コラム / 高橋良平
もっとスペースを!──あるいは、戦後SF出版史番外篇(前篇)
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- 『山田風太郎忍法全集〈第1-2〉 (1963年)』
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アナログ放送停波のひと月ほど前、突然、テレビがオシャカになった。
事の次第は、以下のごとし。
なんの番組だったか忘れたが、夜の時間帯、食事しながらぼんやりとテレビを観ている最中、プツンと画面が消えた。最初は、なにが起こったのか分からず、呆然とするばかり。勝手に電源が切れているのに、ようやく気づき、ありゃりゃと不審に思いながらも、電源を入れ直すと、復旧。だが、しばらくすると、画面全体が、これまで見たことのない蛍光色めいた黄緑に変わり、その黄緑色が、まるでブラウン管の奥に吸いこまれるように収縮して消え、画面は真っ暗、スタンバイ状態を示す電源ランプが点滅をはじめる。こんな手合いの故障は、取扱い説明書のどこにも見当たらず、十数分もすると途切れてしまうテレビ相手に、電源スイッチをだましだまし扱い、なんとか観ていたが、数日するとついに、まったく反応しなくなった(したがって、「JIN─仁─」の最終回を観ておらず、どんな結末を迎えたのか、いまだに知らない)。
ああ、これでテレビが観られなくなったと思ったとたん、自分もまた、しゅるしゅるしゅると縮んでゆき、すとんと暗闇に落とされた気分に......心がしぼむ、奇妙な孤独。断絶感。いつの間にか、生活の友として(べつに、画面にぶつぶつと話しかけたりしてはいない、念の為)、テレビにいかに頼っていたかを思い知らされたようで、半ベソかきつつ、ちょいとしたウツ気分に陥ってしまった......。
まあ、これが潮時、地デジ対応テレビに買い換えるチャンスとポジティヴに考えればいいのだけれど、そうは問屋がおろさない。このテレビジョン・セットをいつ買ったのか、よく覚えていないが、それから幾星霜、天井まで達するDVDやらなにやらの中に埋まっている。かてて加えて、この一辺が五〇センチの立方体を部屋の奥から室外に出そうにも、ただでさえ、うずたかく積まれた本や雑誌の山脈の合間を、カニ歩きでなければ移動できない我が家、その道中、通過を許す余地など、まったくないのだ! ゴミ屋敷、魔窟、そう呼びたければ、呼ぶがいいさ。
しかし、長年お世話になったこのテレビを追放して場所を空けなければ、新品のテレビを招きいれるなど、不可能。いくら薄型でも、ほかに置けるスペースは、ない。
仕方ない。ただし拙速は禁物。ここは計画をたて、是が非でも道を切り拓かねばならぬ。いままでのように、右のものを左に移動させるだけでは埒が明かぬ。大震災直後、本の惨劇から大反省をし、大整理を思い立ったものの、日を追うにつれグズグズになってしまった体たらくからの新規まき直し。不撓不屈、こつこつやるしか......と、腹をくくる。
ため息つきつつ、少しずつ片付ける日々、以前にも増してラジオを聴くようになった。ダイヤルは、昔々、半年間お給金をもらっていた縁(ラジオ制作で「おはよう片山竜二です」と「榎さんのお昼だよ〜!」のラジオ番組を交替で受け持っての下働き中、ブースでよくお見かけたした大沢悠里さんが今も現役なのは、驚くばかり)で、馴染みのTBSに合わせている。緊急地震速報を聴きのがさぬためにも、四六時中、かけっぱなしの状態。仕事中も、聴くでもなく放送を耳にしている。
そんな折り、ふと思い出したのが、小学校も上級生のころのこと。放課後を、美少女ばかりをはべらかして学級新聞をつくるなど、遊び惚けて下校し、帰宅すると、工務店事務所の片隅の小机に向かい、ラジオを聴きながら、その日の宿題をやっていたものだ(教育界で物議をかもす"ながら族"なる言葉もまだ生まれておらず、その有様を見て案じた母親は、担任の西郷先生に大丈夫かと相談したとのこと、のちに話してくれた)。
かくして、晩御飯前、宿題をやりつつ、夕刻の子ども向け連続ドラマを聴く習慣がついた。我が家にテレビが来たのは、小羊幼稚園のみどり組(今でいう年中組か)のときで、以来、すっかりテレビっ子になったから、「少年探偵団」の主題歌などを耳にした覚えはあっても、自分からすすんでラジオを聴くのは、これが初めてのこと。中部地方の放送局は、NHKの第一と第二、中部日本放送(CBC)と東海ラジオの四局だったと思う。
すぐに愛聴した番組は、CBC(TBS系)の帯ドラマ「日本少年」。たしか、益子かつみが〈少年ブック〉で連載した同題の漫画のラジオ・ドラマ化で、中東やアフリカを舞台に主人公の少年が活躍する冒険活劇だったはずだが、内容はほとんど憶えていない。ただし、作者の名前は記憶している。佐々木守だ。この「日本少年」が終わり、後継番組としてスタートしたのが「戦国忍法帖」で、同じく佐々木守・作。
オトナの世界で"風太郎忍法帖"旋風が起きていた(講談社から新書判の「山田風太郎忍法全集」15巻の刊行がはじまるのは、すぐ後の十月からだ)のは知らずとも、少年雑誌の世界でも忍者ブームは巻きおこっており、当時の少年たちの例にもれず、〈少年サンデー〉連載の横山光輝の『伊賀の影丸』は愛読していたし、貸本で読んだ『忍者武芸帳 影丸伝』(全巻通読できたのは、小学館のゴールデン・コミックス版だったけど)から『サスケ』『ワタリ』と、白土三平の忍者漫画は必ずチェックしていたから、この新番組を大歓迎。毎日二〇分ほどの番組だが、ドラマの終わったあと、その日に登場した忍術を解説してくれるのも斬新で、魅力のひとつだった。
ちなみに、〈讀賣新聞〉一九六三(昭和38)年九月九日付けのラジオ欄に、
〈新番組み・ドラマ(TBS後6・05)
月―土の帯番組み「戦国忍法帖」。織田信長の家臣、木下藤吉郎を父のかたきとねらう少年、一色城太郎が、甲賀・伊賀の忍者の争いにまきこまれ、闘争に明け暮れるという物語り。
忍術を合理的に説明するのがねらいのひとつで、物語りの中に出て来た忍術について、解説がつく。(作)佐々木守。
[出演]城太郎(加藤弘)三日月玄馬(若山弦蔵)小百合姫(松島トモ子)老松主人(牟田悌三)信長(大木民夫)。(語り手)武内文平ほか〉
と、番組の内容紹介があるが、これはほんの序章にすぎない。物語は波瀾万丈にエスカレートしてゆき、甲賀・伊賀ばかりでなく、諸国漫遊的に戦いの場も拡がって、風魔、根来など新手の忍者集団が次々と現われ、はてはギヤマン忍法を操る琉球忍者まで登場。しかも、渡来した騎馬民族の大和族と、北へと追われてアイヌとなる出雲族との、古代日本の内戦にまでさかのぼる伝奇的なスケールをみせたのだが、この浪漫あふるる大風呂敷がどう畳まれたのか、どうしたものか、さっぱり憶えていない。熱心に聴いていたはずなのに、情ない。
その後、このドラマを下敷きにしたと思しき物語が〈ガロ〉に連載されたが未完のまま、のちに佐々木守の著書として『新・日本書紀 巻の1=日本忍法伝』(東邦出版社・76年8月刊)が出版されたが、続刊を書店で見かけることはなかった......。
(つづく)