本以上は書いていますね。ですから小説を出す前に相当物語は作っている。
――だからデビューした頃、新人ばなれしている、なんて言われたのかも。
古川 : 新人といっても、俺、ずっと書いてきたんだよな、と思いました。
――脚本はとってあるんですか。
古川 : 捨てました。残しておくと、先に進めない。小説書けるようになってひとつ段階があがって、もう一段階あがるためには、過去の執着を捨てないと。僕は家の中に賞状を飾る価値観って嫌いなんです。もっと新しいすごいものを作ろうという時、過去は抹消しないと。それで引っ越す時に全部捨てた。ちょっと切なかったですね。でも捨てた分、次にもっと面白いものを書きたいから。
――もったいない気もしますが、そうおっしゃるなら仕方ない…。でも本当に、毎回違うテイストのものを出されていて、次はどんなものが出るんだろう、と楽しみになります。
古川 : 僕の小説は怒っている、と言われたりします。でも愛している部分もある。だから、大きく分ければ、何かを愛するための文章と、何かを憎んで攻撃するための文章があって、それらは全然違う。次に出すのは愛しているほう。タイトルも『LOVE』ですから。今の東京を舞台にした、群像劇です。
――でも古川さんの目を通すと、今の東京が、また違ったものに見えてくる。
古川 : 今回は巨大なスケールで書くのではなく、日常を生きている目線で、散歩している速度で目に入ってくる世界です。スタイリッシュに書くことを心がけました。自分のテクニックというところで、難しいことをシャープにやろうと思った。ゲラを読んで素敵な気分になれたから、『gift』なんかを読んでくれた人に届けたい。
――『gift』、大好きです。素晴らしい掌編集。
古川 : 『ベルカ、吠えないのか?』を出したら次はああいうものを出したい、というのはありました。あと、あれが犬の話ですよね。人間社会によりそって生きるもうひとつの動物は猫だな、と思って今回は猫が出てきます。だから青山霊園から目黒駅まで来たからすごい、というスケールなんです(笑)。
――古川さんも猫を飼ってらっしゃいますよね。
古川 : 実は『LOVE』を書いている間、一匹天に召されて。それもあって、そいつに捧げようと思ったんですが、そいつのための本というのもおかしいから、後書きに「手にとっているあなたたちに捧げるものです」と書きました。自分としては珍しいけれど。…今回もそうですが、人に読ませよう、でもあらゆる動物たちのためにも書こうと思いますね。『ベルカ〜』を読んだ人には犬好きになってもらいたいし、『サウンドトラック』を読んだらカラス排除政策に疑問を持つようになってもらいたい、などと思っています。
撮影 : 大川英恵 (2005年8月26日更新)
取材・文:瀧井朝世
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