第2回 岩手県
聞くところによれば、岩手県といえば洞窟なのだそうです。岩手県が洞窟界のメッカだったとは、まったく知りませんでした。
たしかに日本最大の鍾乳洞安家洞もあるし、山口県の秋芳洞、高知県の龍河洞とともに日本三大鍾乳洞と謳われる龍泉洞も岩手県です。龍泉洞は地底湖の青々とした水が美しく、洞内が泥っぽい龍河洞よりきれいだったのを覚えています。とはいえ鍾乳洞なんて2つか3つ見ればどれも同じです。クラゲみたいな形の岩とか、観音岩とか、皿がいっぱい重なってたり、地下水が溜まってたり、ときには川が流れてたり大きな空洞があったりしてもがぜん地味です圧倒的に。
私は洞窟で一番面白いのは入口であると思います。この奥にどこまでも続く穴がある、いったいどこへ繋がっているのだろうと思えばわくわくします。けれどもそのどこまでも続く穴を歩きたいかというと話は別。中は穴というより筒です。筒の中歩きたいなんてふつうは誰も思わない。せめて途中に大きな陥没穴があって空が見え、その部分だけ日光があたって植物が繁茂しロストワールドみたいになってたら、そこは歩いてみてもいい気がします。というかそこだけでいい。正直洞窟なんて楽しいというより怖いものじゃないでしょうか。いずれにしても岩手県といえば洞窟だぜといって盛り上がれる人は、かなりの少数派だと考えられるので、この話はここで打ち切ります。
岩手県の観光スポットとして有名なのは、北山崎、浄土ヶ浜、平泉、猊鼻渓、遠野、小岩井牧場、八幡平、安比高原などでしょうか。
こうして見るとそれなりの見どころが揃っていますが、ひとつひとつ見ていくと、断崖絶壁の続く海岸線、美しい渓谷、牧場、高原など他県にもありそうなものが目につきます。
とりわけ小学校でも習った有名なリアス式海岸は、観光の目玉スポットとして取り上げられることが多いものの、正直なところ全国にある断崖絶壁の海岸線との違いが素人にはよくわかりません。どのへんがリアスなのか。岩に大きな穴が開いていたりしますが、あれリアスでしょうか。よく比較される北欧のフィヨルドなどは、行ってみるとなんともフィヨルド感があるのですが、リアス式海岸のリアス感とは何でしょう。山が沈んでできた複雑な海岸線というのであれば、日本中が大なり小なりリアス式海岸のような気がします。きっと世界的には珍しいけれど、日本では普通ということなんじゃないでしょうか。海外旅行に飽き飽きしたセレブは感動するかもしれませんが、一般庶民には感動は薄めです。
ではまさに岩手県でしか味わえない、他県の追従が及ばない、一般観光客をして「こんなの初めて」と言わしめるスポットはどこでしょうか。
平泉、遠野、花巻の名が浮かびます。
平泉は岩手県でもナンバーワンの観光地であり、中尊寺をはじめ、毛越寺、義経堂、達谷窟など見どころが多いので、行くといいでしょう。ただし金色堂はあまりに金ピカで思った以上に小さいため、本物なのにまるでレプリカのように見えるのが残念です。そのほか義経堂の仁王像はあまり話題になりませんが、とってもチャーミングで素敵です。
民話のふるさと遠野は、農村風景にすごい特徴があるとは思わないものの、民話の持つ濃厚な気配が漂っているような気がします。錯覚だと言われれば反論できませんが、そういうときはおしらさま人形の不気味さを思い出しながら歩けば、味わいが増すこと請け合いです。私は日本でおしらさま以上にインパクトのある人形を知りません。青森や宮城にもありますが、一度どこかで本物を見てみることをおすすめします。
そして花巻。われわれは夏目漱石がどこで生まれたのか知りません。どこだっていい気がします。では村上春樹はというと知りません。でも宮沢賢治はと聞かれたら、花巻ではないかと思います。確信はありませんがそんな気がします。たぶん合ってる。そのぐらい花巻と宮沢賢治は分かちがたく結びついており、全国によくあるつまらない「○○○ゆかりの地」とは格が違います。花巻には宮沢賢治記念館や童話村などがあって行ったことはないのですが、彼の独特の宇宙感を感じることができるなら、全国無二のスポットではないでしょうか。イギリス海岸はなぜ賢治がそんな名前を付けたのか理解できないただの川ですが、賢治の童話を頭に浮かべながら眺めれば、細かいことはどうでもいいような気がしてきます。
そのほか二戸郡にある御所野縄文博物館は、館内でプロジェクションマッピングを行うなど展示に力を入れたなかなか斬新な博物館です。このところの縄文ブームで北東北の縄文関連施設は充実度を増していますが、これまで古代の遺跡などまるで興味のなかった私も、ここではわくわくさせてもらいました。弥生時代や古墳時代は地味すぎて興味が持てませんが、縄文時代は土偶や火焔式土器など見た目が変なので面白いです。
さて岩手県の最後に、私が忘れられない場所を紹介します。それは七時雨。
会社員だった頃、仕事の関係者に連れて行ってもらったのですが、深い森の奥に忽然と広い草原があらわれ、ホビット庄に来たのかと思いました。われわれ以外観光客はひとりもいなかったのですが、木々の間に妖精の姿を見た気がします。当時は仕事が辛くいっぱいいっぱいだったのかもしれません。ふと紛れ込んだ大自然に癒されたという、つまりそれだけのことだったかもしれない。とくに何か珍しいものがあったわけでもありません。それでも私は秘密の別天地を見つけたと思いました。
ただ、もう一度あそこに行こうとは思いません。何十年ぶりに行ってみたらパラグライダーなんかやってたりして、きっと幻滅するでしょう。旅の印象とはそういうものではないでしょうか。場合によって、旅先についてあんまり詳しく知らないほうがいいこともある。秘密は秘密のままに。無知は無知のままに。何でもかんでも真実を知ろうと思うのは、現代人の悪い癖だと思います。