第10回 「パルコブックセンター渋谷店」
90年代初頭、音楽の世界に「渋谷系」という言葉があった。フリッパーズ・ギター、ピチカート・ファイブ、オリジナル・ラヴ、スチャダラパー、電気グルーヴ、U.F.O、テイ・トウワ、TOKYO NO.1 SOUL SET、サニーデイ・サービス、ロッテンハッツ、ネロリーズ、b-flower、ブリッジ、ヴィーナス・ペーター等々、当時の新興勢力を総称したもので音楽的な定義ははっきりしないのだが、これに「渋谷」という街の名前が付けられた理由ははっきりしている。それは、渋谷のHMVとWAVEが特に強く肩入れして、そのあたりのCDを盛んに売っていたからである。決してレコード業界が「売るために」捏造したブームではなかった(後半は大手レコード会社が当然のように便乗したけれど)。ちょうど新しい方法論を持ったミュージシャンが多数登場し、またそれを支えるマーケットが都市部を中心に成熟してきた時期だった。それでもこの2つの外盤屋(輸入CDを扱う店)の存在を見逃すことはできない。
命名者は音楽誌『Bar-f-out!』の当時の編集長という説が有力だが、HMVの太田浩氏とWAVEの荒木陽路美氏がブームの先導役を果たしたのは確かだと思う。彼らの「現場感覚」と、音楽ファンの「現場感覚」との間に目立ったズレはなかった。従って、かたや外資系、かたやセゾングループの大型店でありながら、そこは確かに「ぼくらの店」だった。つまり、店と客は、同じ現場を共有していた(「わかってる店/わかってる客」)。こういう幸福なマーケットは、そうそう成立するものではない。
そんな奇跡的な場を、音楽における「渋谷系」より少し遅れて、書店において成立させたのが、パルコブックセンター渋谷店(以下、PBC)だった。何を隠そう、私が今までに最も愛した書店である。そしてそれはきっと私だけではなかった。例えば「池袋風雲録」で田口さんが書いている昔のリブロ池袋店がある世代にとっての「カリスマショップ」であったのと同様に、私(たち)にとって、PBC渋谷は明らかに「カリスマショップ」だった(因みに私は、「団塊ジュニア」と呼ばれる世代)。PBCが大々的に売っていれば、全く知らない作家でも買ってみたし、逆に自分がこれは絶対面白い!と思う本は、必ずPBCが大きく扱っていた。そういう共犯-信頼関係は、他の書店が簡単に代替できるものではない。選書の法則を正しく合理化することができれば応用可能なのだろうが、そもそも「カリスマ性」とは非合理的なものである。ある程度までは真似できても、詰めが甘くボロが出る。
例えば「J文学」という(今となっては「渋谷系」以上に恥ずかしい)ムーブメントがあった。その言葉を生み出したのは河出書房新社だが、何が「J文学」で何が「J文学」でないかの判断基準は、PBCが売っているものかそうでないか、にほとんど等しかったように思う。これは「渋谷系」も同じで、レコード会社が「渋谷系」と目論んで売り出しても、それをHMVやWAVEがプッシュしていれば「渋谷系」だが、そうでなければ、「渋谷系」のフリをした偽者、というレッテルを貼られかねなかった。それほどまでに販売店が影響力を持つことがあるのだ。ただしそれは、店が「現場感覚」を失っていない間に限られる。
ブックファーストが渋谷に進出してから、渋谷の既存店は軒並み売上を落としている。PBCも例外ではない。客の立場で言えば、その店が儲かっているのかどうかなんてことはどうでもよかった。生鮮食品を扱っているわけでもなし、自分と店との「関係」さえ崩れなければ、新しい大型店が近くにできたからといって愛着が失われることはなかった。逆に混んでいないのは、ゆっくり立ち読みができて好都合でさえあった。しかし、会社としてはそういうわけにはいかなかった。売上が落ちたら何とかしようと考えるのが当然である。以降、PBCは人事異動と売場改造の連続で、次第に統合性を失いながら、迷走を始めることになる。巨艦店に対抗する名案は、そう簡単に生まれるものではなかった。
そのPBCが、年内に改装することとなった。だいぶ大掛りな改装になるらしい。既に社内にはプロジェクトチームも発足している。私が愛したPBCは、いったいどんな姿となって帰ってくるのだろうか。期待と不安が相半ばするとはまさにこのことである。「ぼくらの書店」よ、もういちど...。