「坂の上のパルコ」 第3回第1話
「サブカルチャーの神話」
松村由貴氏(元太田出版・渋谷担当)×矢部潤子(リブロ池袋本店)
「坂の上のパルコ」第3回は、前回のJ文学とともにパルコ渋谷店の文芸書を支えた「バカ本」台の中心である、サブカル本の話を当時太田出版の営業部で渋谷地区担当でいらした松村由貴氏と語っていただいた。サブカルの歴史から、『完全自殺マニュアル』の騒動、「クイックジャパン」の創刊時の話、そして出版業界に導入されていったPOSの話など、夜遅くまで池袋の飲み屋で語りあって頂きました。同時代をともに走った営業マンと書店員の関係が浮き上がってきます。乞うご期待!
第1話 1993年に始まった
- 松村
- 実はぼく、ちょっと昨日、調べてみたの。
- 矢部
- 記憶を読み戻した?
- 松村
- うん。そうするとね、P-BC渋谷店のオープンが、1993年の3月ですよね?
- 矢部
- そうだね。
- 松村
- それで1992年の8月に雑誌の「宝島」がリニューアルしているんです。あの、サブカルチャーの聖域「宝島」が。
- 矢部
- へえ。
- 松村
- それは何かっていうと、誌面をヘアヌードに切り替えた事件。それが92年の8月なんですよ。
- 矢部
- ほおー。
- 松村
- つまりその「宝島」が、かつての「ワンダーランド」から脈々とね、アングラものを含め一手に引き受けてきたサブカルの雑誌をやめた瞬間が、P-BC渋谷店オープンする前の夏なんですよね。
- 矢部
- ああ、そうなんだ。しかし大それたことと比較するね。
- 松村
- それから一年経った1993年の7月に、太田出版が『完全自殺マニュアル』を発売するわけですね。
- 矢部
- 太田出版といったらP-BC渋谷店の場合、まずそれになるね。
- 松村
- さらに翌月の8月、飛鳥新社時代の「クイックジャパン」創刊準備号が出るんだね。4000部。だから、なんかね、そっから始まるんですよ、やっぱり。と、ぼくは思ったの。
- 矢部
- なるほどね。93年なんだ。
- 松村
- そう。『完全自殺マニュアル』鶴見済著(太田出版)が93年の7月。
- 矢部
- それが松村氏との初めの出会いだっけ?
- 松村
- ぼくはね、94年の1月なんだな。
- 矢部
- そうなの?
- 松村
- そうだよ。
- 矢部
- じゃあP-BC渋谷店オープンからじゃないの?
- 松村
- ちがうちがう。93年は、ぼくはまだ編集部で落ちぶれていたんだ。
- 矢部
- えっ? 編集部にいたの?
- 松村
- そうそう。宇宙人の本とか作ってたの。あと団鬼六さんの著作とかね。
- 矢部
- あっ、そうなのか。
- 松村
- うん。
- 矢部
- そこからなに、営業部に異動になったの?
- 松村
- そう。94年の1月から太田出版の営業企画部長になったの。それで矢部さんのところ行って最初のご挨拶しています。
- 矢部
- じゃあ、『完全自殺マニュアル』の発売の時は違う営業マンが来ていたんだ。
- 松村
- 発売当初はそれほど大きく展開していなかったんですよ。
- 矢部
- でもお店の方針なんかないよね?
- 松村
- なかった。
- 矢部
- 私が気がついてなかったんじゃないかなあ。でもこのベストテンをみるといきなり7位に入って、10冊売れてるよ。
- 松村
- えっ、まじ? あっ、ほんとだ。売れてるじゃん。
- 矢部
- 備考欄にこんなこと書いてあるよ。「『完全自殺マニュアル』は思わずページをめくる」って。これ私の字じゃなくて、当時の文芸担当の字だけどね。翌週は17冊売れてる。
- 松村
- ジワジワと来てるときですよ。
- 矢部
- そう。でもさ、ずっと10部、10部って感じだったんだよね。
- 松村
- 最初から爆発的に売れたわけじゃないんですよね。本と一緒に死体が、とか問題になってからですね。
- 矢部
- いろいろと問題にね。
- 松村
- そうやって騒がれてから、どーんと売れたんですよ。
- 矢部
- しかしPーBC渋谷店では、事件になる前からベストテンに毎週入り続けているよ。
- 松村
- すごいですねえ。
- 矢部
- これはふつうに新刊的勢いなんじゃない? ふつうにP-BC渋谷店のお客さんが買っていたんだよ。
- 松村
- それがついに9月になって『マディソン郡の橋』ロバート・ジェームズ・ウォラー(文春文庫当時は単行本)を抜いて1位になってしまった(笑)。
- 矢部
- 来た来た来た、52冊。うわっ、翌週は69冊だよ。
- 松村
- はぁー、すごいですねえ。
- 矢部
- ああ、でもこの後『見仏記』いとうせいこう/みうらじゅん(角川文庫、当時は中央公論社)に抜かれるんだ。サイン会があったのかもしれないけれど。
- 松村
- ははは。しかし、ずーっとベスト3に入ってるな。10月にはまた1位に返り咲いたりして。なんか新聞に出たり、いろいろ騒がれるたびにトントンと上がるという感じ。
- 矢部
- そういえば松村さんがお店に来たときには、もうビニ本にしていたんだっけ。
- 松村
- えっ、P-BC渋谷店さんで?
- 矢部
- いや、うちは何もしなかったけど、『完全自殺マニュアル』はコミックみたいにビニールかけて出庫するみたいなことしてなかったっけ?
- 松村
- それはずっと後です。
- 矢部
- ずっと後?
- 松村
- 1999年か2000年ぐらいですよ。
- 矢部
- そんな後だったっけ。しかしベストテンに半年以上入ってるんだ。長いね。あれ、柳の下の......も出したよね? 『ぼくたちの完全自殺マニュアル』だっけ?
- 松村
- あっはっはっ。反響を集めた本なんですけど。ぼく、矢部さんから聞いてすごく印象に残ってることがあるんですけど。
- 矢部
- なに?
- 松村
- 例えば村上春樹だとかの新刊を50部くれって注文しても、大手出版社はみんな実績主義だから新規店には入ってこないって。
- 矢部
- そうそうオープン当初なんてまったく相手にしてもらえなかったからね。
- 松村
- その時に太田出版としては、ラッキーだなって思ったんですよ。それでいろんな本を提案してみた。
- 矢部
- だってまともなものって言ったらあれだけど、ベストセラーやらは入ってこないわけさ。入んないなら置きようもないし。それで他のものを置いていったら、ちゃんと売れちゃうし。
- 松村
- そうですよね。でも売れる力は、やっぱり渋谷にあったんだろうと。『完全自殺マニュアル』も別に流行る前から売れているし、それにそんなベストに入るようなお店ほかにそんなになかったですし。
- 矢部
- でも、やっぱり売れる本屋さんと売れない本屋さんがあったでしょう?
- 松村
- あった。最初はね。なんかこう面白さをどの辺で見つけてくれるかっていうお客さんのなんていうの、質って言っちゃうと失礼なんだけど、層だね、客層の問題もやっぱりあるんだよね。
- 矢部
- うん。
- 松村
- で、おそらく騒がれて以降は、エログロ見たさや恐いもの見たさのお客さんが半分以上。ところが最初の頃はそうじゃなかったんじゃないかっていうのが、ぼくがずっと思ってることでね。やっぱりね、それは著者が思ったり、出版社が出した意図っていうのに反応してくれてた人なんだと。例えば『完全自殺マニュアル』で言えば、やっぱり、もうそれくらい腹を括らないと、世の中面白くねえんだと。
- 矢部
- うんうん。
- 松村
- で、その、死ぬって決めればなんでも出来るっていうのがひとつあるし、死ぬと決めれば何が起ころうがいいじゃんっていうのもあるし。それでそうすると気が楽になるというか、うーん、なんだろう。ちょっと死ぬっていうのはさ、どっかこう実際考えてみたら、唯一自分がさ、世の中に出来る最大のパフォーマンスだったりしてね。
- 矢部
- そうだよね、選べるもんね、自分がね。
- 松村
- だから93年なんだよね。バブルももうはじけちゃって、それまでに大人たちが作り上げた、ガッチリしたもうお金儲けのシステムが出来上がっちゃっていて、そっから出ていこうとすると、もうワーキングプアが始まっていたわけですよ。
- 矢部
- そうなんだよね、今の始まりなんだよね。
- 松村
- 始まりなんですよ。芽はすでにその時期にあったんですよ、おそらく。
- 矢部
- 今日はテーマがすごいね。
- 松村
- そういうことに、日々鬱々としてた子たちがきっと買ってくれたんではないかなあという感じですね。その初期の動きは。そんな気がする。
- 矢部
- そうかもしれないね。15、6年前?
- 松村
- うん、93年だから。
- 矢部
- たぶん最初に買ってくれたのは二十歳前ぐらいの子でしょう。
- 松村
- うん。
- 矢部
- じゃあ、もう今35、6歳なんだね。
- 松村
- 刺激を求めてたって言っちゃうと、そういうふうになっちまうんだろうけど、もっと言っちゃうと、なんでじゃあ刺激を求めてんのかっていうと、日々夢を奪われていった世代なんだよね。そういう子たちが、まだ抵抗していた時代が、サブカルチャー全盛期というかP-BC渋谷店でいうバカ本全盛期ってことなんだと思うんですけどね。
- 矢部
- そうだね。
- 松村
- 抵抗をやめちゃってからオタクになっていくわけでしょう? それはかたちを変えた抵抗っていう面はもちろんあるんだけど。
- 矢部
- うん。
- 松村
- サブカルだとかオタクを、まあ売れる本を通して見てきた感じでは、そう思うんですけどね。
- 矢部
- だってもう今はさ、サブカルというジャンル自体そんなに成立してないもんね。
- 松村
- もうしてないですね。
- 矢部
- 勢いもないしね。
- 松村
- 「宝島」がやっていた頃は、きっともっと古い言葉でカウンターカルチャーだったと思うんですよ。
- 矢部
- そうだよね。
- 松村
- それこそ、どっかこう、大人たちの変な文化に対しての、まあ、60年代安保なり、70年代安保がこうかたちを変えたね、読み物だったんだと思うんですよね、「宝島」がずっとやっていたのは。
- 矢部
- うん。
- 松村
- その抵抗の仕方が、ちょっと行き詰まっちゃって。それで92年の夏に終わるんだと思うんですよ。
- 矢部
- その頃だね。
- 松村
- それで終わっちゃって、93年の夏まで、一年かかるわけですよ、『完全自殺マニュアル』が出るまで。その一年の間で、なんか次にいろいろ、こう一つ突き破るものはって言ったら、よし、じゃあ自分の命は自分のものだって思い始めようって言うね。国のもんでもなく、もっと言っちゃうと親のもんでもなく、自分の命をどうするかぐらい自分で決めさせろっていうかさ、それくらいの権利はあっていいだろうっていう開き直り。いろんな抵抗してきたんけど、すべてそういう抵抗も失敗に終わったあと。じゃあ最後自分に残された何かって言ったら命。それを逆手にとって鶴見済氏は書くわけですよ。昔なら小説のテーマだからさ。それを時代に合わせてマニュアルにしただけの事なんだから。
- 矢部
- そういう体裁にしたんだよね。
- 松村
- そこが鶴見さんの賢いところでね。
- 矢部
- たしかに。でもやっぱり新鮮だったと思うよ。
- 松村
- そういう文脈にうまーく乗っかってくれる人たちが、やっぱり渋谷にいたんだと思う。
- 矢部
- でも、最初に動いたのは地域的に何かあるの?
- 松村
- ないない。
- 矢部
- やっぱり世代?
- 松村
- うん。もう単純に世代だと思う。20代のセンスのいい子? 何か変な実力っていうか、どっか自信を持っているんだけど、でも、その自信は自分だけのものでしかなく、世の中では認められない自信っていうか。
- 矢部
- 何か空回りしているようなね。
- 松村
- 空回りしちゃう世代ですよね。そういう子たちが渋谷を闊歩してたんだと思う。あの時期は。それで、片一方ではJ文学みたいなものを読んだし、物語すらも疲れちゃってた人たちは、こういうマニュアルっぽいのでパツッ、パツッと読んでいけるものを面白がってくれたのではないかな。まあ全部後付だけど(笑)。
- 矢部
- でも『完全自殺マニュアル』は、P-BC渋谷店だけで売れていたわけじゃないでしょう? 話題になる前だけど。
- 松村
- 何店舗かあるんですよ。ええとね、松戸の良文堂。あとリブロの池袋店ね。
- 矢部
- へー。
- 松村
- この3店舗は突出してた。P-BC渋谷店は割と今の話を聞くと、要するに矢部さんは無意識って言うか、ある種、無自覚で売っていたでしょう。
- 矢部
- まったく無自覚。特に最初の方は。
- 松村
- それでね、リブロ池袋店さんは、最初置いてくれなかったんですよ。
- 矢部
- あっ、そうなの?
- 松村
- 営業担当が日参して、今、ぼくが話したように、こういう本なんだって一生懸命説明したんですね。それで本当なんだな? 大丈夫なんだな? 自殺を進めてる本じゃないんだな? って。読むと本当は簡単に死ねないということが分かる本でもあるんですよ。まあ、そういう感じで置いてもらった。
- 矢部
- リブロなんかすぐ置きそうなのにね。
- 松村
- いやそこまで説明したから、そういう置き方してくれたんだと思うの。つまり怪しい本の扱いじゃなくて。
- 矢部
- ふつうの本としてね。
- 松村
- 腹括ってリブロも置いてくれたから、ドンと売れた。それと松戸の良文堂は「面白いっ!」って。駅に向かって一面ガラスばりのところに全部並べたの。
- 矢部
- すごいじゃない。
- 松村
- それだけで100冊くらい必要なんだけど。その後は、だって一店舗からの注文が1000冊とかなんだもん。
- 矢部
- えー!?
- 松村
- 今は良文堂にいないんだけど、Yさんって当時の仕入れの方が、もう俺んとこはとにかく売っちゃうからって。
- 矢部
- みんな置いている理由が違ったんだね。うちは無自覚だったけど(笑)。
- 松村
- でもね、それが実は矢部さんのお店のすごいところだった。あれで矢部さんが色気出して何かやってたらちょっと違うことになってたと思うんだ。
- 矢部
- そうそう、良くも悪くも。
- 松村
- 自然体でやっていて、おっ、これ売れるじゃんとか言って電話かかってきて「なんか売れちゃってんだけど」「え? なになに、何売れてる? じゃあ持ってく持ってく」っていうのが、しょっちゅうあった。実はさ、こっちも分かんないのよ、P-BC渋谷店でどの本が売れるか。わからないまま矢部さんのところに持っていくと矢部さんもわかんないの。
- 矢部
- そうそう、わかんない(笑)。
- 松村
- じゃあとりあえず20部くらいにしとく? とかいって、入れさせてもらってさ。
- 矢部
- で、置いておくのね。
- 松村
- 次、訪問したら、「あれ? ないよー」なんて。「えっ?! ない?」なんて(笑)。
- 矢部
- 「わかんない、ないんだよねーっ」て(笑)。
- 松村
- だから実は、こっちも気付かされるっていうか。なんだ、渋谷でいけんじゃんって話になって。ということは、まあ渋谷のお客さんのイメージは『完全自殺マニュアル』の売れ方で理解しているから、あっ、そういうお客さんに届くんだこの本、っていう風になっていくんだよね。それは編集者同士の話とかそういうんじゃなくて、数を元にした話だからすっごいリアルだった。
- 矢部
- そりゃそうだよね。
- 松村
- じゃあもっと刷っちゃおうかとかさ(笑)。
- 矢部
- 当時は、今よりざっくりだからね。
- 松村
- それに大雑把な会社だったから(笑)。当時はですよ、当時は。
(つづく 次回更新は8月5日)