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「坂の上のパルコ」 第2回第4話

「パルコ渋谷店に行けば、なんとかなる」

田丸慶(河出書房新社)×矢部潤子(リブロ池袋本店)

第4話 書店員と営業マンの幸福な関係

矢部
泣きそうになるっていえば、当時の田丸さんも泣きそうになっていたよね。なんか途中で物流部門も忙しくなってきたとかで、夜遅く、何時に電話してもいるんだもん。
田丸
物流もやってましたからね。そっちで怒られることがいろいろあったんですよ。
矢部
システムを入れ替えるとかだっけ?
田丸
そうです。それまで社内で在庫が合わないとか、ずーっとガタガタやっていたんですけど、だったらもう一気にシステムを入れ替えようって時期だったんですよ。そうしたら毎日毎日予期せぬトラブルが出て来ちゃって、それこそ注文短冊が出力されないとか、ピッキングリストが出ないだとか。今日こそは矢部さんのところに営業に行こうと思っていたのに、会社から抜け出せないんですよ。単純なミスなんですけど、物流は一日でも止まったら大変なことになるんで、それはもう大変でした。止まったでは許されないから、なんとかしなくちゃならない。
矢部
えらい夜に来たりするんだよね。9時頃とかね。
田丸
ふつう書店さんに夜、営業に行くなんてないですよね。夜、行ったら怒られたりしますよ。でももう現実逃避なんですね、たぶん。矢部さんにいろいろ聞いて欲しいっていうか、全然違う話をしたくなるんですよ。
矢部
私に言っても何の解決にもならないんだけど(笑)。
田丸
そうですよね、矢部さんとピッキングリストは何の関係もないですもんね。でも矢部さんの顔を見れば何とかなるような気がしていたんです。
矢部
なるわけないよ(笑)。
田丸
そうなんですけど、気持ちの問題なんです。前向きな気持ちになって、翌日会社に行けるわけですよ。当時、僕のなかには矢部さんのところしか幸せな場所はなかったんです。
矢部
何いってんだよ(笑)。
田丸
月曜のFAXがあって、それがまず幸せで、あとはもう何かがあったら銀座線に乗って渋谷に行って、パルコの地下に降りて、矢部さんの顔を見ると「明日はなんとかなるだろう、なんとかなる!」って思えたんですよ。じゃないと家にも帰れない気分でした。
矢部
ハハハ。
田丸
でもですね、ほんとなんとかなったんですよ。なんとかなったからこそ、今があるんですよ。当時の僕は、P-BC渋谷店で『ロックンロールミシン』やほかのJ文学が売れているのが支えでした。
矢部
まさか人助けになっているとは思わなかったな(笑)。その支えのJ文学は、1999年ぐらいが終焉だったのかな? そろそろこういう括りは恥ずかしいかもみたいな雰囲気になっていたんじゃないかな。
田丸
前回の藤本さんとの対談でも語られてましたけど、「あっそういうもんなんだ」ってみんなが気づいたときには終わりが近づいているんですよね。
矢部
元々J文学の読者自体が、半歩進んでいる感を持って読んでいた人たちが多かったわけだから、それが括りで認知されちゃうと、もう違うところに行っちゃうんだよね。同じものでも違う括りだったら買うかもしれないけれど。
田丸
J文学自体も当初マスじゃなかったわけでして、河出書房としても誰もそこまで大きくなるなんて考えてもいなかったわけですよ。「文藝賞」もどんなに赤字でも毎年やっていく。で、いろんな小説を求めて、集めて、読んで、賞を与えて、それがどういう効果を生むのかわからないんだけど、でも新人の登竜門みたいなものを作って行きたかったんですね。大手文芸誌に向こうを張るみたいな。97年の冬くらいからJ文学の流れみたいなものが出てきて、鈴木清剛と星野智幸が受賞して、矢部さんのところで展開してもらって、かーんときた。それで全国でフェア展開して、今までの文藝賞の倍以上売れていた。そして、まあ何年か経って終焉の時期を迎えたんですけど、若い人が読む、それもミステリーでもなく、エンターテインメントでもない、純文学というのは、その時代、その時代にあるんだろうと。我々はそれを渋谷系文学とかJ文学と名付けたけど、また別のかたちで出てくるだろうと思いますし、綿矢りさなんかもそうだと思います。
矢部
そうだね。
田丸
それと書き手の方も、たぶんおそらくですけど、あの頃のP-BC渋谷店で本を買っていた人たちが「自分でも書けるかもしれない」って作家になっていった人もいると思います。
矢部
そんな大それた(笑)。販売の方はあの頃と今で違う?
田丸
当時の新刊の流し方は基本的に実績によるランク配本だったんですね。だから河出書房で指定配本をし出したのは、P-BC渋谷店が初めてですね。スリップ枚数から言ったら出せないような数を、でもやってみようよ!みたいな感じで枠を取っ払っちゃったのは、あのときが初めでした。
矢部
そうなの?
田丸
でも今はなぜか元に戻っていたりして......。
矢部
データが全部見られるからでしょう?
田丸
それとP-BC渋谷店みたいな特出した売り方をする書店が少なくなってきたんですね。だから指定する必要がないんですよね。5部10部で足りちゃうっていうか。あと何回かやってみるんですけど、結果がでないから、出版社としても何回もできないよっていうのがあるんですね。
矢部
そうか。じゃあこういう本を出すからあそこで売ってもらおうみたいなのは少なくなって来ているのか。
田丸
少なくなっている感じがしますね。文庫や新書はあるかもしれないですけど、例えば当時の文藝賞を80部やろう、みたいな感じのお店は少ないですよね。みんなが驚くような本に、驚くような注文は出てこないですね。
矢部
それが楽しかったんだけどね。
田丸
まあ今は返品率も全部見えちゃいますから、若い担当者も「これ仕上がりどうなの?」とか「実績出てないじゃん」なんて言われるわけですね。でもそんなこと言いだしたら何もできなくなっちゃうわけですよ。
矢部
最近は外れたくないっていう気持ちが強いかもしれないね。
田丸
自分を信じてやらないとダメなんですよね。KYって言葉があるとしたら、KYじゃダメなんですよ。空気を読んでいたらダメなんです。みんなと一緒ではだめで、それはいいから自分で思うことをやって欲しいし、やっていきたいですよね。まあ読者側のKYで、みんなが読んでいる本を読もうって意識になっているのかもしれないですけど。
矢部
じゃあ、KYじゃない発注が来たら出荷する?(笑)
田丸
絶対出します! だって今そんなのほとんどないんだもん。ほんとにないですよ。そうすると会社もね、適正ってあるだろう、なんて言い出すようになっちゃうんですよ。某ナショナルチェーンの注文数は全体の何%とかって発想で。でも、そうじゃなくて、非常識な部数であっても、担当がやる、そのお店がやるっていったときは、河出書房は絶対やりますよ。もちろん結果は見なきゃいけないんですけど、そういうトライは受け入れますよ。
矢部
力強いね。
田丸
そういう書店員さんに出てきて欲しいんですよね。イレギュラーのことを我々出版社の営業に押し通してくれるような。そういうときは、だいたい僕らも同じ気持ちになりますから。
矢部
どうすると同じ気持ちになってもらえるのかな。
田丸
出版社の営業マンもお一人でいいから、この書店員さんともう俺はなんか新しいことを起こすんだとか、すべてを投げ出して飛びこんで何かができる、みたいな人を作らなきゃいけないと思うんですよ。広く浅くでなく、パッとタッグを組んで行けるところまで行ってみる。まあ、僕が言ってるだけで正解かどうかわからないですけど。
矢部
いいねえ。まあ当時は、あれしかないように思えたんだけどね。また、あれはあれでどっかで行き詰まったかもしれないとも考えているんだけどね。でも楽しかったね。

(了)

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