第8回
乱歩賞は必ず読む、という習慣を特にもっていない私だが、熱心に薦めてくださる方があり今回は読ませていただいた。第51回受賞作『天使のナイフ』(薬丸岳著・講談社)である。
非常にすぐれた作品であると言っていい。少年犯罪をモチーフに、過去の忌まわしき事件と現在の事件とをつなぐ絡んだ糸を手繰り寄せ、解きほぐして行く手腕は見事であると思う。中盤まではわりと地味な印象。しかし終盤、隠された事実が次々と明らかになり、小説のテーマに幾重にも陰翳が加えられていく展開はすばらしい。
少年犯罪をモチーフにした作品で、私の印象に強く残っているものとして『世界の終わり、あるいは始まり』(歌野晶午著・角川書店)がある。こちらは犯罪加害者の家族の視点で、殺人を犯した(かもしれない)わが子に対する疑惑や不安の(半端でない)生々しさを軸にした非常に怖い小説であった。鳥肌を立てつつ読んだ記憶がある。この本はテーマや主張がどうであるという以上に、子どもという存在の不可解さ、不気味さのグロテスクなまでの迫力が魅力であったと思う。
これに対し『天使のナイフ』は犯罪被害者の家族の立場で描かれる。そして終盤に到り、過去の犯罪が重層的に暴かれるなかで<加害者の少年を過度に保護するべきなのか、厳罰に処するべきなのか、そうした二者択一の向こう側に忘れ去られた被害者の家族の存在を意識し、加害者―被害者(の家族)がともに参加する中での『贖罪』を果たすことが、本当の『更正』である>という明確な主張が立ち表れてくるのである。
この主張をミステリの装飾のなかで埋没させることなく、はっきりと読者に伝えた手腕は本当にすごい。奇跡的なバランス感覚だと思う。おすすめします。
被害者―加害者の関係といえば、『犯罪は「この場所」で起こる』(小宮信夫著・光文社新書)がおもしろい。とても興味深い本である。既存の犯罪学が、犯罪者の人格や境遇に犯罪の原因を「発見」し、その「病理」を除去しようとする「犯罪原因論」であったのに対し、本書では犯罪の「機会」を与えないことによって犯罪を未然に防止しようとする「犯罪機会論」が紹介されている。
犯罪原因論は「犯罪者の犯行原因を除去する『処遇』を中心に置」く。つまり、犯罪者と非犯罪者との間には厳密な差異があり「ある人は罪を犯すが、他の人は犯さない」ということを前提としたうえで、犯罪者の犯罪原因を除去するための「処遇」(刑罰や保護観察など)を重視するのである。
これに対し、犯罪機会論は「犯罪の機会を与えないことによって犯罪被害を防止する『予防』を目的としている」。この立場では、犯罪者と非犯罪者との差異はほとんどなく、犯罪性が低い者でも犯罪機会があれば犯罪を実行し、犯罪性が高い者でも犯罪機会がなければ犯罪を実行しないと考える。
これを被害者―加害者の関係で考えれば、犯罪原因論が犯罪者(=加害者)の視点からどうすれば犯罪者を生まないことができるかを探求してきたのに対し、犯罪機会論は被害者の視点からどうすれば被害者を生まないことができるかを探求しているといえるのである。
こうした視点に立って、本書では実際に取り組まれている事例を、先進的なイギリスやアメリカの例を中心に豊富に紹介している。たとえば子どもの安全を確保するうえで公園の安全性は重要であるが、「防犯環境設計」の大原則である「入りにくく、見えやすい場所」を前提に、鉄柵と生垣で公園を囲み高い「領域性」を保持すると同時に樹木が「監視性」を損なわないように植栽は腰の高さまでの低木と下枝を落とした高木を中心に行なうなど、数多くの写真を交え実例がとてもわかりやすい。鉄柵や遊具にパイプを組み合わせた形状のものを用いることで、コンクリート壁を用いた場合のように落書きされることも防ぐことができるというのもなるほどである。
この本を読んでいて思ったのだが、以前話題になった「マーフィーの法則」に「失敗する可能性のあるものは失敗する」というのがあったが、これは私は非常にその通りだと思っていて、失敗する可能性があるものならば事前にその可能性を出来うる限り除去しようではないかと心がけているにもかかわらず、いつも失敗する。先日もカップやきそばを作っていて、流し台の広いところでやればいいものを、湯を捨てるという作業からの流れ上、捨てた後にシンクの手前のものすごく細いワクのところにカップやきそばを置いてしまい、置いたそばからカップやきそばはもんどりうって転落、麺がすべてシンクにぶちまかれてしまったということがあるが、これなどはまさにそうであると思うのである。
あるいは、私は小学生の砌からラジオの深夜放送が好きで、好きな番組などはテープに録音して繰り返し聞いていたのであるが、あるとき机の上に置いていたそのテープを、母親が掃除の際誤って掃除機で吸引、テープのテープたる部分が吸い込まれてちぎれ、聴取不能になったものを母親は「そんなとこに置いとく方が悪い」と嘯き、愕然としたことがある。無茶な言い草であるが「犯罪機会論」を思い起こせば、たしかにつけ込まれるスキがあったと言えないこともない。
そんなことはともかく、書店の現場がこの本を活かすことはできないだろうか。
書店が悩まされる犯罪といえば、一も二もなく万引きである。万引きされにくい環境デザインを示す。それができればこの文章で少しぐらい私は役に立つことを書いたことになるのではないか。次回につづく。