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第7回 2002年3月□日

 こんなに早く桜の花が咲き始めるとは予想していなかった。
僕が勤める東京ランダムウォークの道路を挟んだ向いには六本木中学校があり、その校門に見事な桜の木が数本ある。急に陽気が良くなったと思ったのもつかの間、3月もまだ半ばだというのに、朝出勤したらその桜が突然一斉に開花しているではないか。油断も隙もありゃしない。3月に入って、僕はこの校門の桜の木を観察するのが日課になっていて、蕾のふくらみ具合なんかを確認しながら、勝手に開花予想をしていた。開花はたぶん3月の下旬とふんでいたのだが、見事に外れた。毎年この時期になると僕は落ち着きがなくなる。桜の開花状況に、そわそわ、わくわく、お花見の計画を立てるのに忙しい。

 満開になる日と自分の仕事の休みが一致することを祈りつつ日々過ごすことになる。年に一度のことなので満開のタイミングをなんとしても逃したくないのである。というより、満開の桜の下うまい酒を呑みたい、ただそれだけのことなんだけど。予想は外したが満開にはまだ間がありそうだ。今週末は谷中の墓地で宴会だ!頼むから桜よ週末まで耐えてくれ……。

 校門の桜が開花した翌日、いつものようにレジカウンターに入っていたら、ブラスバンドが奏でる独特の音色の螢の光のメロディーがどこからともなく聴こえてきた。音につられて、外へ出てみるとちょうど校門の所で卒業生を在校生や父兄やらが見送りするお決まりの場面に出くわした。春の麗らかな陽射しの中、開花したばかりの桜を背にしたその光景は、とても長閑でついつい仕事を忘れて、ぼんやりとひとしきり眺めてしまった。遠い昔を思い出す。僕にもこんな時代があったのだ。昔も今も卒業式の風景は似たりよったりだけど、明らかに違いがあることに気づく。生徒の数である。圧倒的に僕らの頃より少ない。校門で見送られる卒業生、見送る在校生ともに一目見渡せば視界に納まる。ずいぶん小ぢんまりした卒業式だ。一体この学校には何人の生徒がいるのだろう。六本木中学は公立だから、生徒はこの近辺の住民のはずだ。ということは住民の絶対数がやはり少ないのだ。少子化の影響もあるだろうけど、六本木、麻布あたりに居を構えることはますます難しくなってきていると言うべきか。そういう場所で書店の仕事をしている身としては、少し寂しい気持でセレモニーが終わるのを見守ったのでした。

 それにしても六本木という街もずいぶん昔とは変わったものだなとつくづく思う。僕がこの街のA書店ではじめてこの業界にお世話になったのは1987年頃。当時バブル景気真っ盛りで昼も夜も街は活気に溢れていた。仕事帰りに一杯やって終電近くに日比谷線のホームに降り立つと、こぼれ落ちそうになる程の人で混み合い、ホームを歩くのがとても怖かった。早朝も始発を待つ人でぎっしり、とても朝5時台の駅の風景とは思えず茫然としたものだ。六本木はまぎれもなく眠らない街だった。今思えば良くも悪くも、とにかく人も街にも元気があった。当然、本も良く売れた。平積みにされた本が次の日出勤すると明らかに減っているのがわかった。発注、品出し、接客、目まぐるしく日々追われに追われた。

 あれから15年、六本木芋洗坂でなかなか減らない平積みの本を前にしていると、時は移り、街も変わったことを痛感する。東京ランダムウォークも我慢の日々がもうしばらく続くことになりそうだ。

 桜の話から始まって、なんだか暗い話題になってしまったけど六本木にも明るい未来が1年後待っているのだ。2003年完成予定の”六本木ヒルズ”のプロジェクト。これが完成すれば1日40万人の人々が行き交う一大文化都市が出現する。オフィス、住宅、ホテル、商業施設、美術館、放送センター等々大規模かつ壮大なワンダーランドが誕生するのだ。

 六本木で書店キャリアをスタートさせた自分にとって、やはりこの街には思い入れがある。是非とも大人が楽しめるエネルギッシュで高感度な街に戻って欲しい。僕は毎日通勤路である麻布十番商店街を通り抜けながら建設中の六本木ヒルズの高層ビル群を見上げ、心の中で呟く、「六本木復活の日は近い」と。(なんだか自分自身に言い聞かせているようで、いたたまれなくなりますが……)

 週末谷中の墓地で花見決行。天気予報が外れて今週始めの暖かさは何処へやら。冷たい雨上がり、尻の下にひいた新聞紙から湿った土の水気がズボンに沁みてきて少しげんなり。でも、桜吹雪の下で呑む酒はやはり旨い。

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