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第5回 2002年2月○日 

 1月×日AM11:00。銀座のK書店の前で店長のイナバと待ち合わせる。このビルの3階にある先日閉店したイエナ洋書店で、残った商品を買い付けに伺う予定になっていたのだ。待ち合わせ時刻になってもイナバが現れないので、先に3階に上がって行くことにした。店内は閉店直後ということもあって、返品処理する商品や、業者へ買い取ってもらう商品やらが所狭しと積まれていて雑然とした感じだった。

 10分遅れでイナバ到着。早速、めぼしい商品を棚から抜き取り、東京ランダムウォーク分として台車に積み上げていく。「ナベ、結構面白い本あるぞ!」と嬉々として本の山を切り崩し、商品を漁る。こういう時の彼はほとんど動物である。朝食抜きで駆けつけたとは思えぬ動きで、台車の本の山がみるみるうず高くなってゆく。僕も時間を忘れて美術書の発掘に夢中。一息入れ、ふとまわりを見渡す。店の中にはイナバと僕だけ。ところどころ、無雑作に商品が積まれた店内はとても静かで、銀座のど真中の喧噪をよそに、ここだけ別の空気が流れているようだった。

 しみじみと寂しさがこみ上げてきた。僕は一昨年、友人と資金を出し合い小さな書店を開業したが、2ヶ月足らずで廃業した。一人店内で、残った商品を返品したり、什器を解体する作業は何ともやるせないものだった。あの時の記憶が甦ってきて、ちょっと辛かった。

 銀座のイエナといえば、洋書店の老舗、という代名詞がピッタリくる程、認知されていたし、実際、洋書文化の息吹を一般の人たちに伝えてくれた草分け的存在だった。聞けば、51年余りの長い歴史があるという。同じ閉店でも、たった2ヶ月とはお話にならない程の重みの違いがある。さぞかしファンも多かったことだろう。イナバも店鋪が1階にもあった当時から(3階に移ったのは1980年とのこと。)銀座に来たら必ず立ち寄っていたそうだ。

 僕もたまに映画を観に銀座へ行くけど、上映開始時刻まで間がある時など、よく寄らせてもらった。見たこともない画集や写真集などを眺めて過ごす気ままな時間が好きだった。とてもゆったりとして、少しばかりハイカラな気分になったものだ。そんな楽しい思い出もイエナ閉店とともに消滅してしまうような気がして何とも寂しい限りだ。

 2時間程で商品の抜き取り作業を終える。外に出ると、さっきまでの静けさとは裏腹に、いつもと変わらぬ活気にあふれる銀座の街が何事もなかったように僕等を迎えた。天気が良かったせいか、街全体がキラキラ輝いているようで、なおさら先程までいた店内の薄暗さが身に沁みてきて、悲しい気持になった。足早に通りを行き交う人の波。それにしても、僕の勤める東京ランダムウォーク・ストライプハウス店がある六本木芋洗坂とは比べものにならない人通りだ。正直なところ羨ましい。でも、こんな一等地ですら、なかなか本が売れないのだ。商売は厳しい。

 インターネットの普及で、洋書も個人が直接購入できるようになり、以前のような新鮮味が徐々に失われてきたのも事実だろう。でも、特に画集や写真集などのヴィジュアル書は、やっぱり書店で直接手に取って、重みや匂いを感じたり、本自体の持っているそれぞれ独特なたたずまいや気分みたいなものを味わってからでないと、僕は買う気がしない。そんなとても大切な本との出会いを提供してくれたイエナが銀座から姿を消す。だけど、本とのリアルな出会いの感覚は、たとえお店が失くなっても、沢山の人たちの記憶の内にとどまって、色褪せることはないだろう。

 イエナのスタッフの皆様、長い間本当に御苦労さまでした。東京ランダムウォークも、洋書文化の灯を消さぬよう、微力ながら頑張ってゆこうと思います。本日仕入れた本は大切に売らせていただきます。僕も何か一つ画集を買おうかと思っています。

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