コラム / 高橋良平
ポケミス狩り その5
「ハメットの巻(2)」
それから30年後の1961年1月10日、肺癌のためにハメットは亡くなる。享年66。
〈ご存じのように、ハメットはこの一月、世を去った。一九三四年の『影なき男』を最後として、死ぬまでの四半世紀間、彼はまったく探偵小説から遠ざかっていた。が、ハメットの『赤い収穫』をはじめとする長篇、短篇は、探偵小説に一大革命をもたらしたものとして、今日もなお高く評価されるのである〉
1961年6月に発売されたハメットの短篇集『悪夢の街』の解説で、(S)氏こと、ポケミス担当の常盤新平氏は、そう書き出している。
それはまた、言い換えれば、そのときまで、石上さんのようなミステリ・マニアにとってハメットは、生ける伝説のような存在だったわけだ。
訃報が届く時点までのわが国のハメット作品翻訳史をみると----、
(戦前)
「恐ろしき計画」(大江専一訳)〈新青年〉1932年夏増刊号
『影無き男』(大門一男訳)〈スタア〉1934年一月上旬&下旬号 *抄訳
「暗闇から来た女」(吉岡龍訳)〈新青年〉1934年夏増刊号
「二つのナイフ」(訳者不詳)〈新青年〉1934年11月号
「緑色のネクタイ」(浅野篤訳)〈新青年〉1935年春増刊号
「スペードと云う男」(川井蕃訳)〈スタア〉1936年4月10日増刊号
「西から来た男」(訳者不詳)〈新青年〉1936年夏増刊号
「黒い羊」(延原謙訳)〈新青年〉1937年春増刊号
「海魔団」(訳者不詳)〈新青年〉1937年夏増刊号
(戦後)
■1948年
「謎の大陸探偵」(訳者不詳)〈ウィンドミル〉1948年1〜2月号
「死の会社」(訳者不詳)〈ウィンドミル〉1948年7月号
「フェアウェルの殺人」(訳者不詳)〈ウィンドミル〉1948年11月号
「判事最後に微笑む」(訳者不詳)〈ウィンドミル〉1948年11月号
■1949年
「忍び寄るシャム人」(訳者不詳)〈マスコット〉1949年1月号
「愛は裁く」(訳者不詳)〈マスコット〉1949年2・3月号
「をんな二人」(妹尾アキ夫訳)〈マスコット〉1949年7月号
「第十の手懸り」(訳者不詳)〈マスコット〉1949年9月号
■1950年
「消えた令嬢」(訳者不詳)〈ウィンドミル〉1950年1月号
『影なき男』(砧一郎訳)雄鶏社・雄鶏みすてりーず・1950年7月
■1953年
『赤い収穫』(砧一郎訳)ポケミス#102 ・1953年9月
『デイン家の呪』(村上啓夫訳)日本出版共同・異色探偵小説選集5・1953年12月
■1954年
『マルタの鷹』(砧一郎訳)ポケミス#125 ・1954年2月
『ガラスの鍵』(砧一郎訳)ポケミス#169 ・1954年9月
■1955年
「身代金」(妹尾アキ夫訳)〈宝石〉1955年5月号
『影なき男』(砧一郎訳)ポケミス#109 ・1955年5月 *雄鶏社・雄鶏みすてりーず版を再録
「蠅取り紙」(能島武文訳)〈宝石〉1955年11月号
■1956年
『デイン家の呪』(村上啓夫訳)ポケミス#236 ・1956年2月 *日本出版共同・異色探偵小説選集版を再録
「午前三時路上に死す」(都筑道夫訳)〈探偵倶楽部〉1956年4月号
「王様商売」(小山内徹訳)〈宝石〉1956年4月号
「カウフィグナル島の略奪」(砧一郎訳)『名探偵登場③』ポケミス#252 ・1956年4月
「一時間の冒険」(杉本エリザ訳)〈探偵倶楽部〉1956年5月号
「うろつくシャム人」(都筑道夫訳)〈探偵倶楽部〉1956年6月号
「スペードという男」(砧一郎訳)『名探偵登場④』ポケミス#253 ・1956年6月
『血の収穫』(田中西二郎訳)東京創元社・世界推理小説全集18・1956年6月
「雇われ探偵」(鮎川信夫訳)〈EQMM〉1956年7月創刊号
「貴様を二度とは縊れない」(田中潤司訳)〈宝石〉1956年10月号
「焦げた顔」(谷京至訳)〈探偵倶楽部〉1956年10月号
「アマいペテン師」(平井イサク訳)〈探偵倶楽部〉1956年11月号
■1957年
「二本のするどいナイフ」(田中融二訳)〈EQMM〉1957年1月号
「フェヤウェル殺人事件」(能島武文訳)〈探偵倶楽部〉1957年1月号
「悪夢の町」(谷京至訳)〈探偵倶楽部〉1957年4月号
『ガラスの鍵』(大久保康雄訳)東京創元社・世界推理小説全集35・1957年6月
『探偵コンチネンタル・オプ』(砧一郎訳)六興出版部・六興推理小説選書#106 ・1957年7月
*日本オリジナル短篇集/収録作=「シナ人の死」「メインの死」「金の馬蹄」「だれがボブ・ティールを殺したか」「フウジズ小僧」
「絞首台は待っていた =黄金の馬蹄亭事件=」〈探偵倶楽部〉1957年9月号
「ならずものの妻」(谷京至訳)〈探偵倶楽部〉1957年10月号
■1958年
「十番目の手掛り」(狩久訳)〈探偵倶楽部〉1958年1月号
「誰でも彼でも」(砧一郎訳)〈別冊宝石〉73号・1958年1月
「戸棚のなかに屍が三つ」(黒羽新訳)〈探偵倶楽部〉1958年3月号
「私は殺される」(能島武文訳)〈探偵倶楽部〉1958年4月号
「オダムズを殺した男」(福島仲一訳)〈探偵倶楽部〉1958年7月号
「暗闇から来た女」(乾信一郎訳)〈別冊宝石〉79号・1958年9月
「人間が多すぎる」(高橋泰邦訳)〈別冊宝石〉81号・1958年11月
■1959年
「ケイタラー氏の打たれた釘」(砧一郎訳)〈別冊宝石〉87号・1959年5月
『血の収穫』(田中西二郎訳)創元推理文庫・1959年6月 *世界推理小説全集18の文庫化
「一時間」(田中融二訳)〈EQMM〉1959年8月号
『マルタの鷹』(村上啓夫訳)・世界推理小説全集62・1959年9月
「紳士怪盗イッチイ」(森郁夫訳)〈EQMM〉1959年10月号
「死体置場」(田中小実昌訳)〈EQMM〉1959年11月号
「つるつるの指」(小山内徹訳)〈別冊宝石〉93号・1959年11月
■1960年
「ついている時には」(田中融二訳)〈EQMM〉1960年4月号
『ガラスの鍵』(大久保康雄訳)創元推理文庫・1960年5月 *世界推理小説全集35の文庫化
『血の収穫』(能島武文訳)新潮文庫・1960年5月
「暗黒の黒帽子」(井上一夫訳)〈EQMM〉1960年7月号
『探偵コンチネンタル・オプ』(砧一郎訳)ポケミス#586 ・1960年10月 *日本オリジナル短篇集/収録作=六興推理小説選書#106 の再録
『ハメット/ガードナー』中央公論社・世界推理名作全集10・1960年10月 *収録作=『血の収穫』(河野一郎訳)/「クッフィニャル島の夜襲」「十番目の手がかり」「スペイドという男」(田中西二郎訳)
つまり、ハメットは、探偵映画の原作者として認識されていた面が強かったと思われ、1953年から54年にかけて、ポケミスで『赤い収穫』『マルタの鷹』『ガラスの鍵』と矢継ぎ早に訳され、日本出版共同から残りの長篇『デイン家の呪』が出て、その真価が問われることになったわけだ。
しかし、ここにちょっとした躓きがあった。江戸川乱歩の解説である。詳しくは、ポケミスの解説をまとめた『海外探偵小説作家と作品』(光文社版[江戸川乱歩全集]第30巻『わが夢と真実』収録)のハメットの項や、〈雄鶏通信〉47年11〜12月号初出の「英米探偵小説界の展望」(光文社版[江戸川乱歩全集]第26巻『幻影城』収録)の「ハードボイルド派の選手達」を参照していただきたいが、乱歩は、ハメット作品を正確にとらえながら、つい、自分の口には合わないと漏らしてしまった。これが霊験あらたかなる乱歩の言葉だったから、世の"探偵小説"ファンに誤解や偏見を生むことになったようだ。ここで私見の思い付きを書いておくと、ハメットはハードボイルド派の始祖とはいえ、その枠におさまらない、いまの日本でいえば、高村薫のような作家ではないだろうか。
短篇集『A Man Called Spade』の序文で、編者のエラリイ・クイーンは、末尾をこう結んでいる。
「彼は新しい種類の探偵小説を発明したわけではなかった----その新しい語り口を発明したのだ」
ハメットの"小説"をありのまま読む試み。石上さんの『名探偵たちのユートピア』(東京創元社・07年1月刊)の「俺を「名」探偵と呼ぶな----ダシール・ハメット」の章が、その最初の一歩だった......。