第18回 長野県
長大な日本アルプスを擁する長野県をひとことで表すとすれば、それはもう「山」というしかないでしょう。
名峰と称される素晴らしい山々が、長野県を取り囲んでいます。ですので、山好きであれば選りどりみどり、どれでも好きな山に登るといいでしょう。たとえそれほど山が好きでない人でも、気軽に行ける高原が多くあるので、好きなところへ行くといいでしょう。それさえも興味がないという人には、たくさんの温泉があります。もうほんと、どこでも勝手に行けばいいでしょう。
なんだか投げやりなようですが、そのぐらい観光地としてはテーマがはっきりしており、とくに言いたいこともないのです。
山や温泉以外にも、国宝松本城や善光寺、軽井沢、諏訪湖、安曇野、中山道妻籠宿などなど、いろいろありますが、名だたる山々に比べれば、どれもおまけのようなもの。日本最高レベルの山が県内どこからでも見えるのですから、山のない関東平野に少し分けてやりたいぐらいです。
ただ、じゃあ山を観光しようとなった場合、山慣れた人はいいのですが、そうでない人にとっては少々やっかいです。見るだけならともかく、山の良さ、本当の面白さを体験しようとすると登らなければならないからです。
山登りはきつい。きついどころか下手すると遭難したりする。
なぜ観光にきて、わざわざ大変な思いをしないといけないのか。高原でいいだろ高原で。高原牧場でアイスクリーム食って帰ろう。そう思っている人がたぶんこの世に半分ぐらいいます。いや、もっといるかもしれない。
そういう人は、登山家たちがあこがれる北アルプスの槍ヶ岳、穂高岳、さらに剣岳(これは富山県ですが)などの写真を見ても、ちっともワクワクしません。あんなゴツゴツした無骨な岩山に自分が登ったところを想像しても、とくに面白そうに感じません。
でも中央アルプスの木曽駒ヶ岳だったらどうでしょうか? 南アルプスの仙丈ヶ岳は? 槍ヶ岳の北へ続く、野口五郎岳から薬師岳への稜線(富山県ですが)の写真を見たらどう思うでしょうか?
そこには岩山とは違って、広々とした草の斜面が広がっています。
おお、岩山なんか登りたくないけど、こういうハイジ的な斜面だったら行ってみたい。なかには、そう、ときめく人もあるのではないでしょうか。
たとえ今はときめかなくても、人間は中高年になると人生に疲れ、草花などの自然に目覚めがちですから、そのうち魔が差して山に行きたくなったりするかもしれません。
体力的に無理という場合でも、たとえば、北八ヶ岳ロープウェイで縞枯山や北八ヶ岳にあがるとか、中央アルプスの駒ヶ岳ロープウェイで千畳敷カールにあがるとか、栂池ゴンドラリフトとロープウェイで栂池自然園、あるいはバスで乗鞍の畳平などという楽チンルートも用意されているので、ためしに上がってみることをおすすめします。乗り物を降りると、上はとても景色が良くて、空気もおいしく、めっちゃ寒いです。
そうですか。寒いのだめですか。わかりました。無理ったら無理という人のために、別の角度から長野県に光を当ててみようと思います。
長野県=「人じゃないものの世界」。
山自体もともとそういう世界です。そこは人間よりも野生動物の世界であり、また神の領域でもあります。べつに長野県でなくたってそうなのですが、長野県の神様についていうと、なんだか独特なのです。
パワースポットである諏訪大社や戸隠の神々は、われわれのよく知る伊勢や出雲の神様、さらに身近な八幡さんとか、お稲荷さんとか、天神さんなどとは雰囲気が違って、自然の力がとりわけ濃厚な感じがします。
さらに田沢温泉から千曲方面に少し戻った修那羅峠というところに安宮神社があります。この神社は、修那羅大天武命によって開かれた小さな神社なのですが、この修那羅大天武命自体も他で聞いたことがないうえ、境内には無数のふしぎな石仏、石神が並んでいます。シンバタレ神、ミヤクニヨアウワコレイ神、ラツソ神、ハアハ神などなど、まったく聞いたこともない神様のオンパレード。なかには左ウチワ神、ピエロ観音、アポロ地蔵などギャグみたいな神仏も紛れ込んでいますが、全体としてとても異様な世界です。
長野県は道端に道祖神もたくさんあって、そこらじゅう神様だらけといっても過言ではありません。
民俗学者ではないので、間違っているかもしれませんが、長野県は全国にチェーン展開している神様とは違うタイプの神様があふれている気がします。
さらに「人じゃないもの」としては、地獄谷温泉に温泉につかる猿がいて、外国人観光客に人気です。われわれにすれば猿なんて何が珍しいのかと思いますが、外国人がいくので日本人もつられて見にいっています。
それから新潟県との県境付近、中津川の上流には、小さな集落が並ぶ秋山郷と呼ばれる一帯があります。
ここは全国の秘境のなかでもとりわけ秘境と考えられており、最奥にある切明温泉に予約を入れたところ、駅まで車で迎えに来てくれたのですが、そこから約2時間かかりました。最寄駅から片道2時間もかかる送迎は生まれて初めてです。採算とれるんでしょうか。
江戸時代にこの地を旅した鈴木牧之は、まるで中世以前のようなこの地の暮らしに驚き、『秋山記行』を著しました。それによれば、村人は、豪雪地帯にもかかわらず、ろくに壁もない竪穴住居のようなところに住んでいたとのこと。人があまりに少ないため、蚊もいないと彼は書いています。今では道路が通じていますが、ときどき豪雪によって道が寸断され、何日も閉じ込められたりするようです。ここも本来は「人じゃないものの世界」だったのかもしれません。