第143回:和田竜さん

作家の読書道 第143回:和田竜さん

城戸賞を受賞した脚本を小説化したデビュー作『のぼうの城』が大ヒット、一躍人気作家となった和田竜さん。このたび4年の歳月を費やした長編『村上海賊の娘』を上梓、こちらも話題に。脇役に至るまで魅力的な登場人物、明快な筆運び、そして迫力満点の戦いの場面といった和田作品の魅力は、幼い頃から触れてきた映画や漫画、そして小説から大きな影響を受けて生まれたもののよう。では、その作品の数々とは?

その3「大学で司馬遼太郎に目覚める」 (3/5)

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――さて、大学生時代の読書といいますと。

和田:この頃から司馬遼太郎を読み始めたんですよ。あまりにもヒマだったんで。自分の名前が坂本竜馬からつけたとは言われていたので、じゃあ、と思って『竜馬がゆく』を読んでみたら、ものすごく面白かった。そこから主に司馬さんの幕末ものを読みはじめました。『燃えよ剣』とか『花神』とか。いずれも面白かったですね。それで土佐に行ったり京都に行ったりして。でも歴史小説の成り立ちをいまいちわかっていなくて、司馬さんが河井継之助のことを書いた『峠』を読んだ後で、他の作家が同じく河井について書いた小説を読んだら全然面白くなくて、あれ? と思ったんです。ああ、僕は司馬遼太郎の歴史小説が好きなんだなと気づき、それでますます司馬遼太郎ばかり読むようになって。

――和田さんにとって、司馬さんと他の作家は何が違ったのでしょう。

和田:僕がいいなと思うのは、平明さといいますか。その人物をいたずらに持ち上げたりしないんです。その人はこの状況でこう考えてこう行動した、ということがわかりやすい。他の作家の作品を読むと、環境に関係なくその人物がそもそも偉人だったという書き方をしているので、同じ言動でも意味が異なってくる。例えば、竜馬が死んだ後に竜馬の血縁が、入院している板垣退助に会いにいった際、板垣退助が病床で正座して、今の自分があるのも坂本先生のおかげです、と言ったという逸話があるんですが、たいていの歴史小説家は自由民権運動の板垣退助が平伏するほど竜馬はすごかった、という解釈をして書いているんです。でも司馬さんの『竜馬がゆく』では、板垣はそういう感じのことが好きだったんだ、とあるんです。そっちのほうがストンと腑に落ちました。実際、そういうことを言って自分が気分よくなる人っていますから(笑)。この人は作家として信用できるなという気がして、それでどんどん読むようになったんです。

――自分で書くことはしなかったのですか。

和田:自分がいた「劇団森」には座付の作家がいなくて、定期公演の演出はやりたい奴が自分で脚本を書いて提出して、そのなかから劇団員みんなで選ぶというやり方をしていました。だから毎回演じるものが違うんですよ。夢の遊眠社の真似っこみたいな芝居があったり、第三舞台の真似っこみたいな舞台があったり。それで、僕も大学2年生の頃だったかな、脚本を書いたんです。『必殺仕事人』が好きだったことと、『竜馬がゆく』などの幕末の乱闘に影響を受けた結果、昭和時代に人斬りが出てくるという話になりました(笑)。いろんな事情を抱えた人たちが人斬りに依頼をする話で、内容はシリアスなんですけれど昭和なのに刀を持った人斬りが出てくるんです。僕が司馬遼太郎に凝っていることは知られていたので、みんなげらげら笑っていました。タイトルは『人斬り藤田源八郎』という...。あ、藤田は「必殺」の藤田まことではなく、高校時代の友達の名前からなんとなくとったんですけれど。

――『人斬り藤田源八郎』が和田さんにとってはじめての脚本なわけですね。

和田:あ、そうなるのか。実はパート2も書きました(笑)。これを書く時に腐心したのは、どの役を演じても見せ場があるようにすることでした。主役ばかり目立って他が賑やかしに見えるものでは役者もやりがいがないし、観ている側もつまらないですから。どんな小さな役にもはじまりがあって終わりがあるようにしようと思って書きました。それが未だに続いていますね。

――劇団の活動などを通して、新たに読むようになったものはありませんか。

和田:まわりに言われて小津安二郎や溝口健二の映画を観たけれども惹かれなくて、でも黒澤明を観たら面白くて、その頃から凝り始めました。最初に『椿三十郎』を観たので山本周五郎の原作も読んで、そこから山本作品をいろいろ読み始めました。その頃って単館系の映画が流行っていて、世界観が狭くてなんとなく難解なもののほうが偉いとい風潮があった気がします。でも僕はものづくりをするなら『ターミネーター』がいい、という人間。難しそうに見えるものが尊重されているなかで、黒澤映画はわかりやすくて面白かったし、山本周五郎の短篇はやりたいことがはっきりわかる。大家といわれている人もそうなんだから、俺もこのままでいこうと勇気づけられました。その頃黒澤はまだ生きていて、講演の様子がテレビで放送されることもあったんです。そこで「映画監督は脚本も書けないと駄目なんだ」と言っていて。それで『全集黒澤明』のような、本人が書いた脚本も載っている本を読んで構成などを研究したことがありました。分析してみてなるほどなと気づいたこともありましたが、でも案外血肉になっている気がしません。それよりも、自分が面白かったものを繰り返し繰り返し観て同じ興奮を味わったことのほうが、自分にとって勉強になっている。分析なんかをしていると、息吹みたいなものがかえってわからなくなる気がします。でも、大学4年生くらいの時にはシナリオ学校にも通いました。基礎科というところで、週に1回くらい、シナリオの基本的な書き方から学びました。

――実際に脚本を書いたりはしなかったのですか。

和田:学校が修了する頃にじゃあ脚本を書きなさいと言われて、何百枚か書きました。講師はもう亡くなってしまった斉藤博さんという、『ザ・中学教師』などを書いた方だったんですが、その先生に「和田くん、この長いものを書き終えたことは評価しよう。でも君はこれが書きたいのかい? 本当に書きたいのか?」と訊かれて、僕はそれに衝撃を受けてしまって。「自分が本当に書きたいものなのか」って問われると、きょとんとしてしまうんですよね。本当かどうかわからないから。学校では、実生活に根差したものとまではいわなくとも、基本的に自分がいちばんわかっているのは自分のことだから、自分について書きなさい、というようなことを教えられるんです。僕は自分に対してまったく関心がないし、やりたいことは『ターミネーター』なんです。僕がターミネーターになる話ならまだしも、自分の学生生活の悩みだのなんだのといった現実生活のことをシナリオに書いて昇華させようなんて思いもしなかった。でも先生の言葉に衝撃を受けてしまって、しばらく脚本を書くのをやめてしまったんです。その後、いや、ちょっと待てよ、じゃあ『ターミネーター』や『スターウォーズ』は誰かが投影されているといえるのか、そういうことに関係なく面白いものは面白いからそれいいじゃないか、と思えるようになりました。今でも自分のことを書いているつもりはないですね。自分というものが小説に滲み出ているとは思うけれども、投影させて書こうとは今でも思っていません。

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