その1「漫画やアニメが好きだった」 (1/6)
――畑野さんのこれまでの3作品はどれも地方都市が舞台だったので、てっきり地方ご出身の方だと思っていました。実際は東京なんですね。
畑野:世田谷で育ちました。地方を舞台にして書いたのは、東京に住んでいる人のほうが逆に東京のことを知らないということもありますし、自分には都会を舞台にしたスタイリッシュなものが書けないということもありまして...。中学高校は神奈川の多摩丘陵にある学校に通っていたんです。ジブリの『耳をすませば』の舞台となった場所がわりと近い雰囲気なんですが、神奈川県の山奥が舞台といっても分かりづらいだろうと思い、東京からも多摩丘陵からも離れた場所を書いてきました。
――読書の記憶はいつくらいからありますか。
畑野:本を読まない子だったんです。このインタビューの依頼をいただく少し前に、「もしもこの先『作家の読書道』の取材が来ても、何も話せないよ~」って言っていたくらいんですよ...(笑)。先日下北沢の書店のB&Bの、なかえよしをさんのトークイベントに行って、その時に幼稚園の頃「ねずみくん」のシリーズをよく読んでいたことは思い出しました。あとはディズニーのアニメの「白雪姫」や「シンデレラ」をそのまま絵本にしたシリーズも読んでいました。母に「私、何か本読んでた?」って訊いたら、3つ上の兄が『きりぎりすくん』を延々と読んでいたのは憶えていると言われて、それは私も読んでいたなあと思って。あとは『ふしぎなかぎばあさん』や『ちいさいおうち』。『ちいさいおうち』は幼稚園の時に読んで衝撃を受けたんです。町が都会化していって、昔のまま残された小さいおうちが家ごと山のほうに運ばれていく話ですよね。それを読んで罪悪感をおぼえました。ちょうどその頃、うちの近くの雑木林だったところが更地になって区民センターができたので、それはいけないことなのかなと思ったんです。強烈な思い出です。でも普段は本よりも、兄妹でテレビばっかり見ていました。
――どんなテレビ番組を見ていたのですか。
畑野:小学校に入った頃に夕方再放送していた『銀河鉄道999』を見てすごく感動しました。『クリーミィマミ』みたいな魔法少女のアニメもたくさんやっていました。高橋留美子さんの『うる星やつら』とか『めぞん一刻』も。すごく好きで漫画でも読んで、今でも好きです。あとはテレビ東京で夕方から放送しているアニメ枠や、赤塚不二夫さんの『天才バカボン』とか藤子・F・不二雄さんの『怪物くん』『忍者ハットリくん』『パーマン』とか。
――外で遊ぶよりも家にいることのほうが多かったんですか。
畑野:はい。基本的に友達がいなかったので。人生においていっぱい友達がいる時期というのは今でもないんですが。家のなかでテレビを見たり、シルバニアファミリーで遊んだりしていました。小学生になってからは兄が買ってくる『少年ジャンプ』や『コロコロコミック』といった漫画雑誌も読みはじめたので、ますます本は読まなくなって。でも小学2年生くらいの時に『車のいろは空のいろ』を読んだことは憶えています。タクシー運転手の男の人が主人公の話です。「これはレモンのにおいですか」「いいえ夏みかんです」というような会話があって、その頃はまだ食べたこともなかったのに夏みかんの匂いを感じることができて、文章ってすごいって思ったんです、たしか。あとは家の近くに出来た区民センターの中に児童館や図書館が入っていたので、そこで本を借りました。「かぎばあさん」のシリーズや『こちらマガーク探偵団』のシリーズがありました。内容は思い出せませんが、表紙はよく憶えています。みんなが同じ判型の江戸川乱歩の少年探偵団のシリーズを読んでいるのを見て、違うものを読もうと思ったんです。
――人と違うものを...と思うような子供だったわけですね。
畑野:いま思うとひねくれていたと思います(笑)。小学校低学年の時はとにかく運動神経が悪くて、ドッジボールは参加するだけで邪魔になっていたし、縄跳びも飛べないし。外で遊ぼうという枠に全然入れなくて、結果ひねくれてました。自分は無理だと諦めていたんです、どこかで。それでも毎年クラスに1人くらいは仲のいい子がいて、なんとなくそれで過ごせていました。小学5年生になった時に家が近所の子がはじめて同じクラスになったんですが、その子が『りぼん』やコバルト文庫を読んでいたんです。5年生にもなると女の子も外でアクティブに遊ぶよりもおうちでお菓子食べたりするようになって、みんなで集まっているのになぜかそれぞれ漫画を読んでいました。それではじめて少女漫画も読むようになりました。『りぼん』はその頃たしか『ハンサムな彼女』や『ときめきトゥナイト』の第二部を連載していました。柊あおいさんの『星の瞳のシルエット』はちょうど連載が終わる頃だったかな。矢沢あいさんも描いていましたね。私は水沢めぐみさんが大好きでした。コバルト文庫は日向章一郎さんの放課後シリーズや星座シリーズをよく読みました。ティーンズハートの折原みとさんの本も好きでした。
――少年漫画から女の子向けのものへと変わっていったわけですか。
畑野:高橋留美子さんやあだち充さんのような、少年誌で連載しているけれど女の子も好きそうなものは読んでいました。あだち充さんもすごく好きです。小学生の頃通っていた英会話教室になぜか『タッチ』が全巻そろっていて、みんなはやめに行ってそこで読んでいました。私は、今でも時を戻してストーリーを何も知らずに『タッチ』を読み返したいと思っています。何も知らずに読み進めていったら主人公たちのうちの一人が死ぬなんて、ものすごい衝撃だと思う。もしも私がこの先記憶をなくすようなことがあったら、どうか『タッチ』を...(笑)。
――自分で漫画を描いたり、お話を作ったりはしませんでしたか。
畑野:『りぼん』を教えてくれた友達ともう1人と私、3人がマンションの部屋が並んでいたので集まって絵を描いたりしていました。バービー人形みたいな人形で遊ぶ時は、かなり真剣に設定を作りましたね。三姉妹という設定にして、姉妹だから名前もお互いと関連付けて、この子には彼氏がいて、この子は......って決めていって。私はヤな子で、ダメ出ししてました。「その設定は昨日やったからダメ!」とか「その名前じゃダメ!」とか。
――物語を空想するのは好きだったんですね。
畑野:何もしていない時間を空想で穴埋めしているような子だったと思うんです。このあいだ映画の『中学生円山』を観たら、家族が宇宙人だったらどうしよう、というようなことを考えているシーンがあって。自分も昔は、実は自分は宇宙人で、大人になったら宇宙から迎えがくるといったことを空想していたっけ、と思い出しました。
――文章を書くことはしなかったのですか。授業の作文などはいかがでしたか。
畑野:書けなかったんです。作文は嫌いでした。授業時間内に書けたことがなくて家に持って帰って無理矢理書いていました。国語の時間も教科書を黙読するのが苦痛でした。それが高校生くらいまで続きます。音読は嫌いではなかったんです。小学3年生の時に先生に教科書の読み方が下手だと言われ、それで目覚めて、その後は音読はちょっと上手になったんですけれど...。でも黙読はテスト問題で出される文章を読むのも嫌でした。都合のいいように考えると、人にこれを読めとか書けとか言われるのが嫌だったんでしょうね。毎日出さなくてはいけない日記も1行か2行しか書かなくて、最終的には提出しなくなりました。あ、何もできない子みたいに聞こえますが、でも算数はできたんです。すべてに問題のある子だったわけじゃないんです(笑)。
――(笑)。大丈夫、そんなこと思っていませんでした。それにしても試験問題の黙読も嫌だったというのは大変でしたね。
畑野:中学受験をしたんですが、そのために問題集を解いたり模擬試験を受けたりしていると、月イチくらいで『ひと房の葡萄』に出合うんです。あまりに読みすぎたので、今読んでもちょっと嫌な気持ちになるくらい。小学校6年生の時のいちばんの思い出は『ひと房の葡萄』です。