第7回
書店員なら誰でも「変わったお客さん」についての話題をいくつか持っているはずだと思います。とはいえ、店員が特定のお客さんの行動や発言について勝手にあーだこーだ言っているだけのものは見苦しいうえに恥ずかしいですし、お客さんの側からすれば不愉快な思いをされることが多いでしょう。
今回はそうではなく、私が過去に遭遇し、自分であまりに馬鹿莫迦しくて笑ってしまった出来事に登場する「ヘンなお客さん(もしくは訪問者)」をご紹介したいと思います。
<五官に訴えかけるお客さん①臭覚>
あれは私が入社してまだ間もないころ、駅構内の店舗で勤務していたときのこと。
ターミナルという立地柄、また早朝7時からの営業ということで、開店直後から通勤・通学のお客さんがおもに雑誌を求めて数多く店に立ち寄られていました。
当然、出勤後即戦闘状態で、重い雑誌の束を手にうろうろ、ビニールの梱包を専用の紐切り(という道具)で開荷しては陳列場所に積み、付録が同梱されていると判明すればのけぞり、レジ担当者がレジの合い間にすばやく付録をはさむ。当時はパソコン誌が今よりよほど売れており、女性客も多く女性誌も好調、「KANSAI1週間」は未刊行ながら「関西Walker」が売れていたとき。パソコン誌の発売が集中する8・18・24・29日、女性誌のかたまる22・27日あたりは特に大変。これに「関ウォ」(関西Walkerの略)の火曜日が重なったりすると悲劇、種類別によりわけて積み上げた雑誌の束が、あまりの多さにバランスを失し崩壊した際の無力感など、わかる人は同士とよびたい(私個人がいちばんつらかったのは24日でした)。
そんななか、当時の店には情報誌・女性誌を展開するメインの巨大な平台がありました。
この平台には、特に売れ行きの良い、メジャーな情報誌・女性誌を並べるので台の前はいつもお客さんで一杯、もちろん売れ行きも良いので平台の高さは極端に低い(つまり、積む雑誌の量が極端に多い)。この平台の商品を動かしたり入れ替えたり補充したりするときはその雑誌のあまりの重さ、種類の多さ、人の厚みで冬場でも汗だく、まして夏場では気を失いかけること数知れずという非日常の巷でした。
ある早朝、いつものようにメインの平台を入れ替えていると、そこはかとなく異臭が。いや、みるみる鼻にツーンとくる。これは? 何度か繰り返すうち、異臭の源とおぼしき男性を発見。見た目は水木しげるの漫画に出てくるサラリーマン(©次長課長河本)。貧相な体つき(すいません)。どうやらおじさんの体臭のよう。あわてて逃げ出しました。
ところが、気づいてみるとそのおじさん、ほぼ毎日開店直後にいらっしゃっており、雑誌を店出ししているときに必ず遭遇。その後の人生で気づいたことですが、体臭の凄い人たちにも、それぞれのにおいのバリエーションがありますよね? そのおじさんの場合は、なんというか、一週間貼りっぱなしだったバンドエイドのにおい。酸っぱい感じが強烈。しかも、日を重ねるごとに、そのにおいが強度を増していく。こ、これは……。やむを得ず息を止めて作業していた私も、もはや限界かと観念しました。
しかし、ある日。やはり今日もおじさんは来ている。決死の覚悟で飛び込んだその瞬間…。ん。無臭だ。全く何の異常もない。これは…遂に我が臭覚に異常が…平たく言えばバカになったか…。あ、おじさん風呂に入ったんですね。
<五官に訴えかけるお客さん?②視覚>
また別の店舗で勤務していたときのこと。地下鉄の駅からつながる地下街の端っこに位置する店でした。
ある日(初出勤の日かもしれない)、店に出勤しようと駅を出ると、ぎょっとしました。おじさんが寝ています。
構内でホームレスの人たちが寝ている光景がしばしば見られる駅がありますが、その人の場合、ちょっと異質で、明らかにホームレスだとは思われますが、尋常なホームレスの人たちが段ボールで寝床を作っていたり生活感あふれる食器などの道具を身の回りに配置していたりするのと違い、おじさんは、ただ「寝ている」のであり、徒手空拳と申しますか、「何もない」のです。死んだようにべたっと寝ているだけなのです。実際、最初は死んでいるのかと見まがいました。おそらく長身で(寝ているのではっきりしない)、痩身、頭髪はぼさぼさでヒゲも伸び放題、たとえて言えば『こち亀』で四年ぶりに起きてきた日暮のようなルックス。
しかもよく見ると裸足です。服は着ていましたが(当たり前か)、靴はなく、足の裏の真っ黒さ加減が目に焼きつきました。
何日かそうした光景を見ながら出勤し、働いていると、あるときそのおじさん(「おじさん」と書いていますが、正直、年齢不詳です)が来店。ふらふらと入ってこられたかと思うと、何故か岩波文庫の棚をじっと見ておられたことがありました。もちろん裸足で。
季節は秋になった時分。私はふと、「おじさんは冬になったらどうするのだろう」と考えました。着衣も薄着ではありますが、地下街だしどうしようもないほどではない。しかし裸足はいくらなんでも耐えがたいであろう。どうするんだ。やっぱりおじさんも靴を履くんだろうか。きっとそうだろう。ではそれは革靴かスニーカーか…などと考えていたのです。
しかし、冬の寒さが訪れたころ、私は見たのです。
いつものように改札を出たところに寝そべるおじさんの足を、「くつした」が包んでいるのを…。
私は打たれたような心持ちで、しかし「これで安心だ…」と胸を撫で下ろしながら店への道を急いだのでした。