WEB本の雑誌>【本のはなし】作家の読書道>第43回:荻原 浩さん
若年性アルツハイマーにかかった男性を描いた『明日の記憶』が、第2回本屋大賞の2位に選ばれた荻原さん。シリアスなものから滑稽なものまで、毎回作風をガラリと変えてくる引き出しの多さには、ただただ感嘆するばかり。そんな荻原さんに影響を与えたのは、いったいどんな本たちなのでしょう…。
(プロフィール)
1956年生まれ。広告制作会社を経て、1997年、『オロロ畑でつかまえて』で「小説すばる新人賞」を受賞しデビュー。軽妙酒脱、上質なユーモアに富んだ文章には定評があり、行間に人生の哀歓が漂う。次々と新しいテーマに挑む、現在最も注目されている作家。著書には『明日の記憶』他、『なかよし小鳩組』『ハードボイルド・エッグ』『噂』『誘拐ラプソディー』『母恋旅鳥』『コールドゲーム』『神様からひと言』『メリーゴーランド』『僕たちの戦争』がある。『明日の記憶』(光文社)で第18回山本周五郎賞を授賞された。
――はじめに、小さい頃は、どんな本を読んでいたのですか?
荻原 浩(以下荻原) : 本というより、図鑑や地図など、どちらかというと事実が書かれたものをよく見ていました。それらは未だに好きですね。動物図鑑、昆虫図鑑、恐竜図鑑…。あとなぜか、人とちょっと違うとしたら、地図が好きだったところでしょうね。
――では、その頃は世界各国の首都をスラスラ言えたとか…。
荻原 : 言えました。もう忘れてしまったし、その頃から世界地図もかなり変わってしまいましたけれど。
――すごい。恐竜を見て、ナントカザウルスだ、と言えたり。
荻原 : そうですね。でも、そんなに知的な子供というわけでもなかったんですよ。ただ、上に兄がいたことから、周りに年上の人が多かったので、子供なりに理論武装していたのかもしれません。
――では、家にこもって図鑑ばかり見ている子供だったのですか?
荻原 : いえ、普通に外で遊んでいましたよ。僕は埼玉の出身なんですが、空き地がたくさんあって、野球や缶蹴りなどをしていました。実は、今でもそうなんですが、あんまり読書家ではないんです。
――では、小学生くらいの頃に夢中になって本を読んだりは?
荻原 : 低学年の頃は、漂流モノが好きでした。『ロビンソン・クルーソー』とか『十五少年漂流記』、『太平洋ひとりぼっち』…。どこかへ流されたいという願望があったのかもしれません。といって、家庭に問題があったわけではないんですが(笑)。高学年になると、隣りに住んでいたお兄さんから本を借りて、SFを読みました。創元SF文庫などでエドガー・E・バロウズの金星シリーズ、火星シリーズなど、スペースオペラというジャンルでしたね。宇宙を舞台にして大活劇が繰り広げられるようなものです。表紙に書かれたお姉さんが色っぽくて、それも惹かれた理由かもしれない(笑)。そのあたりから、フレドリック・ブラウン、レイ・ブラッドベリなどを読むようになりました。科学的な内容というよりは、ファンタジックなショート・ショート。そのあたりになると、借りるのではなく自分で買って読んでいました。
――SFにハマっていたわけですね。
荻原 : そうですね。中学生時代はミステリも読むようになりました。クリスティーなど有名なものを読んでいましたね。
――創元文庫と早川文庫ということになりますね。
荻原 : そうそう。それらで成長したようなものです。学校の推薦図書なんかは、どうも苦手でした。
――日本人作家は読まれなかったのですか?
荻原 : 筒井康隆さんは読みました。最初はたまたま誰かから聞いて読み始めて、当時出ているものはほとんど読んだんじゃないかな。『ベトナム観光公社』、『農協月へ行く』、『家族八景』…。そのへんが、高校生時代。
――エンターテインメント一色?
荻原 : 太宰治なども手にとってみたのですが、2冊くらいで挫折しました。
――大学に進んでからはいかがですか。
荻原 : ヒマだったので、結構読んだと思いますよ。自分の人生の中で、一番読んだ時期かもしれない。古本屋に行って、面白そうな、妙な本を探し出していました。大正、昭和初期くらいの伝奇小説が気に入って。アマゾンの奥地に獣人が住んでいる、とか、インドネシアの奥地に翼のある人間がいる、というどうしようもないホラ話なんですけれど。なかなか売っていないので、探すのが大変だったことを覚えています。『人外魔境』などの小栗虫太郎とか、夢野久作あたり。文学界において、主流ではない人たちです。
――夢野久作といえば『ドグラ・マグラ』…。
荻原 : あれは衝撃を受けましたね。頭がぼんやりしてくるような、一種異常な体験。こんな本もあるのか、この時代にこんなものを書いた人がいるのか、と驚きました。
――他にはどんな本を。
荻原 : ダニエル・キイスの『アルジャーノンに花束を』も好きでしたね。それもたまたま手にとったものだったんですけれど。それと、日本人では矢作俊彦の『マイク・ハマーに伝言』。これは人に面白いよ、と言われて読んだら、本当にものすごく面白くて。それからハードボイルドに入って、レイモンド・チャンドラーを読み、フィリップ・マーロウに憧れて。実は僕は何作かハードボイルドっぽいものを書いているんですが、それはこれらの影響なんです。
――なるほど。
荻原 : 20代のはじめになると、カート・ヴォネガットを読むようになりましたね。『スローターハウス5』や『ガラパゴスの箱舟』とか…。おまぬけな感じが好きだったんです。その頃はまったく自分が小説を書くなんて思っていなかったんですけれど、今、実際に書いていると、あのユーモア感覚の影響を受けているような気はしますね。
――確かに、荻原さんの作品の中には、なんともいえないおかしみのあるものも多いですよね。
荻原 : あとはジョン・アーヴィングですね。『ガープの世界』など、語っていることは真剣なんだけれど、どこかすごくおかしみがある。自分も書く時に、あんな感じがいいな、と思っているところがあります。
――20代半ばくらいからはいかがですか?
荻原 : 村上春樹は全部読みました。書かれている世界に感情移入するというよりも、単純に文章が心地いいんです。それは今でも読む度に思います。一方で好きだったのが、村上龍の『コインロッカー・ベイビーズ』。小説としてはその頃の上位に入りますね。あのドライブ感と、当時それほど高層ビルはそんなに建っていなかったのに、ビジュアルが浮かんでくる文章がたまらない。村上春樹は読んでいるだけで心地いい感じ、ただパワーは村上龍の『愛と幻想のファシズム』などのほうがあった。矢作俊彦もうまいと思いましたね。コピーライターをやっていたので、読む時に文章や言葉に敏感になっていたのかもしれません。
――仕事の糧にするために本を読んだりもしたのですか。
荻原 : いえ、就職した20代半ばから30代は仕事がごちゃごちゃしていたので、ちょこちょことしか読んでいませんね。ちょうどバブルの頃で、忙しかったんです。それに、人の作った話に乗っかるのが、ちょっと疲れていたのかも。ノンフィクションは読んでいました。写楽にハマって、“写楽は誰なんだ”という系統の本をいろいろ読んで、みんな適当なことを言っているななんて思っていました。
――ところで、文章や言葉が好きだから、コピーライターを志望したのですか。
荻原 : 特に目指していたわけではなかったんです。大学時代、広告研究会に入っていたのですが、まわりがそうした職種を志望しているので、ひとつ自分もやってみるか、と思って。それに、たまたまサークルのコミュニティペーパーを書いていたんですが、結構うまいと言われていたので、その気になったところも。あとは、のちのち会社勤めをやめて独立したいという気持ちが強くて、コピーの仕事なら、そういうこともできる、と思ったんです。ちょうどハードボイルドに染まっていた時期なので、一人で事務所で鳴らない電話を待って、引き出しからポケット瓶を取り出して酒を飲む、という生活に憧れていたのかも(笑)。本って、恐ろしいですね。
――それは初志貫徹されたんですか。
荻原 : 35歳で独立しました。ただ、昼間から酒を飲む勇気はなかった(笑)。時間は自由にできたので、読書の習慣が戻ってきました。
――何を読まれていたのでしょう。
荻原 : 奥さんが買ってきたのを手にするなど、ごく普通の本を何でも選ばずに読んでいました。パトリシア・コーンウェルとか。大沢在昌の『新宿鮫』が面白かったかな。ただ、読んでつまらなくて途中でポイ、というのも結構あった。昔に比べて根気がなくなっていたんです。
――小説を書こうと思ったのは、その頃ですね。
荻原 : たぶん、自分で書いてみようと思ったのは、選ばずに何でもを読んでいるとあまりにも面白くない本にぶつかることがあるんです。学生の頃は本は高価だし一冊を丁寧に読みましたけれど、年とるとつまらない本を読むことに残り少ない人生の時間を使いたくない、と途中でやめてしまっていた。では、何が面白いのか、と考えた時、じゃあ自分でやってみようか、と思ったところはある。
――書き始めたのはおいくつの時ですか。
荻原 : 39歳です。フリーになって時間が自由にできた、ということと、40を手前にして焦った、というところもあったんでしょうね。自分も40歳か、と思うと、今まで何をしてきたんだろう、何もやってないんじゃないか、と考えてしまう。それで少しずつ書き始めて、1年ぐらいなんとなくできた気がして応募して…。
――小説すばる新人賞受賞ですか。初めての作品で受賞だなんて、すごい。
荻原 : 今思うと、ラッキーでしたね。
――そこから作家生活が始まったのですか?
荻原 : 小説だけでは食べていけませんから、生活費を稼ぐために広告の仕事もしていました。クライアントに「本書いているんだって?」と聞かれると「道楽ですから」と答えていましたね。でも“道楽”のつもりで書き下ろしばかり書いていたのが、そうもいかなくなってきて。広告の仕事も断らないようにはしていたんですけれど、はっきり言って、収入的にはだんだん貧乏になりました。ここ2年くらいは、作家専業になりましたが。
――自分が書き手になると、本を読む姿勢も変化しました?
荻原 : これが、またまた読まない時期に入ってしまいました。本は読むんですけれど、自分が書くための資料として実用本とか、ノンフィクションが増えてしまって。でも、これじゃいかんと思って、最近は子供が読んでいる本を借りて読んだりしています。
――お子さんはおいくつなんですか? どんな本を読まれるのでしょう。
荻原 : 上が20歳で、下が18歳です。最近では、白岩玄の『野ブタをプロデュース。』がよかった。作家としてというより、一読者として素直に、面白く読みました。あとは奥田英朗の『空中ブランコ』。これは自分も精神科医の話を書きたくて、設定が似ていると感じて、読んだらヘンにそっちの世界にひっぱられてしまうと思ってずっと読まずにいたんです。その話がなくなったので、晴れて読んでみたら、やっぱりすごく面白かった。僕が自分で書こうと想定していたものとは全然違ったものでしたが。あとは息子が持っていたので『世界の中心で、愛をさけぶ』や『いま、会いにゆきます』も読みました。“セカチュー”は映画で有名になった「助けてください!」のシーンで、くそっ、と思いつつ、涙腺が…(笑)。
――いろいろ読まれているようですね。
荻原 : 読まないと自分が空っぽになる気がして。昨日から読み始めているのは、人から勧められたマージョリー・クォートンの『牧羊犬シェップと困ったボス』。アイルランドの小説家なんですが、今のところすごく面白い。犬が喋っているんですが、擬人化されているとはいえ犬は犬。「メス犬の友達ができた」と言っていたかと思うともうその次にはさらりと「子供ができた」なんて書かれていて。それが面白いんですよ。それと、すごくよかったのはウィル・ファーガソンの『ハピネス』。しみじみとした話でもなくて、ちょっと人をくった、まぬけな話です。ニューヨークが舞台で、生き馬の目を抜くような過酷な出版界において、人生啓発本の投稿原稿をある編集者が、ネタがなくて苦し紛れに出版させるんですが、それがベストセラーになる。実はその本は、読むと誰もがいい人になってしまうという不思議な本で。殺伐としていたアメリカが、絵にかいたように爽やかで美しい社会になっていく。でも主人公の編集者だけは、その本をちゃんと読んでいないので、世界のおかしさに気づいている。そして、そういう世界は本当にハッピーなんだろうか、と疑問を持ち、その本の魔法を断固阻止しようとする。真似はできないけれど、こういう、大ボラ話だけれどよくよく考えると含蓄のある話を、自分も書きたいですね。
――それはぜひ読んでみたいです。ちなみに、本を読むスタイルというのは…。
荻原 : 遠くへ行く時は必ず荷物の中に本を入れますね。あとは夜、寝しなに。…だからよくないんですね、すぐ寝ちゃって、読書が進まない(笑)。それに、僕は本を読むのが遅いんです。いいなと思ったものは1行1行丁寧に読むんです。妻によく、「さっきから数ページしか進んでない」と呆れられていうます。それは学生時代からそう。本1冊で映画を一回観ることができるし、食事も一回できる。そう思うともったいなくて、大切に大切に読んでいました。今考えると、それが小説を書くためにもよかったのかな。ストーリーだけでなく、こういう風に文を書いているんだ、と確かめていましたから。
――執筆の時期でも、読書のペースは変わりませんか?
荻原 : その時期は遠ざけます。読むと、その作品にひっぱられてしまいますから。それでいうと、『博士の愛した数式』なんかは、『明日の記憶』を連載している時、記憶がモチーフになっているということで、読まないようにしていたんです。でもどうしても気になって読んでみたら、記憶が長続きしない博士が体中にメモをつけている、というところが、『明日の記憶』の主人公と重なっていた。やっぱり記憶の話となるとメモというのは出てくるものなんでしょうけれど、読んでしまったがために、メモに関する描写は少し控えてしまった。そういう風に、下手に読むとストーリーが変わってしまう。何を書いても、何かしら他の作品に似てしまうものですが、やっぱり僕は誰も読んだことのないものを書きたいと思う。それは願望でしかないのかもしれませんが。と同時に、本を読む時は単純に一読者として楽しまないとダメですね。資料として読むのは、つまらない。
――ちなみに今は、どんなものを執筆中なんですか?
荻原 : いくつか並行しているんです。次に本になるのは『さよならバースディ』といって、言葉を覚える猿の話し。これは実際に京都大学の霊長類研究所に取材旅行に行くなどして書いたもの。あとは銀行をリストラされたタクシードライバーの話、平凡な主婦なんだけれど実はスナイパー、という話、昔の続編なんですがハードボイルド探偵に憧れているペット探偵の話…。次の締め切りが、中年のおっさんがドキュメント映画を素人で撮っている話で、インディーズのプロレス団体に無理矢理出場させられるシーンを、今書いている最中です。
――ずい分たくさん抱えていますね! それにしても、シリアスなもの、ハードボイルド調、ユーモラスなもの…と、荻原さんの作品はテイストもそれぞれ全然違いますよね。
荻原 : ひとつやると、違うことがやりたくなるんです。『明日の記憶』と『さよならバースディ』が意外とシリアスな話だったので、今は逆に面白おかしい話を書きたいんですよね。
(2005年5月更新)
取材・文:瀧井朝世
WEB本の雑誌>【本のはなし】作家の読書道>第43回:荻原 浩さん