第22回 2002年12月□日
暮れもいよいよ押し迫ってまいりました。昨年12月、東京ランダムウォークがオープンしてまる1年、いろんな事があったけど、過ぎてしまえばあっという間だった。予想はしていたけれど、とても厳しい1年だった。出版不況の嵐が吹き荒れるなか、ちっぽけな書店が生きていくことの厳しさを肌で感じる1年、ほとほと身に沁みました。ジュンク堂書店にお勤めの福嶋聡さんの著作「劇場としての書店」(新評論)よろしく、東京ランダムウォークはこの1年、観客のまばらな場所で必死に芝居を演じる正にかけだしの劇場としての書店でありました。いつの日にか、満員に埋まった大勢の観客の前でスポットライトを浴びながら、熱くてリアルな芝居を演じられたらと、願いにも似た希望を胸に秘め、来年もがんばっていこうと思っています。よろしくお願いします。
さて、この1年を振り返ってみると、まず頭に浮かぶ出来事といえば、6月のW杯。僕個人としても6月の熱狂と失望は一生忘れることはできない。そして、この6月が東京ランダムウォークにとっても、ある一つの、残念ながらではあるが転換点になっていることが否めない。昨年の12月オープン以来、半年間は順調とは言えないまでも、地道に売上は推移してきたのだが、6月のW杯不況以来、売上がそのまま低レベルに落ち着いてしまっているのだ。今月に入っても、年末商戦のウキウキしたノリはあまり感じられない。他の書店の知人達も、聞けば僕と同じような印象を持っているようだ。もはや、言われ続けて久しいが、ほんとうに本が売れなくなっているのだ。なにかが変わり始めている。書店の現場にいて、そのことは他人事では済まされぬだけ、なおさら身につまされて実感できる。今月出版された「別冊本とコンピュータ5」(トランスアート)タイトル「読書は変わったか?」帯に書かれたコピー「本ばなれは本当か?」僕は普段この手の本はあまり読まないことにしているのだけど、その僕がつい手を伸ばしてしまう程、今、書店で働く者は危機感をつのらせている。そして、書店現場での現在の現象を単刀直入に捉えるなら、難しいことはよくわからないけど、「読書は変わった」「本ばなれは本当だ」と僕は答えるしかないだろう。読者が変わってしまったのか、出版が変わってしまったのか、書店が変わってしまったのか、世界が変わってしまったのか、僕にはよくわからない。よくわからないけど、確かに何かが変わってしまったと思う。そして、その変わり方の質が、たぶん僕達が今まで経験したことのないような変化の質であるような気もする。最近、現場で働いているとふとそんなことを思う。
先日、「帰ってきた炎の営業日誌」で杉江さんも書かれていた。「かつて文芸書はある程度作家名で売れていた。……それが今では作家名に関係なく、旬の作品だけが売れていく。……本が著者という縦の軸で売れなくなってしまった。だから既刊書も売れない。……これでは出版社も本の作りようがないし、書店さんも発注のしようがない。……流行り廃りは昔からあった。しかしそれがあまりに加速してしまって、出版社も書店さんもとても追いつかない。」業界の現状をとても的確に表現してしいると思う。近頃仕入れの勘が鈍ったなあと感じることがある。この著者のこのテーマを扱った作品ならこれぐらい売れる、という読みがいともたやすく外れる。熟練したベテランの書店員ならこの辺の読みの精度は相当なものだった。そして、それがある面では棚担当者の技量にも直結していた。経験豊富な書店員で、最近自信を失ってしまっている人結構いるんじゃないですかね、たぶん。また、ブックフェアーなどの企画や、そこまで大がかりにならなくても隣に関連書を並べるとか、そんなちょっとした工夫に対するお客さんの食いつきが、前ほどではなくなってきているような気がする。とても淡白な感じがするのだ。こんな印象を持つのは僕だけだろうか? 書店はベストセラーだけでは食ってはいけない。書店のベースを支えるのは、少部数でも堅実に売れてくれる本や、書店員が経験や勘で編集し、作ってきた棚から、こつこつと売れていく本がほとんだ。実はそれが圧倒的に大きなウェイトを占めている。書店の生命線ともいうべきその経験や工夫が通用しなくなることは、ダイレクトに死活問題にかかわってくる。ちょっと恐ろしい現象が今、書店の現場では進行しているような気がする。かたや、ベストセラーはおよそ昔では考えられないような想像を絶する部数を記録する。書店にとっては、たくさん売れるにこしたことないけど、僕はなんかこう、その売れ方の屈託のなさというか、その辺にどうも妙な違和感を覚える。少し複雑な心境だ。でも、なんでそうなっているのか、確かな答ははっきりいって、まだ皆たぶんよくわからないのだろう。だから迷走をつづける。
杉江さんもその日の日誌の終わりをこう結んでいる。「結局、僕も何だかわからないということ。まとまりもなく今日は終わる。」そして僕も、それがどうしてなのか何だかよくわからない。そういえば、今年の夏のTOKYO ART JUNGLEで僕は何度もこのつぶやきを発していたっけ。結局この1年、何だかよくわからないまま暮れていく。店も、僕も、しばらくこの迷走が続きそうである。なんとも、まことにランダムウォークな1年でありました。