第48回
■ビエンチャン食材事情2
「コオロギ食べに行きませんか? 美味しい店を見つけたんですよ」
牛タン大王が中毒となってしまった牛タンをつつきながらおっしゃる。ラオス・ベテランの大王は、牛タンだけでなく、じつはラオス人の常食である昆虫料理もほとんど食い尽くしたという猛者なのである。
「カブトムシは美味しくないですけど。あっ、それとゲンゴロウも不味い。でもあとはだいたい食えますよ」
とのことだ。
イサーンと呼ばれるタイ北部もそうだが、ラオスは昆虫食が盛んである。種類は分からないが、炒めたり揚げたりした体長二,三センチのバッタが、どこの市場でも一皿五〇〇〇キープ(五〇円)くらいで売られているくらいだ。味は"かっぱえびせん"にそっくり。同じ節足動物ということでもあるまいが、目隠しされて両方を交互に食わされたら、どちらがどちらなのか分からないほどである。ということはビールのつまみにぴったりということで、やめられない止まらない状態になることは請け合いだ。
ビエンチャンに住みはじめた当初は、昆虫を苦手としていたことと韓国で食ったことのある蚕のサナギ煮込みが異常に不味かったという経験もあって、昆虫料理は極力遠ざけるようにしていたおれではあった。だいたいバッタをその姿のまま口に入れて噛み飲み込むなど、イナゴの佃煮を名物とする北関東出身者には重々すまぬが、考えるだけでゲロを吐きそうというもんじゃないか。
だがある日。わが人生に食えないものが存在するということに疑問と悔しさを覚えて突然発奮したというのは、五十過ぎたオヤジのケチくさく意地汚い思考回路の賜物である。割り勘の宴会で食えないものが次々と出てくることを想像してもらいたい。怒りと悲しみでその後の人生は台なしである。そこで意を決して炒めバッタを購入。えいやっ! と口に放り込んだおれであった。
するとどうだ。
あらあら、とひとこと。
おいおい、とふたこと目。
そのウマイこと!
以来市場に行くたびにバッタ売り場でちょこちょこ味見させてもらうまでになっていたのである(作り手によってけっこう味が違うのだ)。
昆虫は料理にもよく使われていて、蟻の卵入りナスの煮込みなんてのもある。二,三ミリ大の白い卵は味に癖もなくプチプチと歯ごたえもあってなかなかに美味い。畑のキャビア"トンブリ"みたいなもんである。屋台の総菜屋でよく売られていて、もち米との相性がぴったりだ。厨房を荒らしたり汗じみたパンツを食いまくる蟻ではあるが、蟻卵料理はそんな彼らに対する霊長類様のささやかな復讐なのかもしれない。
蚕のサナギの煮込みもよく売られているが、こちらは韓国でのひどい経験が残っているので味見はしていない。
蟻といえば、カフェ・ビエンチャンを作っているときに悩まされたシロアリに纏わる食い物もある。シロアリの巣に生えてくるシロアリ茸というキノコだ。雨季に入ると市場に登場する。しかし売られているのは長くても一週間ほど。量もごくわずか。値段も五,六本で二〇〇〇〇キープ(=二ドル)近くはするという高値だ。日常的に売られているフクロ茸なら大きなレジ袋をいっぱいにするくらいの量が買える値段だから、松茸並みの高級キノコということになる。食べた人によると松茸以上に美味いという。ならばと買ってきてパスタの種にしてみた。微妙な甘さが口に残るキノコで、それほど美味くはなかった。どうしてラオス人が珍重するのかわからない味だ。
逆にラオス人が理解できない日本人好みのキノコもある。松茸。これは市場には出回らないが、北部の山で採れる日本への輸出向けのものが、人伝で手に入ることがある。しかしそのほとんどは輸出仕様に耐えられない撥ね物で、香りも飛び、在住日本人にはこんなの松茸じゃねえとあまり評判がよろしくない。だが一度だけ日本輸出用の上物が手に入ったことがあって、これは香りも味も強く、店で炭火焼きにして出したところ大評判だった。もちろん日本産の松茸に敵うはずもないが、仕入れ値は一キロ三〇ドルほどである。だから店に出したほかは、松茸ご飯やパスタの種にしてゲップが出るほど食ってやった。もう今後のおれの人生に松茸はいらんね。
ラオス人はタランチュラみたいな巨大蜘蛛の卵も食うらしい。カフェ・ビエンチャンにも二匹ほど出没したことのある、体長十センチはあろうかという巨大蜘蛛である。話してくれたのは考古学者のKさん。
「ワット・プー近辺を発掘してたときですけどね」
ワット・プーというのはカンボジアのアンコール・ワットを築いたクメール王朝が建てた寺院跡で、世界遺産に指定されている遺跡である。
「穴を掘ってたラオス人たちが騒いでると思って見に行ったら、それが巨大蜘蛛の巣。しかも卵を抱えていて、聞けば、その卵を食べたら三日三晩は寝ないでヤレるんだと」
「強精剤だ」
「そう。有名らしい。それで見つけたラオス人たちは興奮しちゃって、そのまま仕事放り出して卵を抱えたまま帰ったと思ったら、あとは三日間出てこなかった」
「ヤッてたんですかね」
「聞いたらニヤニヤして答えてくれなかったけど」
恐るべきラオスのタランチュラ卵。カンボジアのプノンペンの市場で巨大蜘蛛の姿揚げが売られていたのを目撃したことがあるので驚きはしなかったが、しかしビエンチャンでは見たことがなかったのでラオス人は食べないと思っていたのだ。それが強精剤になっているとは知らなんだの世界は広い深い。ひょっとしたらカンボジアに近いラオス南部では、蜘蛛を食用にしているのかもしれない。もっとも蜘蛛大嫌いのおれとしては精がつこうと三日三晩寝ないでヤレようと、そんなものを食うのはご免被りたいのだが。
卵では、孵化途中の鶏の卵という食い物もある。ベトナムでは有名な食い物だが、ベトナム系住民が多いのでラオスでもポピュラーなのかもしれない。蒸された卵の殻を割ると、中にはヒヨコになろうとしているプチ・ヒヨコが。食ってみたが、味のない鶏軟骨を食っているみたいで美味くもなんともない。なぜベトナム人がこれを愛好しているのかがさっぱり理解できない食い物である。
肉系の食い物では、ソムムーやサイコークソムと呼ばれるソーセージのような発酵豚肉がある。どのように作るのかは小泉武夫先生にでも聞かなければわからないが、ほんのりした酸味がもち米はもちろん、ビールにも最高だ。
豚や鶏の血は世界中で料理されている。ヨーロッパでは豚の血を使ったソーセージが有名だし、中国には豚の血に食塩を入れて蒸し固めた紅血と呼ばれる血豆腐があるし、沖縄や大島でも豚の血料理があると聞く。
東南アジアでは血豆腐がポピュラーだ。ビエンチャンの市場でも定番商品である。スープや麺料理の具として使われるのが一般的だ。
肉では犬肉を焼いて食ったりもする。オヤジのための強精料理である。
ヤギも精がつくということでけっこう食べられていて、郊外にある某有名ヤギ肉レストランは週末土日ともなるといつも満員だ。毎週金曜・土曜のカフェ・ビエンチャン限定メニュー・ヤギ肉ジンギスカンで使う肉の仕入れ先はこの店。道路一本隔てた店の前にヤギ牧場があって、肉にされるために引かれて行く子ヤギを見ながら、おれはいつも"ドナドナ"を唄っていたというのは嘘だけど。
そういえばこのヤギ肉レストランで一度、カフェ・ビエンチャンの隣に住む微妙に色気持ち奥さんと出くわしたことがある。奥さんは友人女性と二人でヤギ焼肉を食っていたのだが、精をつけるために食っていたのであろうか。人妻は世界共通に微妙なのである。
ところでヤギ肉は鍋にしたり焼いたりと、ラオスを含めて東南アジア一帯で食べられている食材だが、日本では屋久島や沖縄でもポピュラーな食材である。それだけではない。泡盛はラオスの地焼酎ラオラオに味が似ているし、先にも書いたが住む人の気質の共通性といい、沖縄一帯とラオスを含めた東南アジアの文化的類似性は驚くほどだ。もちろんそんなことは文化人類学者あたりが調べ尽くしていることなのだろうが、住んでみるとしみじみと実感させられて、ただただ驚くばかりだ。なんて言いながら、沖縄には行ったこともなくて本の知識だけなのだが。
ということで、ようやくコオロギだ。
コオロギ炒めの味は炒めバッタの味に似ているが、よりエビに近い。
牛タン大王に連れて行ってもらったレストランは、ビエンチャン郊外にある沼沢地に高床の簡易バンガローを幾棟も連ねたおしゃれなレストランだった。メニューはラオス料理を中心としたものだが、名物はコオロギである。
そしてテーブルの上の皿に盛られた炒めコオロギ。食べるのは初めてだ。
コオロギの体長は二センチくらいで小さなものばかり。以前、ラオス中部の町サワナケットに行くバスの中で、斜め向かいに座っていたオバチャンが串刺しにされた四センチはあろうかという巨大コオロギを食っていたのを見たことがあるが、それよりもずいぶんと小ぶりである。油で炒られて黒光りしている姿は、プチ・ゴキブリに思えないこともないが、ここまできて余計なことは考えないことにする。
一匹を指先でつまむ。
丸く愛らしい目がおれを見ている。
ディズニー映画「ピノキオ」に登場するジミニー・クリケットの姿が浮かんでくる。ピノキオに良心を教えた喋るコオロギ。それをおれは食うのである。
許せ。おれは良心のかけらもない日本人のオヤジだ。
口に入れた。
一緒に炒めていたレモングラスの爽やかな香りが鼻腔をふわりと抜けた。かすかな塩味。
噛んだ。
殻付きの小エビを食べたときのようなシャリッとした食感。レモングラスの香りのあとを追いかけるようにして立ち上がってくる炒め油の香ばしい匂い。
「美味しいでしょ」
牛タン大王がおれを覗き込んだ。
おれは叫んだ。
「うまああああいっ!」
「ここのコオロギはレモングラスと炒めてるところがミソなんですよ。塩味もちょうどいいし」
大王の言葉になるほどとうなずく。コオロギもここまで美味く料理されたらウオルト・ディズニーも墓の下で喜ぶというものだろう。おれは冷えたビアラオを喉の奥に流し込んだ。"かっぱコオロギ"だぜ!
ラオスの虫食いはやめられない。
住んでから三年が経とうとしているおれは、いつのか知らずに、虫すらも口にする立派な男に成長していたのであった。