「坂の上のパルコ」 第3回第3話
「サブカルチャーの神話」
松村由貴氏(元太田出版・渋谷担当)×矢部潤子(リブロ池袋本店)
(3)「何でもできる」太田出版
- 矢部
- 太田出版に入る前は何をしていたの?
- 松村
- 福武書店にいたんですよ。
- 矢部
- 意外なところにいたんだね。
- 松村
- 福武書店で進研ゼミやってたの(笑)。2年間そこにいて、でもそのあとは太田出版で、だから太田出版に入ったのいつだろう。86年かな。1986年に太田出版に入り、最初はずっと編集をやっていて、当時まだビートたけしさんが太田プロにいた頃で、編集長兼社長がつまりビートたけし番なわけですよ。で、ぼくはたけし軍団番なわけ。
- 矢部
- へー。
- 松村
- それで『ツノだせヤリだせたけし軍団物語』たけし軍団著(太田出版)とかさ、今飛ぶ鳥を落とす勢いのそのまんま東さんの『ビートたけし殺人事件』とか作っていたの。
- 矢部
- ありましたねー。
- 松村
- そんなことをやってる間に例のフライデー事件があり、で、大塚署から出るとき迎えに行ったのもぼくらだし。
- 矢部
- えー!?
- 松村
- で、あの捕まった、殴り込んだ日に実は発売された本もあって。
- 矢部
- そうだっけ?
- 松村
- ファミコンのゲームの「たけしの挑戦状」の攻略本。
- 矢部
- そんなもんまで作っていたのか太田出版は。
- 松村
- だけどね、当時まだ攻略本を作るノウハウが確立されてないから、どの辺まで種明かししたらいいのか全くわかんないわけ(笑)。ファミコンやってる子たちの気持にもなれないし。
- 矢部
- そうだよね。
- 松村
- これはちょっと隠しておいたほうがいいんじゃないかなとかまず線引きをし、最初に出した。その出した日に「読んでも分かんないんですけどー」って子供が泣いて電話してくるのよ。
- 矢部
- あははは。
- 松村
- これはまずいっていうんで、半年後にパート2を出すんだけどさ、もう全部明かそうよって(笑)。毎日電話対応すんの大変なんだもん。
- 矢部
- 読めば分かるって言えるようにしようって(笑)。
- 松村
- だってあれ、確かソフトは100万本くらい売れているんですよ。で、当時その太田出版で出した功略本は、30万部か40万部売ってんだよね。
- 矢部
- そんなに売れたんだ。
- 松村
- まあそういうの作ったりしていたんだけど、たけしさんが太田プロから独立して、所謂タレント本で名を馳せていた出版社から大きな著者が抜けちゃったんですね。まだ勿論、太田プロには、山田邦子さんもいたり、片岡鶴太郎さんもいたり、ダチョウ倶楽部も全盛期だったからそういう人たちの本は出すんだけど、もう少し出版社として広がりを持ちたいという時期が来たんです。それである編集者はカルチャーの方へガーッと突っ込んでいって、それで『完全自殺マニュアル』に辿り着いたり、もう一人はコミックの方へガーッと突っ込んでいって、山本直樹さんと出会ったりだとかね。
- 矢部
- あったあった。
- 松村
- ぼくは何を選択したかというと、官能へ突っ込んだんですよ。
- 矢部
- そうだ、そうだ。
- 松村
- 団鬼六氏とか。
- 矢部
- 手広いんだよ。また売ったんだよね。
- 松村
- そうそう。実はそこに繋げようと思ったのよ(笑)。『花と蛇』団鬼六著(太田出版)の復刻と、それから『家畜人ヤプー』沼正三著(太田出版)の復刻を。
- 矢部
- この人が、だよね。
- 松村
- それで『花と蛇』は1000枚くらい元々の本に書き足しをしてもらい、削り......。
- 矢部
- あ、そうだったの?
- 松村
- 団さんも興がのってガンガン書き直してくれて、元版に出てない人まで入ってんだ。
- 矢部
- はっはっは。
- 松村
- 今は笑えるけれど、当時は大変だったんだから(笑)。先生、これ、これ、この女の人初めて読んだんですけど......。なんとかしとけ! えーっていうようなこともあり。
- 矢部
- えーほんと?
- 松村
- マジマジ。これがね、なかなかね関西弁のイイお姉さんなの。かっこいいっていうか、いかにも関西のね、ずる賢そうな(笑)。
- 矢部
- わっはっはっは(笑)。そういうの突然出てきてるんだ。
- 松村
- ズベ公なの(笑)。そういうのいきなり先生はやっぱ作るの。書きたかったんだよ、きっと。「奇譚クラブ」って東京の雑誌でしょう? 関西人をいれるのは憚られたんだろうね。更に言うと、「奇譚クラブ」とはいえ書いてはいけないシーンとか書いてはいけない言葉がいっぱいあって、先生は先生でなんか恨み骨髄に達してるんですよ。
- 矢部
- 書きたかったのに書けなかったと。
- 松村
- 作品に書きたかったけど書けなかった、というのをぼくは何かで読んだ。
- 矢部
- うん。
- 松村
- 先生、先生。うちなら何でも書けますよ(笑)。
- 矢部
- すごい!(笑)
- 松村
- ていう強みはあったよ、太田出版は。例えばこれはやっぱ講談社じゃ出来ないよ。
- 矢部
- そうだよね。背負ってるものはないもんね。
- 松村
- うん。もうなんかみんな突っ込めっていうふうに編集者がそれぞれ言われてやってるときだから。うちなら何でもできますよと話してやってもらったと。
- 矢部
- ふーん。
- 松村
- それと同時にたまたま沼正三さんの方から話が転がり込んできた。こっちは舞い上がっちゃってさ、えーまずいだろ俺じゃあ(笑)、って思いながら作ったの。それが92年ですよ。
- 矢部
- すごい年だったね。
- 松村
- それぞれ上中下巻を出すんすけど。P-BC渋谷店で93年の3月から本格的に売ってもらったの。棚でいうと、バカ本の後ろにバタイユとか置いてあった幻想文学のところに積んでくれたの。
- 矢部
- そうそう、あの辺に置いたの。
- 松村
- 幻想文学でアレを置いてくれて。エロだとか、話題書だからこっちへ置くとかじゃなくて......。
- 矢部
- 澁澤の横なんだよ。
- 松村
- 澁澤とかさ、そのバタイユとか繋がってく棚があってさ、そこで最初やってくれたんだよね。
- 矢部
- そうだよね。
- 松村
- そこでね。ぼくが覚えているかぎりでは『完全自殺マニュアル』よりも平積み期間が長いと思うの。
- 矢部
- 長いよ。だってずーっと見てた気がするもん。
- 松村
- ごめん。しつこいんだよね(笑)。まあ世の中的には一旦、復刻でお騒がせした後に、だいたい下火になってくる頃、ぼくが営業になった。ところが、まだ下火になるわけがないと思ってね。だって30年売れていた本だからさあ。
- 矢部
- 確かに。
- 松村
- それが下火になるわけがないので、もう一回なんか置きたくないかなあって、まあエゴですけど。
- 矢部
- 営業したんだ。
- 松村
- 熱く語れるじゃん(笑)。
- 矢部
- そうだよね。
- 松村
- それで、矢部さんのとこにはそれでまずお世話になったんです。
- 矢部
- ベストには出てこないんだけど、相当ロングセラーだったよね。
- 松村
- 相当売った。一回数えた事があるんだけど、600冊くらい売れてますよ。
- 矢部
- 本当?
- 松村
- うん。上中下巻だから1800冊ってこと。
- 矢部
- おおー。いやだって、松村氏は自分でなんでも補充して帰るだけだもんね(笑)。こっちもやっといてみたいな。
- 松村
- いや矢部さん忙しそうでさあ(笑)。でも、矢部さんにその通行証をもらうのは結構大変でさ。
- 矢部
- そうだった?
- 松村
- それはやっぱりね。大変だよう(笑)。しかも初めての営業ですよ。
- 矢部
- そんなこと思わなかったよ。
- 松村
- 最初はドキドキですよ。いきなり渋谷は丸々ぼくの担当だし。
(つづく 次回更新は8月19日)