コラム / 高橋良平
ポケミス狩り その10
「ロスマクの巻」
"ハメット=チャンドラー=マクドナルド"を正統ハードボイルド派(スクール)と呼んだのは、ホメホメおじさんのアンソニー・バウチャーだったと思うが、バウチャーの鑑識眼をけっこう信頼していたものの、ロスマクには関心がなかった。
初めて読んだのは、ハヤカワ・ミステリ文庫版の『ウィチャリー家の女』。同文庫がスタートした1976年4月下旬は、ちょうど初めての営業出張の時期と重なっていた。
留年までしたのに出版社の入社試験に落ちまくっていた----最後の頼みの綱が晶文社だった----ぼくに、大学のクラスメイトのO君(彼はその後に奇想天外社に移り、〈マンガ奇想天外〉を編集)が声をかけてくれ、おかげで小さな出版社にすべりこめたのだった。ワケアリの営業職で入社し、仕事に少し慣れたころ、課長のNさんから、そろそろどうかなと、武者修行的な感じの出張を命じられた。函館、小樽、札幌、滝川、旭川と北海道の書店をまわる行脚で、O君がスケジュールをお膳立てしてくれた。上野発の夜行列車で青森に向かい、青函連絡船で北海道に上陸する長旅だから、当然、旅のお供が必要だ。
会社から石切橋(だったっけ?)をわたってすぐの東販の店売(版元だから割安で買えるのを教えてくれたのも、O君だ)をのぞくと、出たばかりのハヤカワ・ミステリ文庫が並んでおり、適当に見つくろったなかの一冊が、『ウィチャリー家の女』だった。
ちなみに、いっしょに買ったのは、ディック・フランシスの文庫オリジナル『重賞』(菊池光訳)、エド・マクベインの"87分署"シリーズ----子どものころ、TVドラマの「87分署」は東海テレビで見ていたが、原作は初体験で、これまた文庫オリジナルの『われらがボス』(井上一夫訳)を読んだあたりで、あとはセッセとポケミス版を漁りだすことになる----の『警官嫌い』(井上一夫訳)と『通り魔』(田中小実昌訳)、ニコラス・ブレイクの『野獣死すべし』(永井淳訳)、リチャード・スタークの『人狩り』(小鷹信光訳)の5冊である。
先人たちが開拓ずみの順路だったから、チェーン書店の仕入れ担当や店長さんたちも応対は親切、なれない新米の話に耳を傾けてくれ(なかでも、矢作俊彦、西村寿行、加堂秀三、赤江瀑ら、新人作家の話で花が咲いたN堂のHさんには、二度めに伺ったとき、自宅に泊めてくれるほど大変お世話になったものだ)、新刊・在庫の注文取りも順調。そのおかげか、立ち寄った札幌の古本屋で補充したほど、車中や寝床でモリモリ読書。
さて、肝心の『ウィチャリー家の女』だが、期待が大きかったせいか、正直、あまりピンとこなかった。読んでるあいだは、それなりに面白かったのだが......。
けれど、たとえば、無常観ともいわれたハードボイルド的感傷に満ちた宇宙年代記を書きついだ光瀬龍氏は、『名探偵読本6 ハードボイルドの探偵たち』(パシフィカ/1979年5月刊)に寄せたエッセイ「私のリュウ・アーチャー」で、帰りこぬ青春の日々を惜しみつつ、〈ロス・マクドナルドの全品にはひどく心を動かされた。やりきれない部分が、麻薬のように心にしみた〉と吐露し、〈すべてから遠く身を置いても、この世に縁を結ぶ以上、あらゆる因縁から解放されるということはあり得ず、因縁から解放されることによって新しい因縁にとりこめられてゆくことになる。それを知っているからこそ、許せるのであって、言葉を失うところからやさしさははじまる。許せるか、許せないか、その選択のチャンスは二度とはこない〉と、いつでも傍観者でしかない探偵の哀惜とも怨恨ともつかぬ行為に、自分の心情を重ねて独白している。
たとえば、名著『深夜の散歩』(ハヤカワ・ライブラリ/1963年3月刊)のなかで、尊敬する福永武彦氏は、「マーロウ探偵事務所の方へ」の章の追記に、〈近頃の僕はロス・マクドナルドの大の御贔屓で、『ギャルトン事件』『ファーガスン事件』『ウィチャリー家の女』など、いずれも傑作と信じている〉と書いているし、畏敬する中村真一郎氏はロスマクに触れた章で、〈「文章の面白さ」といったが、それは必ずしも表現が奇抜だというのではない。表現は寧ろ、文学的に正統的で、作者の眼は正確、その頭脳は明敏、その計算は確実、そういう感じの文章である。一行一行が、仲々丹念で、そうして、面白さがある。つまり、書き飛ばしたものでなく、また出まかせに書いたものでもない。ある情景なり、人物なりを、細心の注意を払って、表現しようと努力している。つまり、仲々凝っているのである〉と、褒めている。ご説ご尤も。文章がこまやかでコクがあるけれど、だからといって感心したわけでもなく、『ウィチャリー家の女』に満足できなかった。
小鷹さんは、ハヤカワ・ミステリ文庫版『縞模様の霊柩車』の解説で、ロスマク作品を、〈作風と作品の円熟度の観点から、ロス・マクドナルドの三十年間の作歴はおよそ十年ごとに区切りをつけることができる。/第一期は、第一作『動く標的』(四九年)から第七作『運命』(五八年)までの試行錯誤の時期、第二期は、ターニングポイントであったことを彼自身認めている『ギャルトン事件』(五九年)から『一瞬の敵』(六八年)までの円熟期、そして第三期が『別れの顔』(六九年)以降現在にいたる"老成期"〉と分けており、その円熟期に書かれた『さむけ』を最高作とするのが、衆目の一致した評価のようだ。小林信彦氏は、〈ひとむかしまえになるだろうか、先ごろ亡くなったロス・マクドナルドの作風がしだいに〈ふつうの小説〉に近づいていったことがある。ハードボイルド派の代表選手であるこの作家のベストは、皮肉なことに、謎とき(パズラー)としてすぐれた「さむけ」だったと思っているぼくは、ロス・マクドナルドが文学づこうとどうしようと、いいじゃないかと思ったことがある〉(ちくま文庫版『地獄の読書録』)と、ちょいとアイロニカルな言い方をしている。
ポケミス版の『象牙色の嘲笑』は未入手だが、遺作となった『ブルー・ハンマー』まで、シリーズをほぼ読んでいるのだが、どれもイマイチの感がぬぐえなかった。傑作の誉れ高い『さむけ』さえも、例外ではない----。
ここで改めて、リュウ・アーチャーが探偵役の長篇全18作をリストアップすると、
★試行錯誤期(34〜43歳)
1 The Moving Target (1949) 『動く標的』 井上一夫訳(1958年8月)
2 The Drowning Pool (1950) 『魔のプール』 井上一夫訳(1958年11月)
3 The Way Some People Die (1951)『人の死に行く道』 中田耕治訳(1954年10月)
4 The Ivory Grin (1952) 『象牙色の嘲笑』 高橋 豊訳(1955年3月)
5 Find a Victim (1954) 『犠牲者は誰だ』 中田耕治訳(1956年11月)
6 The Barbarous Coast (1956) 『兇悪の浜』 鷺村達也訳(1959年5月)
7 The Doomsters (1958) 『運命』 中田耕治訳(1958年8月)
★円熟期(44〜53歳)
8 The Galton Case (1959) 『ギャルトン事件』 中田耕治訳(1960年12月)
9 The Wycherly Woman (1961) 『ウィチャリー家の女』小笠原豊樹訳(1962年12月)
10 The Zebra-Striped Hearse(1962)『縞模様の霊柩車』小笠原豊樹訳(1964年5月)
11 The Chill (1964) 『さむけ』 小笠原豊樹訳(1965年10月)
12 The Far Side of the Dollar (1965) 『ドルの向こう側』菊池 光訳(1969年7月)
13 Black Money (1966) 『ブラック・マネー』宇野輝雄訳(1968年7月)
14 The Instant Enemy (1968) 『一瞬の敵』 小鷹信光訳(1972年7月)
★老成期(54〜61歳)
15 The Goodbye Look (1969) 『別れの顔』 菊池 光訳(1970年1月)
16 The Underground Man (1971) 『地中の男』 菊池 光訳(1971年10月)
17 Sleeping Beauty (1973) 『眠れる美女』 菊池 光訳(1974年2月)
18 The Blue Hammer (1976) 『ブルー・ハンマー』高橋 豊訳(1978年12月)
ほとんどがポケミスから出たが、1と2は、東京創元社[世界推理小説全集]の52巻と53巻で刊行されたのち、66年6月、67年5月に[創元推理文庫]に収録されている。6は、[創元推理文庫]初刊。14は、早川書房[世界ミステリ全集]6巻のロスマク篇に『人の死に行く道』『ウィチャリー家の女』とともに収録されたのが初訳で、75年6月にポケミス入り。18は、[ハヤカワ・ノヴェルズ]版が初刊で、ロスマク初の四六判ハードカバーだが、ハヤカワ・ミステリ文庫の受け皿があったためか、ポケミスには収録されなかった。その逆に、なぜか『運命』だけが文庫化されていない。なお、『人の死に行く道』は訳者の申し入れで、67年3月にポケミスで改訳版が出ている。
さらに、ご存じのトリビアを添えると、本名のケネス・ミラーで作品を発表していたロスマクは、1で初めてジョン・マクドナルド名義を使うが、すでに人気作家だったジョン・D・マクドナルドから混同されて困ると抗議され、2からジョン・ロス・マクドナルドとマイナー・チェンジしたものの、まぎらわしさは解消せず、結局、6からはロス・マクドナルドとし、過去の著作も再刊からロス・マクドナルドで統一したのだった。
さて、ぼくがロスマクと波長が合わない理由は、円熟期で顕著になる彼の主題に関心がないからなのかもしれない。たしか、植草甚一さんが、クリスティーの後期作品に共通する事件のカギに、「遠い過去の罪は長い影をひく」というカトリック思想を挙げていたが、ロスマクのそれもちょっと似ていて、リュウ・アーチャーが失踪した娘や息子を捜索するうちに、事件の陰に潜んでいた"原罪"が暴かれ、そして、過去の罪の報いをうけた家族の肖像が浮かびあがる。親の因果が子に報い、といっては卑近すぎるだろうけれどね。
同じ主題の追究をさまざまなアプローチで繰り返し試みるのは、けっして悪いことじゃないし、マンネリズムに陥るのはシリーズ物の宿命だろうし、作家の力量が問われるだけのことだ。しかし、描かれる家族の崩壊の様相の数々が、因果応報的だから"ギリシャ悲劇"的と形容されるのは分かるが、その家族関係が底の浅い俗流フロイティズム風の解釈で事たれりとする作者の姿勢には疑問が残る。ロスマクの生い立ちに起因するといわれる、その心理学的主題は、かえって作家として同工異曲の弱点になっているのではないかと、思わないでもない。----その昔、オランダ人のクォーターの同僚のとびきり美人の恋人に姓名判断してもらったとき、家族の情に薄いといわれたぼくのことだから、トンチンカンなことを言ってるかもしれないけれど......。
弱点といえば、創元推理文庫から出た小鷹さん編・訳の作品集『ミッドナイト・ブルー』(『ロス・マクドナルド傑作集』改題)に、評論「主人公(ヒーロー)としての探偵と作家」が収録されており、そのなかで、ロスマクはこんなことを書いている。
〈アーチャーは、ときにはアンチ・ヒーローにさえなりかかるヒーローである。行動的な人間ではあるが、彼の行動は、主として他者の人生の物語を寄せあつめ、その意味を発見することに向けられている。彼は、行為する人間というより質問者であり、他者の人生の意味がしだいに浮かびあがってくる意識そのもの〉であり、また、〈透明といえるほど自我を忘れた男でもあり得る〉と。
そうした"観察者"である"わたし"=リュウ・アーチャーという私立探偵が、"意識"だけの精神存在であり、主人公(ヒーロー)であっても英雄(ヒーロー)ではないからか、印象として残るのは、チェシャーキャットのように、その"視線"のみで、生きた人間としての"わたし"の人物像が結ばない。読み返してチェックしなければ、その容貌すら忘れているほどだ。
しかし、だからこそ"理想のヒーロー"なのだと力説したのが石上三登志氏で、石上さんが「女嫌いの系譜、又は禁欲的ヒーロー論」(『男たちのための寓話』すばる書房/1975年5月刊)でほのめかしているごとく、ぼくにはリュウ・アーチャーの諦観と覚悟に欠け、いまだ逃避的性向のアマちゃんだから、ピンとこない"寓話"だったのかもしれないと、反省したりもする。そのうちいつか、21世紀になって忘れられたこの孤高の探偵に再会するべきなのかも......。
[資料篇]"ポケミス"刊行順リスト#8(奥付準拠)
1957(昭和32)年・上半期
1月15日(HPB 304)『ドルリイ・レーン最後の事件』E・クイーン(砧一郎訳)
1月31日(HPB 204)『ブラウン神父の秘密』チェスタートン(村崎敏郎訳)
1月31日(HPB 293)『聖者ニューヨークに現わる』チャータリス(中桐雅夫訳)
1月31日(HPB 299)『この街のどこかに』M・プロクター(森郁夫訳)
1月31日(HPB 305)『五匹の子豚』A・クリスティー(桑原千恵子訳)
2月15日(HPB 306)『金髪女は若死にする』B・ピーターズ(野中重雄訳)
2月15日(HPB 310)『ヒルダよ眠れ』A・ガーヴ(福島正実訳)
2月15日(HPB 311)『憑かれた死』J・B・オサリヴァン(田中小実昌訳)
2月28日(HPB 298)『メソポタミヤの殺人』A・クリスティー(高橋豊訳)
2月28日(HPB 307)『フォックス家の殺人』E・クイーン(妹尾韶夫訳)
2月28日(HPB 309)『弱った蚊』E・S・ガードナー(尾坂力訳)
3月15日(HPB 205)『ブラウン神父の醜聞』チェスタートン(村崎敏郎訳)
3月15日(HPB 312)『もの言えぬ証人』A・クリスティー(加島祥造訳)
3月31日(HPB 308)『NかMか』A・クリスティー(赤嶺彌生訳)
3月31日(HPB 315)『光る指先』E・S・ガードナー(船戸牧子訳)
3月31日(HPB 318)『囁く死体』W・P・マッギヴァーン(井上一夫訳)
4月15日(HPB 238)『黒衣夫人の香り』G・ルルウ(日影丈吉訳)
4月15日(HPB 313)『ニコラス街の鍵』S・エリン(福田陸太郎訳)
4月15日(HPB 316)『時計の中の骸骨』C・ディクスン(小倉多加志訳)
4月15日(HPB 317)『転がるダイス』E・S・ガードナー(田中融二訳)
4月15日(HPB 320)『五つの箱の死』C・ディクスン(西田政治訳)
4月30日(HPB 319)『非情の街』T・B・デューイ(中田耕治訳)
4月30日(HPB 321)『ねじれた家』A・クリスティー(田村隆一訳)
4月30日(HPB 323)『孤独な女相続人』E・S・ガードナー(高橋豊訳)
4月30日(HPB 325)『用心ぶかい浮気女』E・S・ガードナー(妹尾韶夫訳)
5月15日(HPB 322)『夜の闇のように』H・ブリーン(森郁夫訳)
5月15日(HPB 326)『バトラー弁護に立つ』J・D・カー(橋本福夫訳)
5月15日(HPB 327)『ベルの死』G・シムノン(峯岸久訳)
5月15日(HPB 351)『検事他殺を主張する』E・S・ガードナー(平出禾訳)
5月31日(HPB 300)『ハムレット復讐せよ』M・イネス(成田成寿訳)
5月31日(HPB 287)『帽子から飛び出した死』C・ロースン(中村能三訳)
5月31日(HPB 324)『ストリップ・ガールの馬』E・S・ガードナー(三樹青生訳)
5月31日(HPB 328)『列車の死』F・W・クロフツ(能島武文訳)
5月31日(HPB 329)『女は魔物』P・チェイニイ(田中小実昌訳)
5月31日(HPB 331)『明日よ、さらば』M・スピレイン(高橋豊訳)
5月31日(HPB 334)『死への旅券』E・レイシイ(野中重雄訳)
6月15日(HPB 314)『ダブル・ダブル』E・クイーン(青田勝訳)
6月15日(HPB 333)『幸運の脚』E・S・ガードナー(中田耕治訳)
6月30日(HPB 330)『ポアロのクリスマス』A・クリスティー(村上啓夫訳)
6月30日(HPB 332)『セントラル・パーク事件』C・ライス(大門一男訳)
6月30日(HPB 335)『スイート・ホーム殺人事件』C・ライス(長谷川修二訳)
6月30日(HPB 336)『すばらしき罠』W・ピアスン(井上一夫訳)