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第1章

『驚異! 「プリントゴッコ」と綿埃の着任初日』

シリウスの道〈上〉 (文春文庫)
『シリウスの道〈上〉 (文春文庫)』
藤原 伊織
文藝春秋
540円(税込)
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 っつー訳でいよいよA店着任であるが、無論スムーズになど、いく筈が無い。そもそも赴任4日目でいきなり棚卸しって、本部のお偉方は一体何を考えているのだろう?

 今回の異動に関しては、俺は「嫌だ」とも「嬉しい」とも、オフィシャルな場では一切口にはしていない。別に男らしくとか潔くなどと考えた訳では無く――それが証拠に、こんなところでブーブー文句を垂れている――一度口を開いたが最後不満憤懣が溢れ出て、極論暴論objectionになることを恐れただけだが、兎に角、一社員という立場では会社に対してひたすら沈黙し続けた。落ち込み傷ついているのを見抜かれるのも厭だったし、下手に励まされたりしたら余計に腹が立ちそうだったし、ね。だけど、このスケジュールにだけは異議を唱えた。ってか、唱えざるを得んだろう!?

 まぁ、紆余曲折を経て予定はめでたく変更された。つまり、8月29日という棚卸しの日程は変えられないので、着任予定を26日から31日に先送り。......何故そんなにも焦るんだ、本部? 例えばキリ良く9月1日からだと、何か不都合でも在るのでせうか? 全く俺のような下々の者には、エライ人の考えることはよく解らん。

 さてさて愚痴はここまでにして、兎にも角にも着任初日。真っ先にやらなきゃならんのは、当然ながら前任者からの引き継ぎである。事前に受けた連絡によると、何でも遠路はるばる本部からもエライ人がやって来て、前任者、エライ人、俺の3人で引き継ぎをやるという。これは頼もしい。ワガシャにしては上出来だ。何だかんだと粋がってはいても、俺は店長職は初めてだ。一からご教授頂かないと、実は右も左も分からない。多少の不安を抱えつつ、待つこと暫し......。

 その間皆さんには、当A店の概況をザッと説明しておこう。立地は、前回も言った通り典型的な郊外型。地域では極太と言うべき片側2車線の道路に沿って、安さが爆発してる家電屋さんやギネスに載った紳士服屋さんを初め、焼肉屋、カラオケボックス、ガソリンスタンド、中古車屋などなどがぽつんぽつんと並んでおり、A店もその間に建っているという具合。因みに店から30秒歩くと、一面に田んぼが広がって蛙がゲコゲコ鳴いている。その遥か向こうに視線を伸ばすと、一直線に伸びた高速道路が空と大地を分けており、昇る朝日も沈む夕日もなかなかのもの。実に開放的なこの環境だけは、都内の店舗には無い魅力。だが驚いたことに、売り場面積は200坪。ってーことは俺がこの間までいたB店よりも広いんだけど、売り上げは30%って、幾ら田舎とはいえどーなんだ? しかも、だ。勤務するスタッフの内、社員は俺ともう一人だけ。あとは全部アルバイト。まぁ全部と言っても、10人そこそこしかいないんだけどね。そこまで人件費を削っても尚赤字だってんだから、一体どんな店なんだ? ってか、俺ってもしかして昇進ってよりも敗戦処理?

 ここで思い出したのが、俺が最も敬愛する作家、藤原伊織さんの最高傑作『シリウスの道』(文春文庫)。主人公の辰村に異動の話が持ち上がる場面。

《支社なら格落ちになるとはいえ、部長昇格である以上、建前は昇進だ。大和田はじめ、だれひとり抵抗する理由がない。やっかいな人物を追放する常套手段である。豊原のいったように、いったん追放されれば、いつ本社にもどれるかわからない。定年まで支社部長で飼い殺しというケースもじゅうぶん想定できる。だが、それがサラリーマン社会だった》。

う~む、俺は辰村ほど仕事は出来ないが、「やっかいな人物」である自覚なら充分にある。控え目に言っても、本部のお偉方に「素直な良い奴だ」と思われてる可能性は皆無だろう。こりゃあ、定年までA店・店長で飼い殺し、かな......? 知り合いの書店員の一人からは、「昇進しても傷心......」なんてメールが来たが、なかなか上手いことを言うじゃねーか。

 閑話休題。8月31日のA店に話を戻そう。本部のエライ人と前任の店長が揃ったところで、いよいよ待ちに待った(待ってないけど)引き継ぎの開始である。

 まずは、売り上げ金や釣り銭準備金など、店に在る現金の確認だ。これをしっかりやっておかないと、例えば後で俺が店の金を着服しても、「いやぁ、最初っから無かったっすよー」などと言い逃れ出来てしまうし、逆に前任者がネコババしても、「ちゃんと在った筈だ」と言い張られたらそれ迄である。無論、金庫内も含めて全ての現金に異常は無く、俺と前任者は揃って書類に判を捺す。続いて、販売用の図書カードだのCDギフト券だのといった金券の確認で、これも現金の場合と同様、後々の無用なトラブルを避ける為の措置であり、当然ながら異常無し。

 とまぁここまでは言わば単純な申し送りで、これからいよいよ本格的な店長研修が始まるのかと思いきや、さに非ず。コレには俺も腰を抜かすほど驚いたんだが、「異常が無ければ我々はこれで」って、エライ人も前任の店長も、さっさと帰っちまいやんの。エライ人よ、貴方は一体何しに来たんだ?

 ┐(――;)┌

 ......えーっと、何つーかこう、教育って言うか育成っていうか、店長という大役を初めて背負わんとしている有為の人材に対してさ、実習とか講習とか訓練とか、もうちっと何かあっても良かねーか? めちゃめちゃ〝はしご外された気分〟なんですけど。だって予定表見ると、「人事考課ナンタラ報告書」の提出期限が5日後の9月5日になってるじゃん。はっきり言ってそんな書類、今まで一度も見たこと無ぇーぞ。それに今日が棚卸しの翌々日ってことはひょっとして、決算関係の膨大な量の書類を9月の末にはまとめて、本部に送らなきゃいけなかったりしないっけ? マジ全っ然、解んないんですけど......。

♪ そし~て僕は、途方に暮れる~

 なんて馬鹿を言ってるところにやって来たのは本日からのパートナー、俺以外の唯一の社員の純平君。ルックスは「嵐」の松本潤か「V6」の岡田准一辺りの雰囲気で、ちょいと線が細いがなかなかの二枚目である。そんな彼が自己紹介もそこそこに言うことには、「棚卸し漏れが見つかりました」だそうな。いきなりコレかよ。
 (=_=)
しかも、だ。「どれだどれだ?」と純平君に案内して貰ったバックヤードで見たものは......、......。

 あのサ、コレって気のせいかも知れないけどもしかして、「プリントゴッコ」とかいう家庭用印刷機だったりしなぁい? 昔々、年賀状に使った奴。所ジョージがCMやってたっけ? 棚卸し漏れって、まさかとは思うけどひょっとしてコレのこと? っつーことは、いつどこから仕入れたんだか知らないけど、コレも歴とした商品なんだよね? 箱なんか焼けちゃって、赤が殆ど朱色になってるよ......。絶対に神に誓って何が何でも売れないと思うけど、当然、返品なんか効かないんだろーね? しかも3台もあるように見えるんだけど目の錯覚かなぁ!? なんか俺、初日から絶好調!? ヒューヒューッ!

 さて。

 引き継ぎ(という名の金の確認)も終わった。棚卸しの手違いもクリアにした(ような気がする)。異動に伴う急務といったものは、どうやら他には無さそうである(ホントか?)。ならば売り場を見てみましょう。本屋の仕事の醍醐味は、やっぱり棚であり平台である。事務所でガチャガチャと書類なんぞ書いていても、或いはパソコンいじって数字と睨めっこしていても、ちっとも面白くないしお客さんだって喜ばない。まぁそれでもやんなきゃいけない時はやんなきゃいけないんだけど、取り敢えずそんな鬱陶しいものは今は無い。ワイシャツの胸ポケットに名札を付けてボールペン差して、第二ボタンと第三ボタンの間にネクタイをねじ込んで、いざ出陣。

 ......、......。あのさ、ちょっと訊きたいんだけど、どーやったら店中こんなに埃だらけに出来る訳? 床や什器だけでなく平台に積んである商品も、撫でると指に埃が付くぞ。ストッカー開けると、その勢いで埃が舞うぞ。低い棚を整理するのにちょいとかがんで膝を着くと、そこんとこだけズボンが真っ白になっちゃうぞ。駅ビルやショッピングモール内の店舗と違って、路面店は入り口の外がすぐに道路だから、砂埃が多いと聞いてはいた。聞いてはいたが、明らかに限度を超えてるぞ。

 そして俺が何より驚いたのは、さっきまでいたエライ人も、この状況見て何も言わなかったってこと。まさかこれが標準と思ってる訳じゃあるまいな。って言うかさ、「ケン46君は出版社とのパイプが太いからね。ここ、なかなか新刊とか売れ筋が入って来ない店だから、何とかケン46君の力でね、商品確保してね、売り上げ上げて下さいよ」とか言ってたけどさ、商品が入って来るとか来ないとか、それ以前の問題だろうコレ!? 前年割れだろうが赤字だろうが、俺に言わせりゃ、今まで売り上げが立ってた方が不思議だぞ。いや、マジで。

 俺の~行く~道は~、果てし~無く~遠い~。なんだか『ちびまるこちゃん』(さくらももこ、集英社)風に、顔に縦線入れたい気分だよ......。

 (*´Д`)=з

 なんてため息ついてる場合じゃねーぞ。頑張れ、俺。取り敢えず、新刊だドラマ化だ『王様のブランチ』だと騒ぐ前に、最優先でクリンネスだな。今のまんまじゃ、倉庫なんだか売り場なんだか判りゃしねえ。って言うか、むしろ倉庫の方がキレイなんじゃねーか? 因みにどうやら他のスタッフ君たちは、長年この状態で過ごしてきたから「こんなもんだ」と思っているだけで、決してやる気が無い訳ではなさそうだ(と、願う)。それだけに現状が決して普通ではなく激しく異常であるということに、気付かせるには少々時間がかかるかも知れないが、ツベコベ言ってるヒマは無い。隗より始めよで、まずは俺から。さぁ、やるぞっ!!

 と張り切ったのも束の間、まともな掃除道具すら無いのは案の定。箒、見当たらず。ちり取り、分解しかかったのが2個。モップ、以前使った時の形に固まってカピカピのが1本。モップを搾るローラーが付いたバケツ、やはり見当たらず。......なんか、ウルトラ出鼻挫かれた気分......。唯一まともなのは棚や商品の埃を拭うダスキンのハンディモップ。まるで卸したてみたいにピッカピカなのは、要するに今まで殆ど使ってなかったっちゅーことか。

 ここは車で通勤している純平君に、お使いを頼むことにする。悪いけど掃除道具一式、買って来てくんない? 領収書、忘れずに。えっ、経理? 構わん。何かブツクサ言ってきたら全て俺に回せ。掃除用具が無くて掃除が出来ない小売店って、在り得ないから、少なくとも現代の日本では。

 待つこと暫し。近所のホームセンターから帰って来た純平君がやけにニコニコしていると思ったら、「僕もモップとか欲しかったんですけど、なかなか許可が下りなくて」だそうだ。ヨシッ、やるぞ。これからは必要なものは遠慮無くバンバン買うぞ。その代わり、一年後には目ん玉跳び出るくらい、売り上げ上げるからその心算でいるよーに。そのとっ始め、まず今週は、店内大クリーニング週間だ! 今、思い付いただけだけど。

 早速、目の前のストッカー引っ張り出して、嬉々として箒を突っ込む純平君。次の瞬間出てきたのは、よれよれのレロレロになった料理の本。しかも差さっている常備スリップは、〝返品期限03年10月〟......。

《夜は、明ける前が一番暗い》と言うではないか。負けるな、俺。

 っつー訳で早くも前途多難なA店勤務。次回は『遂に突入! A店の棚。その驚くべき全貌が今、明らかに!! 軍手とマスクは必携さ』。お楽しみに。

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