作家の読書道 第157回:平野啓一郎さん
ロマンティック三部作と呼ばれている初期三作品を発表した第一期、短篇集を発表した第二期、「分人主義」を打ち出した第三期、そして短篇集『透明な迷宮』から始まる第四期。変化し続ける作家、平野啓一郎さんは、読書の傾向にも変遷が。ご自身の著作にも影響を与えた作品についてなど、今改めてその読書遍歴をおうかがいしました。
その6「最近の読書&今後の予定」 (6/6)
――作家デビューしてから読書の傾向に変化はありましたか。
平野:中長期的にみて自分に意味があるであろう読みたい本と、次の小説を書くのに参考になりそうなテーマに近い小説と、他は社会学とか現代思想、人文科学系の本と、資料的な本を4種類くらい並行で読んでいます。独身の頃は風呂では社会学の本、リビングでは楽しみの本など、場所ごとに一冊ずつ置いて読むものを決めていました。
――場所によって頭が切り替わるという。
平野:僕は分人主義の人間だから、それは大丈夫なんです。小説を2冊同時に読んでいると混ざっちゃうんですけれど、全然違うジャンルだと案外大丈夫ですね。
――一日のサイクルはどのようになっていますか。
平野:日中はずっと仕事をしていますけれど、子供が2人生まれてからはその世話が大変なんで、寝かせて9時くらいからもう1回、12時くらいまで仕事をするか、早く寝て朝早く起きるかのどちらかですね。場所によって読む本を分けるという贅沢な時間はもうないです。
――趣味で読むものはどんな小説ですか。
平野:マキューアンやウエルベックは新刊が出るとチェックします。でもやっぱり僕はちょっと古い小説のほうが好きなんですよね。去年一昨年は『空白を満たしなさい』を書き終わった後、『透明な迷宮』を書くためにまたしばらく短篇を読んでいたんです。昔買ったまま寝かしている本が書棚にいっぱいあって、アポリネールの『異端教祖株式会社』という白水社から出ている短篇集も昔買って食指が動かされないまま10数年放っておいたんです。でもふと閃いて読んでみたら、すごく面白くて。ちょっとだけ影響を受けた気がしますね。イマジネーションが湧いてきたというか。宗教関係の話しばかりですけれど、笑える内容もあって。同じように寝かせておいた本で、マルグリット・ユルスナールの『とどめの一撃』という中編には感動しました。なんでもっとはやく読まなかったのか、というくらい。『ハドリアヌス帝の回想』と『黒の過程』とか、いくつかユルスナールは読んでいたのに。『とどめの一撃』はなにか得も言われぬ「文学作品を読んだなあ」という感動がありました。文体も何もかもが素晴らしい。
――現代作家のマキューアンやウエルベックはどういうところが好きですか。
平野:現代作家だとウエルベックが好きです。『地図と領土』もよかったですよね。後半が話題になっていましたけれど、僕は後半は読者サービスの気がして、前半のほうが好きでした。マキューアンはまあ、あまり好きじゃないなと最近思っているんです。どこまでいってもアイロニーしか出てこないので。『アムステルダム』とか『贖罪』くらいまでは結構好きで、こんなにうまい人はいないんじゃないかっていうくらい感心して読んでいたんですけれど、『初夜』を読んだ時に、嫌な気分になったんです。あれを読んでニヤニヤしている人の輪に入りたくないっていうか。田舎のカップルが初めての時にうまくいかなかったって話をスーパーテクニックでアイロニカルに書くというのが馬鹿らしくなりました。『ソーラー』もその感じが拭えなかった。
ウエルベックはインタビューを読んだら、好きな本が結構似ているんですね、ボードレールとか。彼のラヴクラフトのほうの好みについては僕はあまり詳しくないんですけれど、フランス文学の好みが似ている。ある種のボードレール以降のメランコリーの伝統というんでしょうか。19世紀文学からウエルベックに至るまで滔々とした流れがあるように思います。今「憂鬱」というとすぐうつ病の話になりますけれど、ボードレールの『悪の華』とかウエルベックの世界って、メランコリーなんですけれど、それがいいものとして鑑賞できるんです。ウエルベックの小説はテンポが遅いんですね、ダウナー系というか。でも重くて読み進められないというのではなくて、読みだすとやっぱり止まらない。そのなんとも言えない、ゆっくりな感じに浸りたくなるんです。彼の非モテのペシミズムみたいなものも、結構じわっとくるところにありますよね。
――非モテのペシミズム。
平野:経済的な格差に対して社会は格差を是正しなきゃいけないっていうけれど、モテ非モテの格差は放置されるっていうのが彼の世界観なんですよね。恋愛の新自由主義みたいな世界が到来してしまった今や、非モテは永遠に格差の底辺で苦しみ続けるっていう。まあ、文学って社会のきれい事に対して「違うじゃないか」って言う分野だと思うんですが、ウエルベックはモテ非モテを通じてそのところをずっと書いている。文明論的な視座とそこに生きる人間の惨めな部分とがすごくうまく嚙み合っている。
――今後のご予定は。
平野:3月から毎日新聞で連載が始まるので、今はもっぱらそれの準備をしています。恋愛小説です。タイトルは「マチネの終わりに」。マチネの終わりになにかがある話です(笑)。運命に翻弄されながらお互いに想いをよせあっている男女が会えるか会えないかという、古典的なテーマですね。僕、そのテーマに関心が持てなかったんですよ、昔は。だけど今の社会の中では、自分の意志で生きているという実感を、いろんな人が掴み損なっている気がするんです。たとえば道を右に行くというのが自分の意志だと思っていたのに実はビッグデータで、こういう道路を作ったらみんなが右に行きやすい、というだけのことだったのかもしれない。自然災害とかもあって、自分の人生をどこまで本当に自分で決めて歩いているのか分からなくなってきている段階で、その会えるか会えないかという話を書いてみようと思いました。愛し合うって結局なんなのかということにも興味が芽生えてきました。それは『透明な迷宮』の表題作でも書いたことです。
今、リルケの詩にも興味があって、それも次の本のテーマになっています。古井由吉さんが『詩への小路』という、詩についての本を出されていて、そのなかで「ドゥイノの哀歌」という有名なリルケの詩を翻訳されてい、すごく感動したんです。
それに、40歳ということも気にしているんですよね。
――あ、今年40歳になりますよね、平野さん。
平野:そうです、モノを作る人間にとってはなかなか難しい年齢です。主人公たちも40歳くらいで、男性がクラシックのギタリストで、女性がジャーナリスト。その二人の心の模様を描きたいなと思っています。
(了)