第16回
いまほど暑くなかった梅雨前の休日、思い立って猫のいる公園(第12回目の公園)へ向かった。
猫のいる公園へ向かった、というのは正確ではなく、実はその公園を経由してとなりにある公共施設に向かったのである。経由中に一瞬覗いたが猫はいなかった。猫もいろいろ忙しいのかもしれない。
この公共施設というのが、市営の温水プールなのである。なにも私は伊良部医師のようにイン・ザ・プールしようというのではない。この施設の周辺には他にも市営のスポーツ施設や青少年施設(と書いてあったので。具体的に何をする施設なのかは未詳)が集まっていて、しかしながら人や車輛の姿はさほど目に入らずなかなかに落ち着いたゆったりとした時間を感じられるため、以前近くに居住していたときにときどき訪れては敷地内のベンチに腰をおろして読書に耽っていたのである(注:飛行機の音は間歇的にうるさいのだが)。
それで今回も読書読書と思いながら辿りついたのだが、おやと気づくと以前は広大な空地であったはずのそのとなり・さらにとなりの区画が公園となっている。公園といっても遊具などはなく、一面に草の生えた広場、外周近くを縫うように走る遊歩道、愛犬を散歩させるには最適、というような広場。なんというのか緑地? いやその語のイメージほど広大ではないのだが。さっき広大と言っておきながら。「広い」ぐらいの感覚です。適確な表現が浮かばず。語彙力の不足を痛感。
その広場の周囲にめぐらされた柵に近づいてみると、見慣れない表記が。「10月から3月:午前10:00~午後5:00、4月~9月:午前9:00~午後6:00」? 一瞬なにをいわれているのかわからなかった。公園の営業時間(?)が決まっているようである。営業時間外は入場できないようなのだ。べつに入場料取るとかじゃないですよ。大仰なアトラクションがあるわけでもなし。これは幼児や児童や青少年の安全を考慮してのことなのでしょうか。しかし私にとって、入れない時間のある(無料の)公園というのは新鮮な驚きでした。そんな公園がとなりどうしふたつ。
さらに時間限定公園×2の横の区画に、これはもっと公園らしい公園があった。さほど広くはない区画ながら、全体が小山か丘のようになっており、丘の中心に大きなすべり台。そして周辺に遊具。目にした瞬間、『犯罪は「この場所」で起こる』(小宮信夫著・光文社新書)で紹介されていたイギリスの公園を思い出した(第8回目参照)。
目線を妨げる繁みや立ち木など皆無、遊具はパイプを組み合わせた形状のもので、見通しがよいうえに落書きなどされる心配もない。子どもがどこにいてもどこからでも視認できるという設計思想。これこそ最先端の公園デザイン。なのでしょう。
ちょうどその頃、文庫化されたこの機にと読んでいた『都市伝説セピア』(朱川湊人著・文春文庫)に、「昨日公園」というとても哀しい一篇があって、入口から飛び出してくるゴムボールを拾って中に入るたびに一日前にタイムスリップしてしまう公園が登場するのだが、1970年頃が舞台と思われるそこは「公園全体を取り囲むようにいろいろな木が植えられていて、中に足を踏み入れた瞬間、まわりの世界から切り離されるような密閉感があった」と表現されている。こうした不気味で閉塞的で不可思議でとても怖い感覚、都市伝説はこのような公園の空間でこそ意味を持っていたのだということがわかる。
私は朱川氏とはほぼ10年の歳の開きがあるが、1980年前後の遊びの記憶はこうした公園の描写と連続していたと確信できる。照明はあったものの日が落ちると本当に暗くて(電球が切れても交換されずそのまま、ということもしばしば)、でも意地のようにボールを投げたり蹴ったりして、いよいよ家路につくころになってようやく気づく心細さに内心震える、といったこともよくあった。そんなとき、樹木や繁みの向こうに想像してしまう存在あるいは非存在は、やけにリアルな質感を伴って子ども心に濃い影を落としていたものだった。
朱川氏はさきの公園の描写に続けて「子供の頃はその感覚が嫌いではなかったが、いつのまにかずいぶん見通しがよくなっている。親の目で見れば、確かにこっちの方がいい」と書いている。時代を経て、私が見たような今の公園ができあがったということだろう。「親の目で見れば」確かにそのほうがいいのだろう。しかし、日のあたる場所だけが公園ではあるまい。影においても子どもの我々は学び、生きるための何かを得てきた。子どもの目で見れば如何に。
日当たりがよくなり影が失われていくにつれて、闇はどこへ行ったのか。
外界から駆逐された闇が最後に逃げ込んだのは人間の心の中だ、とは魅力的な説だ。
あるいは見ることもできず触れることもできないサイバー空間の中にこそ闇が溢れているというのも事実だ。
残虐であったり理解不能であったりする犯罪の多発をもって、これらの事実を証明しようとする言説は数え切れない。
しかし、闇は一方で犯罪に通じているかもしれないが、また他方で想像力の源泉であることも確かだ。
文学だったり芸術だったり、傑作とよばれるものの多くは闇をその母親に持っているはずだ。
昨年末、仕事を終えたあと何の集まりであったか幾らか酒を飲んだ私は、これまた何の用があってか阪急梅田駅の南端の改札口から北端の改札口である茶屋町口までひとり歩いていた。梅田駅はターミナル駅であり、多くのプラットホームを有しているが、終点であるゆえ、降車ホームと乗車ホームが分かれている。定期券を持っている私は、改札内を通り、年の瀬の遅い時間とあって特に込み合う乗車ホームを避け、降車ホームを選んで北の改札口を目ざしていた。
ふと我に返ってみると、私の両側にはともに停車中の列車があり既に多くの乗客が見えるが、開かれている扉は私の側とは反対側の扉で、私に向いた扉は閉ざされたままで、しかも乗客の誰も私の存在に気づいていないように思えた。私の歩いているホームには私のほかに誰もおらず、まるで私だけがその存在を知っている秘密の通路のようだった。
『夜市』(恒川光太郎著・角川書店)のなかの「風の古道」という一篇は、主人公の少年が七歳のときに迷子になって偶然入り込んだ秘密の通路に、五年後に友だちとふたりで今度は意識的に迷い込む物語で、「古道」とよばれるその道は、尋常の生物ならぬ異形のものたちの通り道であり、時空がねじれているのか道からは外の景色が見えるが外からは道は見えない。道の両側には家屋も存在するが、すべての家屋は道に背を向けて建っているのだった。
適度な酒精で何者かから少しだけ解放されていた私の想像力は、プラットホームと古道を結びつけていた。
ふだん持て余し気味の私の心の闇の部分も、たまにこうした想像力の飛躍と着地を見せてくれる。
自己満足に過ぎないが、自己満足も満足。