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第25回 2003年3月○日

 先日、休憩時間アマンドの交差点あたりをブラブラしていたら、昔六本木のA書店で一緒に働いていた後輩のO君にばったり出くわした。彼は昨年、A書店を辞め現在はT書店に勤めている。T書店は現在開発中の六本木ヒルズの一画に新店舗を出店する。その準備に彼は日々奔走しているのだという。六本木ヒルズのオープンは確か4月下旬だから、そろそろ準備も佳境に入っている頃だな、などと想像をめぐらす。実際、彼の表情からも激務の後が伺え、普段は疲れを知らない子供のような顔つきの彼も、さすがに少々バテているようだった。聞けば、これから洋書の仕入れの相談に当社を訪れるところのようだ。東京ランダムウォークのあるストライプハウスビルの2Fには、洋書取次をしているうちの親会社の本部があるのだ。
「じゃあ、商談終わったら、下にも顔出してよ。頑張ってな。」と声をかけ、その場を別れる。芋洗坂を急きたてるように足早に下っていく彼の後姿には妙な緊迫感があった。新しく書店を立ち上げる時の、目のまわるような慌ただしさがひしひしと伝わってきた。僕も新店舗準備の苦労は幾度となく経験しているので、なんとなく他人事とも思えず、同病相憐れむ的な共感を覚えてしまう。
 “謹んでお察し申し上げます。”
 なーんて、殊勝なこと言っても、本音は対岸の火事、火の粉がふりかかるわけでもなし、気楽な高みの見物だ。立ち上げの超ハードさを知っているからこそ逆に、彼の苦労している姿を見るのは、ちょっとだけ愉快だ。僕って不謹慎? いや、これが人間の正常な感情だ。それに、だいたいが六本木ヒルズに出店するんだから、彼はいわば、東京ランダムウォークにとっては商売敵なのだ。敵に同情なんかしてやるものか。まあ、これは冗談だけど。とにかく、めでたく出店にこぎつけてもらって、お互い六本木の街を盛り上げていきたいものだ。

 商談が終わった彼は、下に顔を出すこともなく、そそくさと帰路についたようだ。きっと会社に速効で戻って処理しなければならない仕事がたくさんあるのだろう。僕等と無駄話する暇なんかない、めちゃくちゃ忙しいのだ。追われに追われて開店に向け突っ走る。嵐のような日々がオープンまで続くのだ。ヘトヘトになってもヨレヨレになってもボロボロになっても絶対にオープンさせなければならない。それが君に与えられた使命なのだ。
“O君、謹んでお察し申し上げます。からだには気をつけてね。”
 どこの書店もそうだと思うけど、オープンまでの道のりは実に険しい。それもたいていが短期間に集中的にやっつけるというケースがほとんどで、スタッフは開店日にはヘロヘロ状態ということも珍しくない。それでも、開店できたことの喜びと、お客さんを迎える緊張感で、スタッフは開店当日をどうにかのりきっていく。そして、閉店後のビール。これがまた格別だ。準備期間の辛苦による疲労と、開店の達成感と、酔いがないまぜになって、精神が言い知れぬ境地にさまよいこむ。「ダァー!」と叫びたくなる。何が何だかわからなくなって、あとは死んだように深い眠りに落ちる。
 
 書店をオープンさせること、それも短期間でオープンさせることに立ちあう度に僕は思う。開店できること自体が“奇跡”なのだ、と。そうとしか言いようのない程、ドタバタ、ギリギリのところで開店にこぎつけた経験を僕は何度もした。間一髪すべり込みセーフ的な冷や汗もののオープン。物事は結局、どうになかなるものだし、なるようにしかならないものかもしれないけど、どうにかなるものにするには、めちゃめちゃエネルギーが要るのだ。最近書店のオープンが相次いでいるけど、きっとその裏では間違いなくこのようなギリギリの闘いが繰りひろげられているはずだ。中年期を迎え、体力低下著しい身としては、しばらくはこのぞっとするようなギリギリの闘いは勘弁してもらいたいものだ。

 それにしても、早く六本木ヒルズオープンしないかなあ。信じられない程、人が集まってくれたら、御相伴にあずかって東京ランダムウォークも潤うと思うんだけど。O君には悪いけど、僕はただただ六本木ヒルズのオープンの日を指折り数え、「はーやく来い、はーやく来い」と口ずさむ日々が続いている。
“O君、謹んでお察し申し上げます。からだには気をつけてね。”

 3月3日、ひな祭り。
僕はいつものように品出しの仕事をしていると、ふいに上の事務所から、うちの会長がドタドタと降りてきた。
「渡辺君、悪い。赤坂の物件の店鋪契約、今日の2時の約束なんだ。どうしても都合で行けなくなった。代わりに行ってきてくれる。書類は全て揃ってるから。不動産屋さんには説明してあるから、ヨロシク。」
「えーーーーっ!」
 店鋪契約って、もしかして新規店? 2時まであと15分しかない。僕は書類を持って急いでタクシーに乗り込んだ。   つづく。

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