第13回
いつのまにか、2006年である。びっくりしている。しかももう2月だ。
この連載の最初に、2005年の年間読書目標冊数について宣言をしていたので、結果を報告することにする。
300冊の目標に対し…結果は242冊。目標達成率80.7%。う、売上結果でなくてよかった。これが店の売上であったなら私は馘ではないだろうか。
上半期6月までは、月平均25冊ペースに迫っていたのだが(148冊)、そのあとがいけない。7月に9冊とガタ落ち。その後一度もノルマを達成できなかった。原因はさまざまあるのだけれど、無念。まあ終わったことはしょうがないので忘れよう。忘れるのは得意だ。唯一の特技だといっていい。
去年の話のついでに。
第2回目で、日中関係についての新書を読んでみたのだが、その後もこのテーマの書籍は陸続と出ている。最近手にしたのが『「小皇帝」世代の中国』(青樹明子著・新潮新書)。この本、買って家に帰って読みはじめるまで、私は『「小泉帝」世代の中国』というタイトルだと信じていた。「“小泉帝国主義”日本と現代中国」(?)という構図かと思っていたのだ。思い込みは恐ろしい。
この本の正しい(?)内容は、「一人っ子政策」が始まってから30年近くになる中国ですでに約1億人にまで達し社会の中核に立ち世の中を動かす立場になりつつある一人っ子(=“小皇帝”)たちについてのレポートである。
「小皇帝」といえば、過保護に甘やかされて育てられた苦労知らずのおぼっちゃん/お嬢ちゃんというイメージが強いが、彼ら/彼女らも当然ながら成人し中国を動かす世代になるわけである。本書で描かれるそうした「新人類」たちの生活は、旧中国の民衆のイメージとはあまりにもかけ離れたものだ。変化が激しければ激しいほど、世代間の断絶は深くなる。信じられない速度で経済発展を成し遂げた中国において、「一人っ子」以降の世代をそれ以前と同じ中国人であると考えることはできないとまで思わせる。
また同じ第2回目で、中国人学生の留学先が日本から欧米にシフトしてきているという問題に触れたが、事態はもっと進んでおり、これまで中国国内では魅力的な職が得られぬため海外で働こうとしていた留学生たちが、祖国に戻って起業したり就職したりしはじめているという。こうした海外からの帰国者を「海亀派」というそうだ(“亀”は“帰”と同音)。
アメリカの大学や企業が最先端の研究や開発を行えることの背景には、中国人やインド人など海外の優秀な研究者を多く抱えている実状がある。そしてそれはアメリカがこれまで彼らに経済面・生活面をはじめ他国より有利な環境を用意できたからこそである。
しかし、2001年9月の第6回世界華商大会で当時の朱鎔基首相が海外で働く中国人に対し「君たち、帰ってらっしゃい!」「君たちが祖国に戻れば、将来必ず大きく飛躍できる」と呼びかけ、翌2002年3月の第9期全国人民代表大会で海外の優秀な人材の帰国・国内雇用を促進するという明確な方向性を示したことで、国は彼らに対し多くの優遇策を整えた。それにより留学生の急激な帰国ラッシュがはじまったというのだ。
近頃「BRICs」と略称されるブラジル・ロシア・インド・中国の4カ国の経済に関心が集まっている。この4カ国で全世界人口の約45%を占めるという。この圧倒的な数の力は想像を絶するものとなるに違いない。
思い込みといえば、同じ新潮新書でいまベストセラーとなっている『国家の品格』(藤原正彦著)。実際に本を手に取るまで、書いたのは私の知らない国際政治学者とか外交評論家といった人だと思っていた。著者名を見ていたのに。去年ちくまプリマー新書でお世話になった数学者の藤原正彦氏だったとは。書名と雰囲気による思い込みだろう。まったく気づきませんでした。しかし続けて文庫化された『祖国とは国語』(新潮文庫)に、故山本夏彦氏が「それにしても藤原正彦とは平凡な名ですな。だからこれまで私の目に止まらなかった。変えた方がよい。誰も覚えられはしませんから、ハハハ」と言ったというエピソードが紹介されており、私は必要以上に頷いてしまった。
また、しばらく前まで、すでに持っている本を買ってしまったと言って店に交換に来るお客さんがけっこういるのを、なぜ一度買ったものをまた買ってしまうのか理解できないと思っていたのだが、最近私にも起こるようになって狼狽している。
先日、退勤後に何か新書を読もうと思って急いで買い、電車に乗って読みはじめるとすでに読んだものだったことが判明した。それが『<美少女>の現代史―「萌え」とキャラクター』(ササキバラ・ゴウ著・講談社現代新書)だったので、私は単なる後悔を越えた重層的で複雑な感情のさざ波に翻弄された。ような気がする。
昨日漸く、自宅の近くの駐車場を横切る一匹の黒猫を見た。旅の途上のようであった。