コラム / 高橋良平
天下御免的断続SF話 その2
2月に入ってすぐ、解説を執筆したアーサー・C・クラークの『宇宙のランデヴ−[改訳決定版]』(南山宏訳/ハヤカワ文庫SF)の献本が届く。
締切厳守で原稿を渡してから、3週間たらずで見本の1冊が届いたのだから、活版時代の昔とは段違いのスピードに、いまさらながら驚く。
どれどれと、拙文を読みかえしていると、アレレと思った箇所にぶつかる。いっさいお任せ、校正も見なかった(際限なく文章を直したくなるタチなので、かえって迷惑をかけては申し訳なく、編集者からの疑問がないかぎり、渡してしまった原稿はなるべく見直さないようにしている)のだから仕方ないし、文意が変わっているわけでもないし、校閲の人も親切で直したのだろうし、読者も気にしないだろう----ささいなことだ。
それは、クラークが若くして会長に就任した協会の名が、"イギリス惑星間協会"に直されていたことである。
英語で書けば、"British Interplanetary Society"(BIS)で、逐語訳の"イギリス惑星間協会"が、間違いじゃないのだが......。
BIS は、1933年10月、ロケット研究家のフィリップ・E・クリーターの提唱でリヴァプールに設立された。会員15名のささやかな会だった。
ツォルコフスキー、オーベルト、ゴダードら"ロケットの父"に刺激されて、西欧各国および米国に生まれたロケットによる宇宙飛行、宇宙旅行を研究する運動団体のうちでも、BIS は最古のもののひとつで、クラークが入会したのは発足の翌年だった。
日本でも、1953年、それらに相当する会として、原田三夫さんが、日本宇宙旅行協会 Japan Astronautical Society (JAS)を創立した。その発足の経緯や火星土地分譲計画については、本誌の連載で詳述したのでご参照いただきたい。
そのJSA が1955年に加盟した各国の連絡統合機関である国際宇宙旅行連盟 International Astronautical Federation (ISF) には、当時、18か国、21団体が加わっており、当然BIS も加盟していた。ほかには、American Rocket Society (ARS) 、South African Interplanetary Society (SAIS) 、Schweizerischen Astronautische Arbeitsgemeinschaft(SAA) 、Associazione Italiana Razzi (AIR) など、名称はまちまちだが、宇宙旅行法の研究と一般への知識普及の目的を同じくしていた。
BIS とJAS 、真ん中の単語、Interplanetaryと Astronautical(宇宙飛行)が違うだけで趣旨は同じ。どうしてInterplanetaryという言葉を選んだのかというと、BIS 誕生のきっかけにもなった話題の書、ドイツのヘルマン・オーベルトの著書『惑星間空間へのロケット』の影響があったのではないかと思う。
有人ロケット飛行で探査すべき天体は、手はじめに月、そして火星と金星が実際的だったのは当時も今も変わらず、宇宙飛行といえば当然、惑星間のことであった。
そういえば、E・R・バローズの火星シリーズや太陽系を舞台にした作品が、"スペース・オペラ"という用語が生まれる以前、Planetary Romance と呼ばれていたものだ。
ともあれ、日本宇宙旅行協会のパンフレット〈宇宙旅行〉に、原田さんはInterpalanetary Travelと英題をつけ、BIS も"イギリス宇宙旅行協会"と紹介していた。
というわけで、小学生のときに、原田さんの『ぼくらの宇宙旅行』に大いに啓発されたぼくは、クラークの解説中、原田さんに敬意を表する意味でも、BIS を"イギリス宇宙旅行協会"と表記したのであった。だいたい、いくら正しくても、"惑星間協会"では、なんのことやら分からんではないか、と思ってもいたんだよね。
ここでいま、ちょいと気になって、『小学館ランダムハウス英和大辞典』第2版で、Interplanetaryをひいてみたら、「1 惑星間の[に起こる];惑星と太陽の間の[に起こる].2 惑星間旅行の」とあった。
う〜む、SF翻訳の先人たちの知恵をかりて"宇宙旅行"にインタープラネタリイとルビをふるか、惑星間旅行協会とすれば、よかったのかしらん。
後悔さきにたたず。やっぱり、校正は見たほうがいいのかも......。