第17回 「憲法記念日に」
5月3日、毎日新聞の1面トップには、「自民憲法調査会が改憲素案」「首相に非常事態発動権」「国民に国家防衛義務」とある。こんなにも具体的に憲法改正の可能性が見えてきた中で迎える憲法記念日は、初めてではないだろうか。「改憲」と「護憲」の勢力均衡が憲法論議をなんとなく「言ってるだけ」に思わせた平和な季節は終わった感じがする。いよいよ、なのだろうか。
新聞を1枚めくると、1面の解説記事とともに、下のほうには有斐閣・日本評論社・青林書院・評論社による憲法関連書の広告がある。こういうのは毎年恒例だが、考えてみると、たったの4社しかない。しかも、きわめて地味なのだ。そりゃぁ、佐藤幸治の『憲法』(青林)や松井茂記の『日本国憲法』(有斐閣)は、法学部の学生や憲法研究に関わる人にとっては避けて通れない重要書物だろう。しかし、そういう人たちは、憲法記念日でなくても日頃から憲法に関する本を読んでいる。敢えてこの日に広告を出すのなら、もうちょっと広く興味関心を持ってもらえるようなものをアピールすべきだろうと思うのだが、はたしてそういう本がどれくらいあるかと考えると、ひじょうにこころもとない(この日の広告の中でいうと、日本評論社の奥平康弘『憲法の想像力』は、エッセイ風の体裁と著者の「文才」のおかげで大変読みやすく、また最新の問題状況を踏まえた議論にも触れることのできるなかなかステキな新刊なので広くオススメしたい本のひとつだ)。
それは書店の棚を見ても思うことである。もちろん法律書の棚には、岩波の芦部憲法にはじまって、各種概説書や専門書が並んでいるだろうし、大型書店ともなれば、政治や社会問題の棚にも、憲法改正論議にまつわる評論の類が、いくつか並んでいるだろう。しかしそれらは一様に地味で、積極的に興味のある人でなければ手を伸ばさないようなものばかりである(それぞれの内容のよしあしは別の問題)。どうしてだろうか。こと憲法問題に関しては、出版社の企画力を大いに疑わせる現状がある。
例えば9・11のときや今回のイラク戦争に関しては、様々な出版社がそれぞれの得意技を生かしながら、いろいろな本を出した。その中からは、日経の『ブッシュの戦争』のようなベストセラーも誕生したし、チョムスキーやサイードが「売れる作家」になるという(珍)現象まで生み出した。ちょっと焦点はズレるかもしれないが、『アホでマヌケなアメリカ白人』(柏書房)は、幅広い読者層へのアピールという点で、稀にみる大成功の例だろう(内容はもちろんのこと、あのポップな装丁も売上増に大きく貢献したはずだ)。
確かに、大塚英志や池澤夏樹らによる最近の積極姿勢は、注目に値する。しかしいずれも、まだ、「護憲」勢力にのみ評価され、それ以上の影響力を持つには至っていないとの感触が拭えない。逆に、保守論壇的な勇ましい改憲論も、憲法そのものへの興味関心を誘うものとしては全く機能していないとみる。あれは全く違ったニーズから、例えば「元気が出る本」「泣ける本」などと同様の、一種の気休めとして、求められているように思える。
もしも出版界が「知る権利」を掲げて表現の自由を死守しようとするのなら、この国の民主政治の根幹に関わる憲法問題について、必要な情報を、必要なときに、必要な人に(!)届けるという任務を十分に果たすことこそ使命である。そう考えてみれば、現実政治の進捗に対して、私たちの「知る権利」の内実が、全く不十分な状態にあることは否定し難い。各社の企画競争を待望している(そこで各出版社のみなさん、「ちょっと待ってよ野上さん、うちのこの本を読んでから言ってるの?」という主張があれば、私の新しい勤務先、リブロ汐留シオサイト店まで、乗り込んできてください・笑)。
ちなみに、私が個人的に大事にしている憲法関連書をいくつか挙げておけば、概説書として樋口陽一『憲法』(創文社)、より原理的な論考への入口として長谷部恭男『憲法学のフロンティア』(岩波書店)、戦後憲法学の生き生きとした「熱」が伝わってきて感動的な、13人の学界重鎮による論集『日本国憲法50年と私』(岩波書店)、逆に比較的若い憲法学者12人の「違い」が浮き彫りとなって刺激的な『日本国憲法を読み直す』(日経)、同系でさらに突っ込んだ議論が展開される『リーディングズ現代の憲法』(日本評論社)などがある。
安く済ませたいなら新書がいい。例えば、樋口陽一『憲法と国家』(岩波新書)。最新のものとしては、奥平康弘・宮台真司『憲法対論』(平凡社新書)がある。ここで展開された宮台の天皇論を問い返した大塚英志責任編集『新現実 vol.2』(角川書店)も面白かった。
最後に敢えて言うならば、あまりにあたりまえのことなので普段確認もされないが、読書の愉しみは、平和であってこそ享受できるものである。また、表現の自由が制限されれば、読者の選択肢を狭めることになるだろう。これ以上の読書離れは死活問題でもある。書店としては、自らの商いを護るためにも、憲法論議の行く末に無関心ではいられない。