第17回
<書店ではたらく人間が気をつけたい怪我など>
(1)表紙で指の腹を切る
とくに雑誌の表紙などで切ってしまう。表紙のカドよりむしろ上辺などですっぱり切ることが多い。アっと思った瞬間にはもはや遅く、咄嗟に指先を見やると一瞬の空白ののちに涌き出る血の玉。玉の血。微小なてんとう虫のようだ。こうなってしまうと絆創膏の助けを借りねば仕事にならない。絆創膏は書店員の必需品。マストアイテム。二日ほどすれば絆創膏をはずしても外界との接触による痛みは伴わなくなる。あとには約5ミリ~1センチほどの皮膚の裂け目が残るが、数日で完治する。
このケースで最も困るのはレジに入っているときである。接客時に罷り間違ってすぱっといこうものなら、痛いのと本に血をつけないように気を配るのと恥ずかしいのとで、非常に高度なリカバリーが要求されるか、あるいは私は指なぞ切っておりませんよと素知らぬ顔で対応するだけのアカデミー賞級演技力が求められる事態となる。そのため、接客時の笑顔の訓練のみならず、平素より素知らぬ顔のトレーニングが必要とされている。
(2)書籍の帯で爪の間に出血
本と本の隙間に手を挿し入れた際に爪と指本体のあいだにどちらかの本の帯が非常にまれな確率で侵入し、激しい痛みを覚えて咄嗟に反射的に手を引き抜く。しくしくする痛みに耐えながら指先を注視すると見る間に爪の内側に出血。個人的基準では書店ではたらくうえで最も嫌な痛みである。
通常、本を棚に出す際にわざわざ本と本のあいだにまで手を挿し入れることはないので、なぜそうした事態が出来するのか不思議ではあるが、よく考えてみるに、棚ざしの本はキツすぎてもユルすぎてもいけない、ちょうど片手が無理なく入るくらいの余裕が望ましい、という基本の教えを無意識に実践するべく手を挿し入れて確認しようとしているからではないだろうかと思われる。
(1)(2)を避けるため(あるいは本の陳列作業ではけっこう手が汚れるのでそれを避けるためもある)、手袋・軍手をして品出し作業をする書店員も存在するが、私の場合、手ざわりもその本の重要な一要素であると考えているため、素手で作業を行っている。ちょうど落合博満が素手の感触を大事にするため、バッティンググローブを使用せずバットを握っていたのと同じである。
また同じく爪絡みとして、私はかつて金庫を閉めるときに何の間違いか自分の親指の存在を忘れたまま勢いよく閉めてしまい、ちょうど親指の爪の真ん中あたりを扉にはさんでしまったことがある。このときの痛みたるや、そのまま約30メートル離れたトイレまで全速力で走ったほどである(何かを催したわけではなく、水で指を冷やすため)。幸いにして骨には異常がなかったものの、爪は真っ黒になりもとの状態に戻るまで数ヶ月を要した。しかし今となってはそれがどちらの手の親指であったか思い出せない。脳天気とはこのことであろうか。
(3)高く積んだ雑誌の平積みなどを持ち上げる際、中途半端に伸びた爪が割れる
やはり爪である。手入れがゆきとどいておれば問題ないのだが、中途半端に伸びた爪を有していると、この種の災難に襲われることがしばしばある。たいていの場合痛みなどはないが、爪の先のほうに罅が入ったり、ぱきっと割れて鬱陶しいうえ、なんだか得体の知れない敗北感に見舞われることもある。爪切りも常備しておけば書店員として完璧である。
とくに女性ファッション誌や情報誌には、高く積むうえに重い雑誌が多く、注意が必要である。「ゼクシィ」などは最強の刺客であるといっても言い過ぎではない。
(4)ぎっくり腰、もしくは腰の持病全般
腰の故障は、書店員の職業病として最もポピュラーなもののひとつである。重い雑誌や段ボール箱にいっぱいに詰まった書籍を抱えあげるようなとき、中途半端な体勢と心構えで臨むと、本を抱えるだけでなく腰に爆弾を抱える事態に陥ることもある。私は幸いにして腰痛を患う苦難を経験せず今日まで生きてきたが、我が友人にはこれに苦しむ者もおり、気の毒なことこの上ない。彼は娘を抱き上げるときにも支障があるようで、さらに気の毒。気の毒の上塗りである。
(5)落ちてきた本で怪我をする
判型の異常に大きな本などを、邪魔であるがどうしても置いておきたい場合、棚の最上段の端にさしたりするが、大きいがゆえにやたらと棚からはみだしており、同じ最上段の他の本を整えているときなどに突然落下して本のカドで頭を搏って怪我をする場合がある。
似たケースとして、新規店オープン直前の、棚づめ・棚づくりの作業を連日行っているもののあともう数日でオープン、このままでは間にあわない、ひどい棚の状態のままオープンを迎えねばならないのか、しかし既に体力も限界に近い、もはや進退極まった、といった精神状態のときには、深夜棚が倒れてきて本に押し潰される夢を見たりするが、この場合は実際には負傷しないものの内面的には末期的な状況であるとみて差し支えない。
(6)飛んできた本で怪我をする
非常にまれなケースとして、ものすごく怒っているお客さんから手にした本を投げつけられたり、店を出て捕捉した万引き犯に万引きした本を放りつけられたりして、本のカドで頭を搏って怪我をする場合がある。
似たケースとして、私の知るある店員は、女性の万引き犯を捕まえたところ、腕に噛みつかれて一旦は取り逃がしたものの、さらに追い縋ってやっと取り押さえたという経験がある。いずれにせよ、万引き犯に対峙するにひとりでは危険なので、必ず複数名で声をかけるようにしたい。
ともあれいずれのケースにおいても、我が身の負傷を省みるより以前に本の傷みを心配するようでなければ真の書店員とはいえまい。