第28回 2003年6月△日
日本全土を嵐のように席巻した、2002ワールドカップ。あれからもう一年が経ってしまった。ほんとに早いものですなあ。ジャパンブルーに染まったスタジアムの熱狂、興奮がもはや遠い昔の出来事のように思える。思い出は美しすぎる、のは世の常だけど、ワールドカップ開催の翌年というのは、たいがいがこの美しすぎる思い出の呪縛から抜け出せず、僕のメンタリティーはそぞろ低空飛行を続けることとなる。一年前、狂おしくも鮮烈に僕の心に宿ったジャパンブルーの青は、一年の歳月を経て、深い深い喪失感を伴った青に変貌した。今はじっと耐える、忍ぶしかない。(何に耐えるのかよくわからないけど?)2006年が待ち遠しい。
ワールドカップの翌年というのは、どこの国も程度の差こそあれ、一時的にサッカー熱のテンションが下降する。差し迫った目標が失われ、戦いへのモチベーションが保ちづらくなるのだろう。ちょっと一息といったところか。それでも、ヨーロッパの国々はワールドカップ開催の中間年に欧州選手権があるから、それもほんの束の間だ。すぐに戦いが始まるのだ。まして、各国の熾烈きわまるリーグ戦、様々なカップ戦、そしてチャンピオンズリーグと実にめまぐるしい。僕のように深い喪失感などと、呑気なことを言っている暇などないかもしれない。けれど、日本に住む僕等は、特にJリーグに贔屓のチームを持っていない僕のようなサッカーファンは、どうしてもワールドカップ中心に世界がまわってしまう。たとえ、日本が本選に出場できなくてもである。予選を共に戦い抜くこと、それこそがワールドカップの醍醐味なのだから。早く予選が始まって、あのキリキリする緊張感と興奮の中に身を浸したい。
僕にすれば、今はいわばサッカー端境期にあたるのだ。それでも、心踊り血沸くマッチが一つだけある。日韓戦である。先日、国立競技場で行われた日韓戦、残念ながら仕事の都合で生で観戦できないので、朝しっかりとビデオをセットした。ビデオをセットしながら、僕は久々に、じわじわと気合いが入ってくるのを感じていた。甦る胸の高鳴り。制御できないこの感覚がなんとも嬉しい。いつも日韓戦は異様な雰囲気に包まれる。絶対に負けられないという、闘志むき出しのプレイは、伝統の一戦にふさわしい名場面を数々生み出してきた。誇りと誇りをかけた闘い。過去の両国の間に横たわる重い歴史を含め、脈々と受け継がれてきた魂の闘い。日本的DNAと韓国的DNAのぶつかりあい。その時、スタジアムはあたかも戦場と化す。
`This is Football!´仕事をしながら僕はそんな濃いドキドキを久々に味わえるものかと期待に胸ふくらませていた。こんな時は不謹慎だけど店の閉店時間が待ち遠しい。東京ランダムウォーク赤坂店のまわりには、韓国料理店が軒を連ねている一画がある。普段から結構韓国の人達も沢山往き交っている。日韓戦当日の夕方、ぞろぞろと例の`Be the Red´の真っ赤なTシャツを身にまとった一団が店内を徘徊しはじめた。これから国立に向うのか、それとも近くの韓国料理店でTV観戦へと集結するのか、いずれにしても「テーハミング!」の一糸乱れぬ応援の声がどこからともなく聞こえてきそうなその場の雰囲気に思わず、僕も仕事を忘れ、きつい視線を彼等に送りそうになってしまった。彼等にしてみれば前回のホームでのあっけない0‐1の敗戦(レッズ永井の気が抜けたようなラッキーゴールによる)は納得がいかないだろう。復讐戦のつもりで日本に乗り込んできているはずだ。なにをちょこざいな、返り討ちじゃ。僕はレジカウンターの中で、書店員としてうわべはお愛想笑顔を装っていたが、内心では闘志の炎がめらめらと燃え上がってくるのを感じていた。
「勝しかない!」閉店後、いざ出陣。戦いの結果の情報が耳に入らぬよう、家路をまっしぐら。一年前のW杯を思い出す。そういえば去年もこんなことがよくあったっけ。リアルタイム観戦でないのがちょっと寂しいが、慣れると逆にこの鬱屈した感じが、欲望を増長して余計にたまらないのだ。蒸し暑い日中、ずっと水分をとらずにしのぎきり、仕事を終えたら家路へダッシュ、家でキンキンに冷えたビールを飲み干す時の言うに言われぬあの感激。何故かその時、自然に目は閉じられ、何かをグッとかみしめるように唸ってしまう。そうあの快感にどこか似ている。少なくとも試合開始直後までは……。
ビールは裏切らないが、サッカーに裏切られることは少なくない。キックオフを迎える時のワクワクドキドキの快感の滴は、試合の進行とともに、哀れ、憤懣に満ちた逆流へと形を変える。日本代表シュート2本、0‐1完敗。それは、ないでしょ。負けたのはしょうがないけど、シュート2本はないでしょ。メンバーどうのこうのじゃなくて、シュート2本という結果はなんとも貧しすぎる。話にならない。サッカーはゴールしなけりゃ勝てない。ゴールはシュートしなけりゃ入らない。今さら不満ぶちまけたところで、どうなるもんでもないけど、日韓戦での不出来は、思い入れが強い分なおさら傷つく。’98W杯予選アジア最終予選対韓国戦。僕は国立に日の丸を持って駆けつけた。山口のループシュートで先制したのも束の間、立続けに2失点、あわれホームでの敗戦に、僕はこの世の終わりかのように悲嘆に暮れた。一晩中涙が止まらなかった。かみさんはそんな僕の姿を見て、「そこまで夢中になれるものがあるなんて、本当に幸せだよ。」と言って、わけのわからぬ慰めの言葉をかけてくれたけど、僕の涙は止まることはなかった。日韓戦は特別なんだ。シュート2本じゃ、涙も笑いもでない。チャンチャンである。頼むよ、ジーコさん。
攻撃的で、自由で、観ているものを楽しくさせるようなサッカーをお見せしたい、サッカーで重要なものは、クリエイティビティーだ、クリエイティビティーに溢れたプレイを期待する……等々。ジ-コの理想は高い、でもそれって一体何? 抽象的すぎやしないか。日本代表はブラジルのセレソンじゃないんだから、もうちょっと具体的に場面場面で、個別に表現してほしいと思うんだけど……。韓国戦での敗戦のあと、代表は重点的にシュート練習にたくさんの時間を割いているというけど、そういう問題か~?!
多くのサッカーファンがそうであるように、僕にとってサッカー観戦の歴史とは、ある意味、裏切りと失望の歴史である。期待すればする程、失望も大きい。それでもしょうこりもなく次に期待をかける。その連続。僕が日韓戦に期待していたものは、クリエイティビティ溢れるプレイなんかじゃない。絶対に勝つ、という悲壮なまでの覚悟と、それが凝縮したような魂のこもったシュートチャレンジだ。それにしてもシュート2本はあんまりだ。期待も失望もあったもんじゃない。それ以前の問題だ。悔しさすらわき上がってこない。これじゃいかんです。これじゃ。頼むよ、ジーコさん。