第19回 2002年10月△日
あの日、あの時、あの場所で、彼に出会わなければ僕の人生もだいぶ違ったものになっただろう。彼との出会いがなければ、これ程までに深くフットボールの魅力にとりつかれることもなかったと思う。フランスワールドカップ観戦がチケット問題で夢と消えた後、腹いせに何故か浦和に引っ越してくることもなかったろうし、J書店を突然辞め、身の程知らずに「エスニック&フットボール」なる訳のわからぬコンセプトのもと、浦和でちっぽけな書店を開業、ものの見事に失敗し、2ヶ月足らずで店じまいすることもなかっただろう。そして、こうして今、連載堂書店でフットボールネタばかりの文章を飽きもせず掲載することもなかっただろう。今思えば、僕の人生にとって彼は実に罪つくりな人間である。けれど、だからこそ、なおさら、彼を僕は心から愛さずにはいられない。彼はぼくにとって、昔も今も変わらず、フットボールの天使であり続けている。
1979年9月7日、天使は僕のもとに舞い降りた。忘れもしない夕闇せまる国立競技場。彼とは、ディエゴ・アルマンド・マラドーナその人である。1979年日本で開催されたワールドユース選手権、決勝、アルゼンチンvsソ連。アルゼンチンはマラドーナの活躍により、見事栄冠を手にする。前の年、アルゼンチンは自国で開催されたワールドカップで優勝。最後の最後で、若すぎるという理由で代表落ちしたマラドーナは、並々ならぬ決意でこの大会に臨んでいた。前年のアルゼンチンワールドカップの鮮烈な感動の余韻を楽しむかのように、国立競技場には当時としては大観衆がつめかけた、といってもゴール裏にはまだ空席が目立っていたけど。バックスタンド中央、絶好のロケーションで僕はこの世のものとは思えぬ彼のプレーに陶酔した。彼がボールをもつ、ドリブルを始める、敵のディフェンダーのタックルを次々とハードルを超えるかのように力強く突破していく、その間もボールは生きもののように彼の足もとを離れない。今まで体験したことのないフットボールの楽しさ、凄み、美しさに僕はたちまち引き込まれた。触れたことのない世界から振りおろされる聖なる鉄槌の一撃を喰らい、僕の頭はくらくらになった。それ以来、僕はマラドーナに完全にはまってしまった。
’82スペイン大会、度重なる悪質なファールについに切れ、報復、退場になったブラジル戦。十字を切ってピッチを去る彼の寂しげな姿に嗚咽。’86メキシコ大会、イングランド戦、言わずと知れた5人抜きのスーパーゴール。その時、夜中にもかかわらず、こみあげるパッションを抑えきれず、ただただ絶叫。’90イタリア大会、ナポリ在籍の彼が開催国イタリアを破り決勝進出。そしてドイツとの決勝に敗れ、子供のように泣きじゃくる彼の涙は一体何を語っていたのだろう。僕は声も出なかった。’94アメリカ大会、ドーピング疑惑で大会途中で姿を消す。あまりに呆気ない幕切れ。言いしれぬ人生の不如意に、僕は突然、井上陽水の歌ではないけれど、なぜか上海に旅立った。マラドーナが出場したこの4大会、僕は大会そのものよりも、彼のプレー、行動、表情、しぐさ、それら一挙手一投足に神経のほとんどを集中し、魅了され、のめりこんでいったような気がする。それはゲーム全体の良し悪しや、勝敗以前の問題だった。彼がボールを足もとに迎え入れた瞬間から、僕の中では時間が止まって、別の次元の時間が流れる。「マラドーナ時間」ともいうべきものが充満し、その中で彼のプレーは全く外界から切り離されて、甘美な聖なる空間を現出させるのだ。「時間と空間の支配者」彼は正に僕にとって、まぎれもなく「神の子」の呼び名にふさわしい存在だった。
僕にとって、そんなかけがのない大いなる存在を欠いた’98フランス大会、そして’02KOREA-JAPAN大会、それはそれで楽しめたけど、どこか心の中にポッカリ穴があいたようなもの足りなさに襲われたのもいなめない。そんな中、今大会開幕に合わせるかのように幻冬舎より『マラドーナ自伝』が発売された。大会期間中はしばし、マラドーナのことは頭からはずし、純粋にゲームを楽しみたかったので、即購入したにはしたが、ずっと読まずにいた。正直、本を開くのが恐かったのである。絶対的な存在であるマラドーナの記憶が呼びさまれることをあえて避けるように僕は今大会を迎えることにした。
そして、6月の熱狂、そして落胆、いいようのない喪失感。これは以前の日記にも触れたとおりである。そのワールドカップ後遺症も徐々に癒え、10月に入ってようやっと『マラドーナ自伝』を開くことができた。マラドーナ自身が告白する心情がこと細かく語られているこの本は、僕の記憶の内にある至福の時とともに、彼をいま一度追体験させてくれ、僕にとっては特別な本になるだろう。(といっても、マラドーナに全く興味のない人には、おそらく読み通すことがとても苦痛な本です。)
でも、今にして思えば、今大会期間中、結局この本を開こうが開くまいが、僕は彼の幻影をゲームのどこかに捜していたような気がする。山崎まさよしの名曲「onemore time,one more chance」のサビが僕の頭をまわりだす。
♪いつでも捜しているよ どっかに君の姿を 向いのホーム 路地裏の窓 こんなとこにいるはずもないのに♪ マラドーナよ君は……僕は歌う。
♪いつでも捜しているよ どっかに君の姿を ジダンの脇、フィーゴの横 こんなとこにいるはずもないのに♪
’98’02と僕は捜し続けている。でも、いまだに彼を見つけることはできない。たぶん、これからも見つけることはできないだろう……一生。