「坂の上のパルコ」 第3回第2話
「サブカルチャーの神話」
松村由貴氏(元太田出版・渋谷担当)×矢部潤子(リブロ池袋本店)
第2話 クイックジャパンと渋谷
- 矢部
- 「クイックジャパン」の創刊号っていうのは飛鳥新社だったけど、何号目から太田出版に移ったんだっけ?
- 松村
- あのね1号目。創刊号から太田出版。
- 矢部
- じゃあ創刊準備号の0号が飛鳥新社だったんだ。
- 松村
- 0号は飛鳥新社で、でも会社としてでなく、赤田祐一君がね、自費で作ったんだよ。
- 矢部
- 自費? そうなんだ?
- 松村
- 私財を投げ打って4000部作ったんだぜ。それが飛鳥新社時代には半分くらいしか売れなくて、残りは自分で作った本だから自分の家にあって、その残り1000部と一緒に赤田君は太田出版に来たんだ。
- 矢部
- あ、ほんとに? いやあれ濃いんだ、創刊準備号って。すごーく。
- 松村
- 濃いよね。あれはね、良い出来ですよ。
- 矢部
- あのとき、やっぱり雑誌ってうのはエネルギーだなあって思ったよ。
- 松村
- それで94年の9月に太田出版が創刊号出すの。準備号から1年以上経っているんだけど。
- 矢部
- 「クイックジャパン」1号は、発売週に79冊売れたんだ。
- 松村
- そうそう「クイックジャパン」は自覚的に最初っからドンといったんだよね。
- 矢部
- そうだね。
- 松村
- 矢部さんと、『完全自殺マニュアル』を買ってくれた世代、なんか世の中に不満があって、何かに熱くなりたい世代が読む本なのでひとつよろしくお願いしますっていう話をして、つまり矢部さんの所で売れないとこの本は行き場がないんですっていう半分可哀想な感じで営業して、矢部さんも、まあいいや、じゃあ100冊送んなよっていうね、そういうことだったんだよ。
- 矢部
- 困るんだよーって(笑)。結構、泣き落としに弱かったんだ。
- 松村
- それで100冊置いたら、一週目で70冊以上売れちゃった。
- 矢部
- 椅子で展開したんだっけ?
- 松村
- 椅子はあったかもしれないけれど、まだあの頃はそれを有効に使うって感じじゃなかったですよ。
- 矢部
- それでも売れたんだ。毎号すごかったよね?
- 松村
- 売れた売れた。毎号売れたの。最大で入れさせてもらったときにはね、400冊一発で入れたことがあった。
- 矢部
- そうだっけ?
- 松村
- 5号だったかな。それ以外も矢部さんが「足りないよ~」なんて連絡してくるから、宅急便飛ばしたりしたよね。もう、東京で一番店を譲らなかった。
- 矢部
- そうだったんだ。どこでもうちくらい売れているのかと思っていたよ。
- 松村
- それがさ、面白いのが、2番手で売っているのが、大阪のリブロの梅田店さんだったんです。
- 矢部
- へー。
- 松村
- リブロの梅田店さんに「すいませんP-BC渋谷店さんが400冊なんです、どうしましょうか?」って言ったら、「600!」
- 矢部
- すごいね。
- 松村
- 半分余っちゃった(笑)。やりすぎだって話で。
- 矢部
- でもすごいじゃない。リブロ梅田店はお店も小さかったでしょう?
- 松村
- 小さかった。茶屋町のロフトのいちばん上に入っていたんですよ。ただ東西の両拠点はあるけど、そこからどう広げていくかにむしろ苦労したっていうか。
- 矢部
- そうだよね、営業的な役割としては大変だよね。吉祥寺のP-BCはどうだった?
- 松村
- もちろん売るんですよ、売るんですけど、渋谷で100冊売っている時に、30冊くらいの感覚。
- 矢部
- 吉祥寺の方が年齢層が高いからね。住んでいる人もいるし。
- 松村
- ぼくのなかでP-BC渋谷店を一言で言おうとすると、「クイックジャパン」とパルコブックセンターっていうそういう感じなんですよ。
- 矢部
- 「クイックジャパン」は、ほんとうに勢いがあったよ。すごくエネルギッシュな感じ。
- 松村
- 渋谷の街にも勢いがあったんじゃないかな。パルコという文化の勢いだったりもするだろうし。
- 矢部
- もうね、何かああいう人たちが溜まっていた、溜まりやすくなってきていたってところかもね。
- 松村
- そうこうしてるうちにHMVだとかが渋谷系を始めたんですよ。
- 矢部
- そうそう。
- 松村
- HMVの人が、オザケンとかね。
- 矢部
- 渋谷系を特集した日には大変だったよね。
- 松村
- そうそう大変だった。
- 矢部
- でもさ、正直こっちは分かんないんだ、渋谷系とかって(笑)。
- 松村
- ははは。ぼくもですよ。弱ったな、言葉はすごい何か上滑りしてんだけどさ。まあいいやって。お互いに何かそんな感じでしたよね。
- 矢部
- そうそう。売れちゃうならいいやみたいな(笑)。
- 松村
- 渋谷では、P-BCが当然トップで300冊くらいはいつも売っていて、次いで旭屋書店さんが7,80冊売れて、三省堂さんがおそらく30冊とかだったんじゃないかな。大盛堂さんは5冊とか。あと何だかんだいって実はP-BCと競るのが、タワーレコードとHMVなんですよ。
- 矢部
- そうか。
- 松村
- あとレコハンとかさ、マンハッタンレコードとかさ。
- 矢部
- はいはい。入れてたんだ?
- 松村
- 置いてた。いやこれをやるために音楽専門取次さんと口座を開いたんですよ。それでHMVで200冊とか、タワーレコードで150冊とか売ってもらった。
- 矢部
- タワーレコードの本の売り場は充実してたよね。
- 松村
- 常に渋谷全体で1000部売れていたんです。
- 矢部
- すごいね!
- 松村
- 号によっては1万ちょっとしか刷ってなかったりすんのにさ。1割を渋谷で売っちゃってたんですよ。
- 矢部
- そんなシェアが高かったのか。池袋や新宿は?
- 松村
- 「クイックジャパン」は、もう全然話にならないんですよ。
- 矢部
- 全然?
- 松村
- 圧倒的に渋谷。
- 矢部
- そうなんだ。
- 松村
- 他社さんの本でも5000部しか刷ってない本をP-BC渋谷店で600部とか1000部売っちゃったみたいなことって、結構頻発してたじゃない。
- 矢部
- そうだね。
- 松村
- だからまずそこまで売れてスタートっていうか、一安心。じゃあそれをどうやって広げようかっていう戦略を立てるわけですよ。そういう意味では、前回のJ文学、河出書房さんと似てますね。
- 矢部
- でもさ、私はP-BC渋谷店の後に、池袋パルコのお店に行った時に、渋谷だったら100冊だの200冊だのって頼む本が、10冊とか20冊でさ。でもそれってさ何に寄せていいかわかんないんだよね。渋谷だとこれの隣にこれを売れば理想だみたいなものがあるんだけど、全然そういう感じじゃないんだよね。いや棚がないんだよ。売り場もない。
- 松村
- そこが難しかったですよ、営業していても。
- 矢部
- それがね、しばらくつまんないような気がしちゃったんだよね。まあふつうの本がふつうに売れていくから、真っ当なんだけど。P-BC渋谷店でいうバカ本とか、どこに置いたらいいの? みたいな本の置き場所は、隅の方とかにあって、しかもどこに置いてもスッキリしないの。
- 松村
- 置き場所のないものだけが集まってるっていう感じの棚になっちゃうんですね。
- 矢部
- 混沌とした......ね。
- 松村
- その他、みたいな棚なんだよね。
- 矢部
- そもそもサブカルチャーって棚自体、私が書店員になりだした頃は、そんなにハッキリしてなかったような気がするな。タレント本とかなんか言っていたんじゃないかな。
- 松村
- なかったと思う。芳林堂さんの時代にもなくて、P-BCさんの時代にもそういうカテゴライズをしてないし。その後ですよね。なんかその手の本がかたまりでで売れているぞとなり、それをさらに新ジャンルにしたてようというラップカルチャーって動きがあったんですよ。
- 矢部
- 太田出版でやっていたよね?
- 松村
- そう。8社でやったんですよ。太田出版と宝島社、扶桑社、マガジンハウス、メディアファクトリー、情報センター出版局、飛鳥新社、双葉社の8社合同ラップカルチャーフェアっていうのを5年間、第5回までやったんですよ。
- 矢部
- あれ、そんな短期間だったっけ?
- 松村
- その後は取次店のトーハンさんにお任せしたんです。だから、その名前を使った棚がその後からちょっと書店さんに出来始め、でも、ラップカルチャーってなかなか通じないから、「サブカルチャーなんじゃない?」ってことになり、サブカルチャーって棚が定着していくんですよ。90年代後半なんですよ、実は。
- 矢部
- そうやって書店に認識されていったんだね。
- 松村
- 不思議ですよね。何を持ってサブカルチャーとするかって、ずーっと議論があって、基本的には僕の考えは古かったのかもしれないけど、どこかカウンターカルチャーを引きずってるんですね。そうすると、どこかで頑張ってる若い人たちの不満だったり、不安だったりって、そういうものをいろいろ形を変えて表現しているもの、それがサブカルチャーなんだろうなっていう気がしていて。今の世の中でよかれと思われていることが、実は「本当にいいのか?」ってどこか思っている若い人たちを代弁しているもの、それがサブカルチャーなんだろうな、ってずっと思ってきたの。矢部さんと前にそういう話をした時に、「エログロはやっぱりサブカルじゃいけないよね」みたいな話をしたことがあって、例えば「クイックジャパン」の亜種、亜流がいっぱい出るんだけど、それは「クイックジャパン」や『完全自殺マニュアル』が売れたことによって、じゃあ、もっと過激にすればいいとかグロにすればいいとかって、そっちの方をグーンとやった本があるんですよ。それはね、矢部さんは置かなかったんだよ。
- 矢部
- そうだね。置かなかったね。
- 松村
- 不思議とね。さっき無自覚でとか、ぼくが言ったけどそこには線はあるんだよ。
- 矢部
- そうだね。置かなかったものね。どっかで選んでいたんだね。
- 松村
- だから場所だけの力にするのは実は失礼で、P-BC渋谷店の矢部さんの何かね、変な嗅覚っていうか、選択眼っていうか、それは何かあるんですよ。
- 矢部
- うまく言葉にできないんだけど、何かあんまりにも雰囲気違うのは嫌だったんだよね。
- 松村
- ああ、もしかしたら、そこが原点なのかもしれないけど、でも、何を増やしちゃいけないのかって考えた時に、エログロっていうのは、バカ本と違うぞっていうのがきっとあったんだよね。
- 矢部
- 地域でもあり、年代でも世代でもあるかもしんないけど。
- 松村
- それをうまくね、矢部さんは泳いでたんだと思うね。うまーく泳いで選択してたんだと思う。ところでさ、P-BC渋谷店が力を失ってく時期っていつなの? 僕は良い時期ずっとやらせてもらった印象があるんですけど。
- 矢部
- 何年まで担当だったっけ?
- 松村
- 営業やってたのは、2004年まで。
- 矢部
- あっほんとう?
- 松村
- リブロさんと吸収みたいな話が2000年で、看板下ろすのが2002年か2001年。
- 矢部
- なんだろうね、リブロと一緒になってからちょっと後なんだよね。ぐっと力が落ちていくのは。2000年頃から売るものがなくなってきた感じ。焼き直しっぽいものが多くなってきたような気がしてね。会社も変わっていったし、渋谷に来る人も変わっちゃったのかも。それで改装の話があったりね。
(つづく 次回更新は8月12日)