最終章
『県境の長いトンネルを抜けると、新天地だった』
- 『カンバセイション・ピース (新潮文庫)』
- 保坂 和志
- 新潮社
- 700円(税込)
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- 『蜘蛛の糸・杜子春 (新潮文庫)』
- 芥川 龍之介
- 新潮社
- 300円(税込)
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要するに、だ。俺が暇に任せて教習所に通ったり『バイオハザード』にハマったり或いは朝から酒浸りになったりしている間に、あっちこっちの出版社の営業さんたちが、この業界の人材募集の情報に目を光らせ耳を澄ませてくれていて、当初は俺もそこに期待する気持ちが無くはなかった訳だけれど2月が終わる頃には流石に諦めかけていて、かと言ってこの不景気に四十目前のオッサンがおいそれと再就職出来る筈もなく、半年ほどは食っていけるとは言うもののその先のアテは何も無く、殆ど途方に暮れていたと言うか、どうにでもなれと半ば自棄になっていた、そんな時期だったのだ、Kオジサマが電話をくれたのは。
おやおや、ここまで「。」がたったの二つとは、なかなか純文学チックだとは思いませんか? 例えば保坂和志さんの『カンバセイション・ピース』(新潮文庫)みたいだと、感心しているのは俺だけだろうな、きっと......。
せっかくだからついでに紹介しておくが、『カンバセイション・ピース』というこの作品、世田谷に在る古い一軒家で主人公夫婦と彼らのイトコと友人と猫数匹が共同で暮らしていく賑やかなその日常が、山も谷も無く描かれていくだけでドラマチックなことなど何一つ起こらないのに、何も起こらないことの平和さが、まるで旨い酒を飲んだ時の最初の一口の如く五臓六腑に染み渡り、一度読み始めると止まらない。文庫本の1ページ以上を平気で一つの文でつないでしまう保坂さん独特の文章に初めの方こそ戸惑ったが、慣れると逆にそれが快感になる。普段エンターテインメント一本槍の俺でさえ日本語の魅力と魔力を堪能出来たから、純文学なんかめったに読まないそこの貴方も、騙されたと思って一読されたし。
閑話休題。兎に角、だ。Kオジサマの肝煎りで、「某書店のおエライさん」なる方とお会い出来る運びとなった訳だが、体の割に気が小さくて本番に弱いという子供の頃からの弱点がモロに出て、いやもう、落ち着かないったらありゃしない。Kオジサマは「別に難しく考えずに、普段のケン46さんのまま会えば良いんですよ」と言ってくれはしたものの、路頭に迷う一歩手前の身としては、やはり力まずにはいられない。とは言え今更どうあがこうと人間的な魅力が増す筈はなく、オタオタと丸っきり無策のまんまに約束の日を迎えてしまった訳だった。
当日は幸いにも晴れ。桜にはちょいと早いがぽかぽかとそれなりに暖かく、「ネクタイすんのも随分久し振りだな」なんてことを考えながら出かけて行くと、待っていたのはやたらと気さくなおじさんで、名刺の肩書きを見るとホントに偉いんだろうけど、そんなこと微塵もこちらに感じさせない開放的な喋り方。そして、本が好きでそれ以上に本屋という仕事が好きなんだろうということは、すぐにビンビン伝わってきた。何しろ再就職がどうこうってな話は、挨拶の後のほんの数分。その後はどの作家のどの作品が好きだとか、面白そうなフェアのネタとか、そんな話ばっかりで盛り上がり、気付けば2時間近くも話し込んでいた。本屋さん的な会話を久し振りに楽しんだ俺は何だかそれだけで満足し、「たとえ就職に結びつかなくても、あの人と知り合いになれただけでも幸運だったな」などと、のんきなことを考えながら、帰りの電車に揺られていた。ってか、昼飯まで奢って貰っちゃって、俺は一体何してるんだ!?
その後2週間ほどは何事もなく過ぎ、即ち俺は相変わらずゲームをしたり酒を飲んだりしてグダグダ(愚だ愚だ?)過ごし、相変わらず各方面の営業さんからは「元気にしてますか?」メールが頻繁に届き、世の中ではいつの間にやら桜前線が北上しスギ花粉が乱舞するようになった頃、例の気さくなおじさんから電話が入る。曰く「二度も三度も呼び立ててすまないけど、人事の方と正式に面接して欲しいから、都合つけてくれないか」とのことで、一介の素浪人に過ぎない俺のこと、都合なんて幾らでもつく。ってか、ここまで来ると期待するなと言う方が無理で、もしポシャッたらショックでかいだろうなぁ......。
で、当日。幸いにも再び晴れで、それどころかコートも要らないくらいの上天気。「ホントに春になっちまったなぁ」などと感心しつついざ出かけようとしたその刹那、O社の美人営業ウーマン・S嬢からメール。曰く「近頃、如何お過ごしですか?」って、如何も何もこれからいよいよ面接で気分は俎板の上の鯉でございます。つったら、「私も今日、そっち方面で営業だから、面接終わったらどっかで待ち合わせてお茶しません?」って、こいつは春からツイてるぜ。なんて浮かれてないで面接だ面接っ! 傘張りしながら食うや食わずの浪人生活と相成るか、はたまた再仕官の望みが叶って本屋の店先に戻れるか、その瀬戸際なんだぞ。シャキッとせんかい俺っ!
っつー訳で、再びやって来た某書店の本部事務所。ロビーみたいなところに通されて人事の人が来るのを待ってた15分ほどの間、入れ替わり立ち代りやって来て声をかけてくれたのは恐らく営業部の偉い人たちで、曰く「面接っても形式的なもんだから固くならずにね。ここまでくれば、人間的に余程欠陥があったりしない限りは、まず決まりだから」だそうだが、それじゃあもし万が一この面接で弾かれたりしたら、《人間的に余程欠陥が》あるっちゅうことかいな? なんてツッ込めるほど精神的な余裕が在る訳はなく、俺はただ「はぁ」とか「えぇ」とかはっきりしない返事を繰り返すのが精一杯。
そうこうしている内に今日の本命、人事部の偉い人が現れて一緒に別室へ。何を訊かれてどう答えたのか今となっては全く思い出せないんだから、やはり相当アガッていたんだろう。全くこの肝っ玉が小さいのだけは、どうにかならんもんかと我ながらウンザリするが、まぁ大きな失策も無く40分程で面接は終了。帰りがけにふと覗くと、先ほど俺が座っていたロビーではもう一人別の若者が誰かを待つ風情。ひょっとして君も面接ですかい? お互い頑張ろうね、なんて励まし合ったり、出来る訳ゃ無ぇだろっつーの。「この蜘蛛の糸は己のものだぞ。お前たちは一体誰に尋いて、のぼって来た。下りろ。下りろ」と叫んだカンダタの気持ちを、俺はこの時初めて理解した(『蜘蛛の糸』芥川龍之介)。
いやもう、それからの2週間の長かったこと......。その心境は殆ど、合格発表を控えた受験生。ゲームをしてると散歩に行きたくなって、散歩に出れば本が読みたくなって、本を読めば映画が見たくなるってな調子で、何をやっても落ち着かない。採用の連絡を待ち侘びる余り、携帯依存症の女子中学生かってぐらいに着信ばっか気になるし、当然この連載の原稿なんか一歩たりとも進まない。
その待ちに待った携帯の着信は、関東でも派手に桜が咲きまくってる3月下旬。「配属等の細かい話があるから、もう一回来てや」と、こちらが拍子抜けするぐらいあっさり採用。パチパチパチ。そうして約束したのが4月の6日で、配属は今住んでるとこの隣の隣の県だから引越しが必要だけど、業界復帰を一度は諦めかけた俺としては、引越しなんか屁でもない。っつーか、よくよく考えてみれば2歳の時に今の県に越してきて以来、40年弱ずーっとここの県民だったから、他県で暮らすのは実質初めてで、何がという訳ではないけど浮き立つような気分になってくる。
で、その4月6日ってーのが、今年は出席出来ないと思っていた『本屋大賞』の授賞式。新しい任地への着任はまだだけど、すでに籍は入ってる以上、俺も立派な書店員。採用に関する細目を確認したら、矢も盾もたまらず明治記念館へレッツ・ゴーッ!
そしたらまぁ、当たり前だけど居るわ居るわあの顔もこの顔も。今日配属が決まったばかりで名刺なんか無いから、ネームプレートはペンで手書き。すると「おっ、早速新しい社名書いてるよ」と、横から茶々を入れてきたのはご存知・炎の営業氏。その隣で笑ってるのはY書房のK女史と、これまでメールでは何度もやり取りしてきたけど実際に会うのは初めてという名古屋方面のH女史&Y女史。T書房のU氏とはしょっちゅう一緒に飲んでるけど、この会場で会えるのはいつにも増して嬉しくてビール注ぎあって笑ってたら、「巨匠たち、こんな隅っこで何してんの?」ってーのは、おぉ、俺が絶対に足を向けては寝られないKオジサマで、「恩に着ます」を連発する俺に「いやぁ、ケン46さんの保証人になる訳じゃないんだから」と、これまた懐の深い一言。
それからはもう、同窓会のような再会ラッシュ! 例えば、その姿を遠目に認めはしたものの「多分、覚えてねぇだろうな」と思って声をかけずにいたら、逆に「ケン46さん、覚えてます?」って声をかけてくれたK社のF女史。「これでまた、仕事が面白くなりそうです」ってのはK出版のF氏で、この青年、実験的と言えば聞こえは良いが言い方換えれば俺の単なる思い付きを、いつも面白がってフォローしてくれた人。T社のS氏とは2年前、彼が異動で営業から外れた際に「営業マンと書店員として次に会える時までに、お互いレベルアップしとこうぜ」ってな約束をしていただけに、遂に念願かなって営業に復帰したばかりか、ナント、俺がこれから赴任するK店担当だっつーから喜びはひとしおだ。はたまた、「やっぱり来たね。戻って来たね」とニヤニヤ笑っているのはS社のN氏。先日、面接の後にお茶してくれたO社のS嬢も横で祝ってくれているし、他にもまだまだS社の編集T嬢だのS書店のU氏だの或いは業界紙SのM氏だの、この場で再び会えるなんて殆ど諦めていた大好きな人たちがもうてんこ盛り!
当然その後はズブズブで、どうやって帰宅したのかとんと記憶がございません。が、兎に角皆さん、ありがとう。業界復帰を喜んでくれた皆さんの、気持ちに応えられるように精出しますんで、今後も何卒宜しくお願い申し上げます。
ってな訳で4月の某日、ボンネットの若葉マークも瑞々しく、覚束ない手つき足つきで高速道路を一直線。引越しだ引越しだ。♪ さぁ行くんだぁ、その顔を上~げてぇ。新しい風に、心を洗おうぅ~ なんて口ずさみつつトンネルを抜けたらすぐ脇が空港で、飛び立つ飛行機と着陸する飛行機がサイドウィンドウの向こうで行ったり来たり。気分はさしずめ『トップ・ガン』。KAWASAKIのNinjaじゃないけどサ。
で、引越しが終わって諸々の手続きなんかも済んでホッと一息つきながら、今、この駄文を書いてる訳だがその前に、これまでの『店長の星』を読み直してみた訳だ。自分で言うのもなんだが、よくやったな俺。朝、一人で床のモップがけしながら、マジで涙出て来たもんなぁ、何回かは。あれからまだ1年も経ってないんだな......。なんか色々あり過ぎて嘘みてえ。勿論、この経験は将来きっと無駄にはならんとは思う。したくて出来る経験じゃなかったしね。だけどね、「じゃあも一度やるか?」って訊かれたら絶対嫌だよ。っつーか、未だに時々、夢見るんですけど......。このまんまじゃトラウマになっちまいそうだけど、そうならないように心機一転、新しい土地、新しい会社、そして新しい売り場で、再び七転び八起きを繰り返そう。そんでもってKオジサマを筆頭に変わらず応援してくれる人たちに「俺の目に狂いは無かった」と、いつか言って貰えるように、ジリジリと前進して行こう。それにしても、40を目の前に人生の再出発するとは思わなかったよ、いやマジで......。
そんな訳で、当初描いていた≪A店奇跡の復活≫というシナリオからは大きくずれてしまったが、『店長の星』第一部はこれにて幕引き。長々とご愛読頂きありがとうございました。(^.^)/~~~
ん!? ちょっと待てコラ。≪第一部≫ってどういう意味だよ......?