第23回-(2) 2003年1月△日
……つづき
東京ランダムウォークがオープンして間もない昨年の1月。ちょうど1年前、僕は「動物化するポストモダン」(東浩紀著・講談社現代新書)を新年早々読んだ。衝撃を受けた。その東さんが、W杯の興奮も冷めやらぬ昨年7月はじめ、読売新聞夕刊の企画で当店を訪れた。“東浩紀の5,000円で探せ!”というシリーズで、東さんが毎回書店を巡り5,000円以内で本を買う苦悩と快楽をリポートするという主旨だった。まがりなりにも人文書担当の僕としてはいささか緊張した。東さんがどんな本を選ぶのか、どんなリポートをするのか興味津々だった。基本的に洋書と和書のビジュアル書や人文書が中心の当店は商品単価が結構高い。5,000円以内で3册というしばりは、なかなか酷なのではと思っていたら、案の定、かなり苦悩されているようだった。後日、掲載された記事を読んで僕も苦悩した。僕が気になった箇所を記事から引用する。
「……コミックや思想書のコーナーは厳選されすぎて食指動かず。……今回の買い物はどうもうまく行かない。最後の希望をかけて海外文学の棚に行くと、ここはさすがに充実した並びだ。じっくりと本探しを始める。」とある。そして、実際、海外文学のコーナーから3冊買っていかれた。当店の海外文学のスペースはとても小さく、それもなんとなく成り行きで出来てしまったようなところがあり正直とても、充実した並び、とは言い難い。事実僕もそろそろしっかり棚をつくり直さなければと思っていた矢先だった。思想書のコーナーは逆に店全体のバランスからいってもスペースは広く、今までの経験と工夫で一応選んで編集してつくった棚のつもりだった。つまり、下手なりにもあるベクトルにそって厳選しょうと試みた棚だ。それが、厳選されすぎて食指動かず、なのだ。どういうことが言いたいのかというと、書店員の経験や工夫で仕掛けた方法は肩すかしをくい、意識せぬまま書店員の計算の外で、成り行きで出来上ってしまったような棚からものが売れるという事実。勿論、こういったことは実際よく起る。それはそれで本が売れてくれれば書店員としは嬉しい。東さんのリポートは他意はないことはわかっていても「動物化するポストモダン」を読んだ後の僕としては曲解して、深読みもしたくなってしまうのだ。厳選するという、ちっぽけな書店にとっては不可避な方法論の効力が薄れてしまったら、僕らはどうしたらいいんだろうか。苦悩は深まるばかりだ。先日、書店経験のある知人が言っていた。「棚をつくりこむ程、80年代的な棚になっていくんじゃないですかね。」と。なるほどと思った。虚構の時代を生きたおじさん達の感覚は、動物の時代を生き抜くことはできるのだろうか。21世紀、僕等おじさん達の前には、今まで経験したことのないようなきつい時代が拡がっている。
東さんが来店されて間もなく、角川書店より批評誌「新現実」(東浩紀、大塚英志責任編集)が創刊された。文字通り「新現実」。なんか嫌味なタイトルだなあと感じつつも、僕は2003年1月も「動物化するポストモダン」の横に相も変わらず「新現実」創刊号を面陳している。表紙のイラストの喪服を思わせる黒い和服に身を包んだ豊満なバストの女性の瞳からはいつも妖気が放たれていて、僕に向って無気味にささやきかけるのだ。「新現実……、あなたは21世紀を生き残れますか。」と。