WEB本の雑誌>今月の新刊採点>【単行本班】2007年10月の課題図書>『ピカルディーの三度』 鹿島田真希 (著)
評価:
倒錯した愛の形が次々と現れる短編集。珍しいカクテルを次々とおかわりしているような気分になった。耽美的世界に酔える人は、陶酔の至福を心から味わうことができそう。(そうでない人にとってはひたすら悪酔い、二日酔い、みたいな)
なかでも表題作でもある「ピカルディーの三度」が、アクが強くて、刺激的で、挑戦的で、印象的だ。音楽家の「先生」に同性愛感情を抱くも、主人公である一人称の「おれ」は、「好き」ということ、肉体と感情の境目が自分の中で定義できず苦悶する。
独白のスパイラルに読み手がはまり込むと、思春期特有の儚げな、危なげな感情にいつの間にか寄り添ってしまっている。「この小説は毒かも知れない」と身構えて読み進めながら、破滅しそうな物語に飲まれているのだ。狂気にも似た感情の揺れをどう判断するかは読み手の自由だが、まずは規定概念を外してページをめくった方がいいかも。
評価:
「禁忌」がキーワードなのかしら?
全編通じて「禁忌」に関する小説なのかと思いながら読んでいましたがそういうことではないみたい。最後の短編も何かしらの「禁忌」があればより締まった短編集になっていたのでは。
5編のうち面白いと思ったのは表題作よりも4編目の「万華鏡スケッチ」。近親相姦行為中の子どもたちから百貨店の化粧品売り場、ラテン語のクラス、等々と風景も変われば人物も変わり、それらがカシャカシャと回すたびに見える絵が変わる万華鏡のようで面白かったです。
表題作は「おれ」が「おれ」が「おれ」が……、で正直飽きました。
評価:
どうしちゃったの鹿島田真希?
なんて思ってしまった。1ページにつき、1回以上のペースで「糞」「糞便」「ウンコ」と出てくるし、主人公の「おれ」が恋する「先生」は男だし……ってあれ、BL!? 新ジャンル「スカトロ・ボーイズラブ小説」っすか!?
とまあ表面的な設定にあたふたしちゃあいけないんだろな。この本(五編からなる短編集)の表題作「ピカルディーの三度」という小説は。この小説における「ウンコ」が何のメタファーであるか、とか、著者は何故この小説を書こうとしたのだろう、とか、その辺を云々すべきなのだろう。本当は。でも私は、この小説の「ウンコ」は、においがあんまりしなさそうだなあ、とか、もしや「おれ」か「先生」のどちらかが女だっていう叙述トリック? とかそういう風に俗っぽく読んだ。
後半の「ウンコ」に関連する主人公の思索は面白かったし、文章を書く行為を「排泄」に例えるのにも納得。けれどやっぱり設定で拒否反応を起こす方もいると思うので、万人にはオススメいたしません。
評価:
なかなかに意表を突かれる5編が収められた短編集。最初の作品「美しい人」でも十分びっくりさせられたのだが、真の問題作は2番めに置かれた表題作「ピカルディーの三度」。
読み始めはすごく抵抗があった。だってピアノ教師が初対面の生徒に洗面器を差し出し排便しろとかかます度肝を抜く展開。そしてその日はあまりのことに泣いてしまった主人公だったが、そんな先生に一目惚れし(しかも男同士!)、2度めのレッスンではほんとうに言うとおりにしてしまう(!!)のだ。別に道徳家ぶるつもりはないが、排泄物は排泄物だろー、主人公も何故ほとんど躊躇なく従ってんのー、と何かの罰ゲームかよくらいの嫌悪感を抱えながら読み進む。
しかしながら、だんだんと主人公の先生に対する一途な思いにこちらの気持ちもざわつき始める。なんか、こういうのもありかなと思えてくる。一般的にはアウトと見なされるであろう愛情表現のあり方をこんなにも純粋なものとして描く、鹿島田真希という作家のすごさを見せつけられた思いだ。
評価:
雑に生きてしまっていたら気付かない、細い細い感情の綿毛のようなものを文学にした5つの物語。どの物語も、瞬間瞬間を生きる主人公たちが、悲しく切なく思えるけれど、どこか羨ましくも感じます。人生は、一瞬の積み重ねなのだと、改めて感じます。刹那的とは少し違う、今しか生きられない人間の性が描かれているように思いました。刺々しく荒々しく、それなのに掴むことができない糸のように繊細な主人公たちから、枠にはまる感情などないと感じます。純粋さと狂気を持ち合わせている文章に、最初は違和感を感じるかもしれませんが、次第に、どこか身体の隅のほうが溶け込む反応をしてきます。
読後に、もっと、丁寧に生きてゆきたいな、と思いました。特に好きな作品は、3つめの「俗悪なホテル」です。
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