第2回
先日、わがフロアでなにやら仕事をしていた時のこと。
突然けたたたたましい電子音が店内に鳴り響きまして、びっくりして駆けつけたところ、母親と小学生、小学生のランドセルにつけた防犯ブザー、書棚にひっかかって誤作動。やいやいしながら止めたものの、いまどきのは自動的にポリースに通報されるそうで、母親、あわてて電話して謝っておられました。いやはや。
しかし、物騒なことですな。小学生の方は泣くでも喚くでもなく、キヨトンとしておりましたが。お母さんのほうは学校や警察に電話して「○○小学校、M‐△△△(番号?)、□□□(名前)、誤作動です。なんともありません」などと大変そうでした。しかもあのいかにも不安を煽る大音量の電子音。どきどきしますわ。
というわけで、上記のは(3)です(前回参照)。続いて(2)をいってみたいと思います(うるさいですか?)。
今回は日中関係についての新書3冊。
しばらく前から、反日・嫌中といった言葉もしばしば目にするように、日中関係は悪いほうに向かっているといわれる現状ですが、先に言っておきますと、ワタクシ、この議題についてとくに主義主張はございません。歴史問題がどうとか、無知で関心の乏しい身でございますから、あーだこーだ言うつもりはありません。まあでも、当事者のはしくれ(?)としていくばくかの興味はあります。で、新刊の新書を何冊か読んでみました。そんなワタクシは、ほとんど傍観者のような視点で冷静に現状を説明してくれる本を求めておったようです。
『靖国問題』(高橋哲哉著、ちくま新書)。のっけから主義主張、怒号渦巻き掴み合い、殴り合いが目に浮かびそうなテーマですが、哲学者である著者はこの「問題」を「論理的に明らかにする」ことをめざしています。
この本はおもしろいです。私のごとく、とにかく知識を整理して客観的な情報を得たいという人には役立つと思います。「靖国」という問題について他書との比較ができない(読んでいないから)私ですが、淡々と進められる議論は納得できるものだと思います。著者の新書としては他に『教育と国家』(講談社現代新書)がありますが、こちらのほうはやや著者の主張や感情が明確に出ていると思いました。読んで損はない一冊だといえます。
『ジャンケン文明論』(李御寧著、新潮新書)。冗談か本気かわからんタイトルだ。日中関係というより、こちらはむしろ日中韓の三国関係についての議論。コインの裏表、勝ちと負けの明確な西洋的二者択一の思考から、ジャンケンのアジア的三すくみの思考へ。あいこがあり、しかも絶対的勝者のいないジャンケン・コードこそ、21世紀の文明コードとしてふさわしく、日中韓の三国関係にもぴったりあてはめて応用できる考え方である、という本。
ものすごくわかる気もするのだが、やっぱり冗談なのか本気なのか、と思わず苦笑しながら考えてしまう。あちこちで出てくるジャンケンの話、「グウ」とか「チョキ」とか「パー」とかの表記があらわれるたびになんだかヘンな気分になる。ジャンケンの歴史や構造についての議論ももちろんあって、易や陰陽・五行とのかかわりはわかるのだが、なぜかグラフまで使って1995年のプロ野球パ・リーグにおいて三すくみならぬ四すくみが現れていた、と示すところなど、読んでいて不思議な感覚にとらわれてしまう。かゆいような。「照れ」というべきか?
でも考え方のヒントとなるような気がする、という意味でおもしろい。
『日中はなぜわかり合えないのか』(莫邦富著、平凡社新書)。「はじめに」によれば、著者は「日中友好時代が終わった!」というタイトルにしたかったのだが平凡社が現在の書名にした、と言っている。2004年のサッカー・アジアカップでの反日感情の爆発や、靖国問題・常任理事国入り問題に絡む反日デモなどで興味のあるテーマである。
とくに最終章。最近まで中国の学生の留学先として重要であったはずの日本。日中関係の相互理解の一つの礎となるはずの留学生の留学希望先が、欧米にシフトしているという。とりわけ「北京、上海さらに長江デルタ、珠江デルタなど、経済的にもっとも輝いている都市や地域」の学生の「目は欧米に向いている」そうだ。また、日本は中国人海外旅行者の受け入れに積極的でないらしい。2003年にフランスを訪れた中国人観光客は30万人から40万人、オーストラリアを訪問したのは17万人。これに対し2000年から2004年4月までで、日本を訪れたのはわずか9万5000人(!)だという。この数字の引用のしかたにはもしかしたら問題があるのかもしれないが(私のしかたが、です)、いずれにせよ日本が観光面でものすごく遅れているのは事実のようだ。経済効果に資するのみならず、日本への理解・好感の源泉となるべき人的交流面において、問題が顕著なのである。イギリスも中国人観光客の受け入れに消極的で、他のヨーロッパ諸国が観光アピール合戦を繰り広げる中、完全に立ち遅れているという。同じ「島国根性」のなせるわざか?