第3回
つい数年前、つまりこの不況の入口頃に、十数年のアメリカ在住を切り上げて帰国してきた古い友人が驚愕の口調で私に語った。「もう本当に信じられない、ほとんど20年ぶりに出版社の集まりにでたら、当時のメンバーがそのまま、歳をとっただけでいるじゃないの、しかもほとんどの人が私が会った頃と同じ会社にいるの。アメリカではそんなことめったにないし、日本だってこの頃は違うと思うけれど」
「なるほど出版は、特に出版社は平穏な業界というわけだ」と苦笑いをしたものだ。あくせくしながらもなんとかしのいできた出版の来し方を懐かしむ業界筋も多いだろう。事実、毎年更新される成長率からみても出版産業は順調な歩みを重ねてきた、ほんの数年前までは。この頃しきりに思うのだが、現在進行している本をとりまく環境―つまり書く、作る、流通する、そして読むという―の変化の萌芽はいつ頃芽生えたのだろうか。なんだか考え始めると茫としてまとまりがつかなくなるので「リブロ」に戻ろうと思う。
ここでごく簡単に戦後の出版界を振りかえり、その流通面の特徴を整理してみよう。1953年に再販制(再販売価格維持制度―出版社が販売価格を指定できる制度、本は値引き販売をしないという法的根拠)が施行され、実質的に戦後の出版体制がスタートしてから今日まで50年経つ、リブロの75年オープンはほぼ中間点である。この整理作業を通じてリブロの特色も見えてくると思う。
戦後出版界の成長要因はなんといっても「大衆化」である。その拡大する出版流通を支えてきたのは「再販制」であろう。そして流通の骨組は「取次(問屋)」が押さえている。日本の書店売りの本は出版社―取次―書店ルートがほとんどで、書店は取次の大手、トーハン、日販(両者で全流通量の約70%)と取引をすれば、出版物のおおよそが入手可能である。出版社もほぼ全国の書店で本を販売してもらえる。この販売網の大きさは他の産業には見うけられない特色である。大衆化、再販制、取次、この3つがキーワードである。
戦後一気に花開いた出版文化は、「読書=勉強=良いこと」という日本人の志向に助けられ、出版物というパッケージで次々に市場に流れていった。出版社は取次を通して新刊を「とにかく店に並べてください、売れ残ったら引き取ります」といって書店に卸した(この委託流通形態は大正期にすでに萌芽があった)、業界用語で「配本」という。その際書店への入れ部数は取次の〈書店配本パターン表-書店の規模、販売力のランクづけ表〉により決定される。新刊の書店入荷部数を取次が握っているのである(雑誌もほぼ似た流通形態で書店に卸される)。他の小売業にはみられない、日本独自の出版の「小売店が新商品の発注権を持たない流通システム」である。書店は発注権こそ失ったが、売れ残れば返品すればいい販売リスクのない新商品を取次からあてがわれて売った。出版社は返品リスクはあるが(再販制のもと、定価で再出荷可能なのでダメージではない)ともあれ書店での販売チャンスは確保できる。作ってはみたが1冊の注文も来ない、などという事はおきない。しかも積極的な販促活動をしなくても、新刊が見本としての機能を発揮し、追加注文が書店からきて、さらなる増売につながることが十分にある。取次は流通マージンを取り、両者を繰ることで流通に君臨した。このようにして書店はほぼ同じ規模の店にほぼ同じ新刊が並ぶ〈金太郎飴―この言葉は小川社長の平均的書店を表現する際の口癖であった〉状態で現在に到っているのである。
リスクの少ないところに利益は生まれない、というのが商売の原則だとしたら、書店界の「貧乏」という運命はこの再販制の導入時に決められたのだろうか。日本の小売業態で利益率の最低ラインをさまよっている。
書店は新刊だけで成り立っているわけではない。現在ではリピート発注による既刊本(むろん書店に発注権がある)の方が新刊より売上シェアが高い書店がほとんどなのだ。しかし書籍の流通システムが固まる50年代後半(53年再販制)は石原慎太郎『太陽の季節』の登場で幕を開け、松本清張が社会派推理小説で一躍スター作家となるなど小説界が繁栄を謳歌した時期とも一致し(昨今のベストセラーリストになんと小説の少ないこと!)、何かと新刊の話題も多く、また書店の規模も今とは比べようもなく小さかった。戦争で今までの蓄積を失った出版界は小説ばかりではない、料理、ファッション、辞書、学習参考書、専門書など、続々と新刊を発行した。書店はせっせと新刊を棚に入れ、その後ロングセラーとして生き延びる本を棚に残し販売した。書店の経営は雑誌と新刊が柱であった時代である。
日本は江戸の頃から識字率の高い国であったという。戦後日本社会は一気に大衆化する。明治からの学校制度で基盤が磐石の〈読書階級〉は裾野が広がる一方である。安い定価で大量に売りたいと出版人も必死になる。何しろ出版には〈再販制〉という錦の御旗がある、末端で値下げをするという予測を定価に組み込まなくても良いのだ、利益ギリギリまで定価設定を抑えられる(再販制のないアメリカのペイパーバックのカバープライスは日本の文庫の1、5倍ほど)、出版物は薄利多売商品化していく。
一冊あたりの利益が薄ければ、書店は回転率を考える。時が経ちもはや戦後ではないといわれ、新刊の出版点数が年を追って増加し、それに伴い既刊本の蓄積も膨大になり、書店も大型化し、書籍のジャンルも多様になったが、利益構造の根本はあいも変わらずである。しかも競争激化に伴い書店はより良い立地を求め、借りビルに入居し、その経費が利益をますます圧迫する。だから書店は効率の良い書籍から優先して棚に並べる。小型書店は資金回収の最も早い雑誌を中心に、コミック、実用書、文庫の品揃えになり、大型書店は販売力をバックボーンに新刊話題書を顧客吸引の目玉商品にし、棚は回転のよいロングセラーを中心に作る。『夜と霧』(みすず書房)もある、『宮本武蔵』(講談社文庫)もある、六法全書もタレント写真集もある。売れる本はどこの書店でも売れる。このようにして、日本の書店は新刊のみならず既刊本の棚も似た風景を持つようになった。
駆け足でおもに書籍をめぐる出版状況を整理してみた。雑誌を忘れたわけではない、実は雑誌こそが戦後の出版流通のインフラに貢献しているのだ。次回は雑誌の話から始めよう。