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今井 義男の<<書評>>

「百年の恋 」
評価:AA
この小説のヒロイン梨香子には職場での仕事振りからは想像もつかない素顔があり、その落差は二段重ねしたナイアガラ級であった。颯爽とした外見に惹かれて、もてないオタクライターが下心を実行に移した結果が地獄の結婚生活である。貧相な我が身と低収入を棚に上げて、降りかかった不幸だけを嘆く真一を<デフォルメされた男>などと勘違いしてはならない。こんな幼稚な男はそこら中にいるのである。男が勝手に求める女の理想像(妄想と言い換えてもいい)に彼女が冷水を浴びせかける様は、不快感を通りしていっそこ気味よい。男の特権だとか、女らしさだとかにこだわっている日本はいつのまにか未成熟なまま高齢化社会を迎えようとしている。ジェンダーという単語が根付く頃には男と結婚しようなどという奇特な女性は一人もいなくなっているかもしれない。 
【朝日新聞社】
篠田節子
本体 1500円
2000/12
ISBN-4022575573
 

「岬へ」
評価:AAA
人はいつか自分の根を下ろすに相応しい場所を探し始める。その情動は誰にも押しとどめることはできない。本来、美しい親子の関係とはそうあるべきなのだ。強大な力を持つ親の庇護を拒絶する主人公英雄の心情は、依怙地で青臭くもあるが潔い。人が成長する過程で出会う事どもは、時には礫となって身を苛む。芽吹く季節を謳歌する間もなく散り急ぐ、命のはかなさに打ちひしがれる姿には胸を締め付けられた。荒ぶる海は人と人を分かつ現実を物語るようである。かつて海を渡り島国の地方都市で成り上がった父。父に寄り添いながらも英雄に深い理解を示す母。ひとかどの父母と<家>を捨て去ること。それは青年期に運命付けられた永遠の寓話である。組織や仕事に縛られることを嫌う、パラサイト・シングルのはびこる現代にあって、この物語の中に蕭蕭と響く海鳴りはたとえようもなく重い。小説の底力を垣間見た思いがする。 
【新潮社】
伊集院静
本体 2000円
2000/10
ISBN-4103824034
 

「涙」
評価:D
このところやたら目にする<失踪物>である。何冊か読んで興味をそそられたことは残された側の身の処し方の差異である。よほど経済的に恵まれた人間でない限り、身を切られるような哀しみもやがて毎日繰り返される雑事の中に埋没していく。それは失踪した人間のことがどうでもよくなったのでは断じてない。そうして折り合いをつけなければ生きてはいけないからそうするのだ。健全な人間の自然な成り行きである。生活の心配もなく暇に飽かせて婚約者の足取りを追う萄子に、共感を抱く女性が果たしてどれくらいいるだろうか。身を沈めるしか生きる術のない洋子の代弁をさせてもらえるなら、お嬢様の甚だ贅沢な悩みと言わざるを得ない。簡単に諦めてしまったら話が成立しなくなるけれど。 
【幻冬舎】
乃南アサ
本体 1800円
2000/12
ISBN-4344000412
 

「心では重すぎる」
評価:A
またもや<失踪物>であるが、趣はすこぶる暗く深刻だ。特に荒れた少年たちの描写が真に迫っている。チームと呼ばれる集団の残酷さ、凶暴さは考え様によっては裏社会の住人と何ら遜色がない。満ち足りることを知らない歪な負のエネルギーは至るところに充満している。消えた漫画家を捜す佐久間は訪ねる先々でささくれた彼らの生態に切り結んでいく。漫画家のコアなファンを自認する依頼人といい、地回りのやくざといい、これら虫酸の走る輩の存在が陰湿な我が国独特の<闇>を浮き彫りにする。慌しい年の瀬に何という厚みの本だ、とたじろいだが杞憂だった。無関係な二つの事件がクロスする頃には時間の経過も気にならなくなっていた。魔性の女子高生、錦織令の世界観には一種異様な説得力がある。 
【文藝春秋】
大沢在昌
本体 2000円
2000/11
ISBN-4163197303
 

「アニマル・ファクトリー」
評価:B
アメリカの刑務所は犯罪者を矯正させるための施設ではなく、当の犯罪者から社会が蒙る被害を未然に防ぐのが主たる目的らしい。つまり防疫の手段と同様の隔離方式である。塀の内側が弱肉強食状態で彼らを疲弊させるのも目的に合致しているので問題はない。刑期を終えて出所してもどうせ堅気の暮らしはできないからすぐに逆戻りだ。結局人生の大半を刑務所で過ごす。彼らの戻る場所なんてどこにもないし、社会もそれを望まない。行き着く先は終身刑か死刑…。作者の憤りは至極まっとうだ。だが誰もがバンカーやチェスター・ハイムズになれるとは限らない。愚かな堂々巡りを断ち切るには地道な努力しか方法はないのである。脱走に成功したところでその事実からは一生逃れられない。
【ソニー・マガジンズ】
エドワード・バンカー
本体 1800円
2000/10
ISBN-4789716171
 

「冥府の虜」
評価:C
つくづく<核>は諸刃の剣だと思う。いくら平和利用しかしていない施設であろうと、この作品のように24時間テロの標的になり得るのである。貯蔵燃料や廃棄物の管理は言うに及ばず、研究開発に携わる人間の頭脳までもが守備範囲に含まれる。それでなくても世界一危機管理の甘い国である。もし実際に起こったら、と思うだけでも恐ろしい。ただ、作者の歯噛みのような部分が目につきすぎるきらいもある。エネルギー問題の識者から見れば<衆愚>である我々に言いたいことは山ほどあるのだろう。作中、登場人物にずいぶんと思い切った発言をさせている。それがなければもっと楽しめたかもしれない。問題提議も大切だが、ここまで一方的に原子力発電をクリーンだと断定されると、それ自体がちょっと怖いし引いてしまう。
【祥伝社】
高嶋哲夫
本体 1900円
2000/12
ISBN-4396631820
 

「岡山女」
評価:B
身も心も<岡山>にどっぷり浸かった作者の第二作品集である。同じくホラー大賞出身ながら、新しい世界を模索する瀬名秀明とは対照的だ。どちらがいいとかいう問題ではない。いったん背負った看板をどうするかは作家の自由だ。この連作の主人公タミエは隻眼の霊媒師である。シャルル・ボネ症候群と聞いてミステリ・マニアがまっ先に思い浮かべるのは、京極堂シリーズにおける最重要人物、榎木津礼二郎だろう。一人では何も解決できないという共通項まである。相違点はアッパー系の榎木津に対してタミエが典型的なダウン系だということだ。陰気な作品に根暗な登場人物。全編に立ち込める土着的な雰囲気はこの作家ならではのものであり、決して不出来な怪奇小説ではないが、私には季語の多い俳句を披瀝されたような印象が拭えなかった。 
【角川書店】
岩井志麻子
本体 1300円
2000/11
ISBN-4048732633
 

「ダイブ2」
評価:A
第一巻でも感心したことだが、これほど地味な競技を取り上げてもなお読者の興味を惹きつけてやまない森絵都の筆力にはおそれいる。待望の第二巻では圧倒的な存在感を持ちながら行く手を壁に阻まれた野生児、沖津飛沫が再びコンクリート・ドラゴンに戻る決心をするまでが描かれている。飛沫の祖父にまつわる挿話と、恋人恭子との青森での生活を実に細やかな文章で読ませる。天才肌で他を思いやる気持ちも忘れない要一と、失恋を吹っ切ったことでややキャラが砕け気味の知季との交流を通じて、飛沫の個性もますます立ち上がってくる。ここへきてようやく三人の目指す方向が示された。作者の眼差しは挫折する陵やレイジの陰影もさりげなくすくい取る。まだ誰の物語も終わりを告げられてはいないのである。
【講談社】
森絵都
本体 950円
2000/12
ISBN-4062105209
 

「八月の博物館」
評価:B
超B級ホラー『パラサイト・イヴ』の大賞受賞は、小説の審査をする人たちが専門知識を駆使した作品にからっきし弱いという噂を証明した。ところがその後二番煎じのバイオ・ホラーを書き続けなかったのがこの作家の非凡なところだ。本書は凝りに凝った構成のファンタジーである。変化球を投げざるを得ない環境に置かれたことを戯画化したような記述も作為のひとつなのか、デビュー作で毀誉褒貶にさらされた作家まで出てくる。それが功を奏したと言いにくいのは、少年の日常の部分があまりにも鮮烈に郷愁を呼び覚ましてくれたからだ。もうひねらなくていい、オチもいらないからこのまま話を進めてほしいと思った。けど、次回作もまた読者の予想を裏切ることに全力を注ぐのだろうなこの人は。
【角川書店】
瀬名秀明
本体 1600円
2000/10
ISBN-4048732595
 

「終極の標的」
評価:B
これぞ英米ミステリのお家芸である正統冒険小説。なんといってもあちらには巨悪の権化のような組織がいくらでも控えているのだから、国産では端から太刀打ちは無理である。内閣調査室や陸幕二部別室ではいかにもスケールが小さいし、ネームバリューも今ひとつだ。本作で偽札製造という無茶なことをやっているのは謀略界のスーパースター、米CIAである。偶然その偽札を手に入れてしまったために命を狙われる羽目におちたのはデルタ・フォースの元隊員。追う方も追われる方もプロ中のプロだ。細かいことを気にしなければ派手で映画的な立ち回りを堪能できる。惜しむらくはヤンキー気質丸出しのエディーに大暴れするチャンスがなかったことである。私は苦境に立たされても口の減らないキャラクターが大好きなのだ。
【早川書房】
J・C・ポロック
本体 1800円
2000/12
ISBN-4152083212
 

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