WEB本の雑誌>【本のはなし】作家の読書道>第49回:島本理生さん
若い世代の、壊れそうなくらいの切ない思いを、確かな文章で綴る島本理生さん。まだ22歳ながら、今や人気作家の一人。中学生の時にすでに雑誌で文才を認められていた彼女は、やはり幼い頃から本好きの少女だったようです。ずっと作家になることを意識していた女の子の読書歴とは?
(プロフィール)1983年東京生まれ。1998年初めて応募した『ヨル』で「鳩よ!」掌編小説コンクール第2期10月号当選、年間MVPを受賞。2001年『シルエット』で第44回群像新人文学賞優秀作を受賞。2003年都立高校在学中に『リトル・バイ・リトル』が第128回芥川賞候補となり、大きな話題を呼ぶ。同年、第25回野間文芸新人賞を最年少で受賞。2004年、『生まれる森』(「群像」2003年10月号)が第130回芥川賞候補となる。2005年『一千一秒の日々』刊行。思春期の繊細な感情や心の痛みを鮮やかに表現し、10代・20代の読者からの支持も高い。
――やっぱり小さい頃から本が好きだったんですか?
島本理生(以下 島本) : 外で友達と遊ぶよりも家で本ばかり読んでいる子供でした。親が夜遅くまで働いていたので、一人で読書して留守番している感じでした。
――どんな本を読んでいたのでしょう。
島本 : 家にもともと本がたくさんあったし、童話なども親が買ってくれたので、いろんなものが家にありました。小学校低学年の頃には、自分で図書館に行って探して読んでいましたね。その頃好きだったのが、メアリー・ノートンの『床下の小人たち』やウェブスターの『足長おじさん』、トラヴァースの『メアリー・ポピンズ』など。親の影響で、外国の児童向けの本が多かったと思います。
――本好きの女の子が好きそうなラインナップ。
島本 : すごく分かります。家の中が出てくる話が好きだったんですよね。古い暖炉があったりする家の風景とか。食べ物でも、ケーキとかパンとかも、自分が知っているものとはちょっと違うような感じで。
――日本人作家のものは読まなかったんですか?
島本 : 谷川俊太郎さんの詩集をよく読んでいました。あとは偕成社から出てるシリーズもので、「〜の日に読む本」というのがあったんです。『かぜをひいた日に読む本』『雨ふりの日に読む本』とか…。いろんな児童文学の作品が収録された、アンソロジーです。その中に、「ズッコケ」シリーズの那須正幹さんの短篇の「ジ・エンド・オブ・ザ・ワールド」という話があって。子供向けに書いてあるけれど、大人になってから読み返してもインパクトがある。この短篇は私の『リトル・バイ・リトル』にも登場しています。
――それほど衝撃的な作品だったんですか。
島本 : 日本で核戦争が起きて主人公の一家はシェルターに入るんだけれど、そこも次第に放射能に汚染されて…という話。死や絶望が強く描かれている一方で、ラストは、希望とはなにか、を考えさせられる。すごく印象的でしたね。
――ちなみに、その頃すでに作家になりたいと思っていました?
島本 : なりたかったです。つねに何かを書いているのが好きで。
――どんな内容を?
島本 : 少女小説みたいな感じかな。主人公が女の子で、好きな男の子がいて…。思い出すと恥ずかしい(笑)。
――小学生ですでに恋愛小説を書いていたわけですね!
島本 : そんな大したものじゃないですよ!
――高学年くらいからは、どんなものを?
島本 : 主に日本文学ですね。太宰治とか、坂口安吾とか。特に太宰が好きでした。でも『人間失格』のようないかにも太宰、という作品よりも、『パンドラの匣』のような、どこか軽さのある作品が好きでした。その頃、カポーティも人に勧められて読み始めました。『草の竪琴』とか『遠い声遠い部屋』などの、日本とは違う空気感や、向こうの独特の風景が感じられる作品が好きだったんです。
――自分の日常から離れた作品が好きだったんですね。
島本 : そうかもしれない。空想癖があったせいか、物語性の強いものが好きでした。
――学校などでは、どんな子だったのでしょう。
島本 : いつも本を読んでましたけれど、あとは普通だったと思います。その頃ってちょうど中学受験が流行っていて、みんな塾に行って勉強してたので、まわりに本を読んでいる子も多かったんです。だから一人で本を読んでいても何も言われなかった。逆に、「その本貸してー」みたいなことを言われていました。
――憧れの作家とかいました?
島本 : あまり人と自分を重ね合わせて考えなかったですね。本を読んで好きだった人もいるけれど、自分の中では自分の世界が強くて。読むことと、書くことは別でした。
――書いたものは相当たまっているのでは?
島本 : 残っているけれど、恥ずかしい(笑)。もともとこういうものを書きたい、という流れはあるので、読み返すと懐かしいと思うのと同時に初心にかえることもありますね。
――中学生生活はどうでしたか?
島本 : ジャンルを問わずにいろいろ読んでいました。吉本ばななさん、山田詠美さん、村上春樹さん、と、誰もが通るところはもちろん。外国文学はアーヴィングが好きでよく読んでいました。ただ、その頃読んだものより、最近読んだ『第四の手』が好きですね。ひどいことをさらっと、風が流れていくように書くところも好きだし、アメリカの乾いた空気感もいいなと思っていて。カート・ヴォネガットは『タイム・クエイク』や『チャンピオンたちの朝食』が好きでした。物語がどうの、というより、言葉の使い方が面白い。非常に辛辣なんだけど、独特のユーモアも同時に機能していて、うまく融合している気がします。テネシー・ウィリアムズは短編集が好きでした。他の外国人作家にも通じていますが、日本にはない空気感が好きでした。
――日本人作家で影響を受けたのは?
島本 : 寺山修司がすごく好きでした。最初に読んだのは、マガジンハウスから出ている『メルヘン全集』のシリーズ。若い人向けの童話集で、入りやすかったので。次に『書を捨てよ、町へ出よう』『家出のすすめ』や、評論を読んだり、実験映画を見に行ったりしました。
――中学生の島本さんにとって、どんなところが心に響いたのでしょう。
島本 : 安吾などもそうですが、家族、ふるさと、郷愁というものを感じさせる文章がすごく好きなんです。帰る場所、帰れない場所があって、つねに人生は旅である、という感覚。書いている人の後ろにつねにふるさとみたいな場所があって、でもそこはもう帰れない場所である、という独特の感じがいいんですよね。ノスタルジックなものが好きなのかもしれない。寺山作品の中で、井伏鱒二が翻訳した「さよならだけが人生だ」という詩がよく引用されていて、寺山自身が書いたものを読んでも、そうした印象を受けるんですよね。戻れない場所から別の場所へ流れていく…そういう感覚が、すごくよく分かるんです。
――島本さんの作品では、終わってしまって戻れないけれど気持ちが残っている恋が描かれますよね。そこに通じる感じがします。
島本 : 子供の頃、引っ越しと転校ばかりしていたので、出会いと別れが多かったんです。2年に1回くらいは越していたかな。だから別れていくことにすぐに慣れてドライな反面、ふたたび一緒にいる時間はもう来ない、という実感もつねにあって、その瞬間はすごくセンチメンタルな気分になったり。そういう面が好きな本にも影響していたのかも。
――その頃、すでに自分でも作品を応募することを意識していたのでは?
島本 : 思っていましたね。一人でコツコツ書いていて、でも実際に応募したのは、中3の時に『鳩よ!』に送ったのが初めてです。
――それが「ヨル」ですよね。掌編小説コンクールで当選、年間MVPも受賞した。
島本 : はい。
――当選して、変化などはありました?
島本 : うーん、あくまでデビューとかは関係ない賞ですからね。でも、『鳩よ!』は嬉しかったですね。MVPを頂くと、もう一つ短編を書いて掲載してもらえるので、そこで初めて読み手を意識するようになりました。だからその短篇を書く時のほうが大変でした。意識しすぎてしまって。
――その後、高校在学中に『シルエット』で群像新人文学賞優秀作を受賞。それが本になったのが…。
島本 : 十八歳のときですね。受賞はしたものの、その頃は右も左も分からず、本業はまだ学生という感じだったな、今から思うと。仕事もなかったですし(笑)。部活はやらずに、放課後はよく友達と遊びに行ったりして、家に帰ると夜から小説を書くような毎日でした。
――その頃の読書道は?
島本 : デビューして1、2年くらいは本を読めなかったんです。
――作家としての自分を意識してしまって?
島本 : 良いものを読んで、変に影響を受けるのが怖くて。古典は読めるのですが、現代の作家さんは…。図書館には行っていたけれど、何を読んでいたのか、よく覚えていないんです。本屋に行かなかった、というのもありますね。自分の本が置かれていないと、すごくがっかりするんですよ(笑)。
――再び読み出すのは…。
島本 : 1、2年くらいたってくると、書評やエッセイの仕事が来るようになったので、これは本を読まないとまずい、と思って、ブランクを取り戻すように読み始めました。
――受験勉強をしつつ、本を読みつつ…。あれ、『リトル・バイ・リトル』が出たのは…。
島本 : 高校卒業のすこし前です。
――すごく評判になりましたよね。それで作家としての自覚がまた変わったとか?
島本 : 突然のことだったので、あのときは、そういうふうに冷静に考える余裕がなかったですね。それに私は一回高校を中退して入り直しているので、19歳だったんです。高校生には違いないんですけど、19歳で高校生作家と言われても…(笑)。あの出方は相当恥ずかしかったですよ。
――では、大学生活はどうだったんでしょう。
島本 : おもしろい友達もできたし、興味のある授業もあったけれど、学校から1歩出たら仕事の電話をしたり、打ち合わせに行ったり。読書は登下校の電車の中でした。重点はもう大学よりも仕事のほうに置いてましたね。
――最近では、どんな作品が面白かったですか?
島本 : 絲山秋子さんの本は全般的に面白いです。一冊選ぶとしたら『袋小路の男』かな。最近出た『ニート』の中の『ベル・エポック』という短編も非常に良かった。言葉の選び方がとても鋭くて、だけど共感できる。最近読んだ中では、いしいしんじさんの『麦ふみクーツェ』もすごく良かったです。作品世界が非常に丁寧に描かれていて、エネルギーやあったかさが直に伝わってくる。すごくいい小説を読んだな、という気持ちになりました。
――物語を追うだけでなく、文章自体も味わっているようですね。
島本 : ここ数年は特にそうですね。自分が書いたり推敲したりする作業が増えてから、どんどん他の人の、言葉の使い方も気になるようになりました。小川洋子さんも好きです。特に好きなのは『薬指の標本』や『寡黙な死骸 みだらな弔い』などの短編集ですね。文章といい物語の展開といい、完成された世界にどっぷり浸ってしまいます。中村航さんも好きで、『ぐるぐるまわるすべり台』はラストが秀逸でした。最新刊の『100回泣くこと』は、話自体は淡々と進んでいくのに、読後はすごく残る。小説に登場する人達が皆、暖かいんですよね。それがよけいに切ない。
――最近は海外文学は読まないのですか?
島本 : 読みますよ。本屋の店頭で見かけて、この装丁いいな、と思うと、たいてい新潮社のクレストブックスなのですが。数年前に読んだ『停電の夜に』は、表題作のラストの哀しさが今でも心に残っています。あと最近では、『ペンギンの憂鬱』が意外なストーリー展開で、最後まで読ませましたね。文庫化されましたけれど『旅の終わりの音楽』などもすごく好きです。
――ご自身の執筆活動に影響を与えた作家、作品はありますか?
島本 : トータルではないんですけれど、作品によっては、書いた後から振り返ってみて、あれだったんだな、と思うことはあります。まったく雰囲気は違うんですが、『生まれる森』から『ナラタージュ』まではデュラスがつねにイメージのどこかにありました。デュラスの中でも『愛人(ラマン)』が好きで、主人公の少女が、多感な時期に大人の恋を経験したことによって、自分もまた大人になり、ある意味で、ものすごく老成してしまう。その少女期の終わっていく感覚がものすごくよく分かるんです。
――たしかに、島本さんは少女から大人へ変わる時期の作品が多いですね。あとは恋愛や家族についてのお話が。
島本 : 読者の人にとっても身近なテーマだと思うので。誰でも恋愛について悩んだり苦しんだりすることはあるし、家族も、良くも悪くも特別な存在であって、それに対していろんな気持ちがあるはず。私自身もそうですね。
――恋愛に関しては、ひとつの恋が終わったところから始まるパターンが多いですよね。
島本 : 恋の始まりと終わりって、一番苦しいし、一人でいろいろと考えると思う。私もそういう苦しい時に、本を手にとることが多いんです。人と会うと逆に辛くなることもあって、そういうときに一人で本を手にするとホッとする。逆に映画なんかを見に行くときは、わりに幸せだったり元気なときが多いかな。気持ちが沈んでいる時は、やっぱり本です。
――そんな時によく手にとる一冊というのはありますか。
島本 : その時々によって変わりますけれど、吉本ばななさんの短編集の『とかげ』とか。冷静に読むと、深刻な状況も多いのに、読後はとても心がすっきりしている。すごい浄化作用だと思います。
――ご自身の本も、そんな風に手にとってほしいという思いがある?
島本 : はい。それはすごく、ありますね。
――『ナラタージュ』などは、苦しい恋をしている人に直球で響きそう。高校生時代に好きだった先生のことが忘れられない大学生の女の子の話。これは真っ正面から恋愛を書いたものですよね。書ききった、という感はある?
島本 : あります。自分が書きたいことを、すべてを凝縮して一冊にまとめたら、この本になりました。
――ラストのシーンは、思い出すだけで胸が熱くなります。それに、いろんな人間模様やエピソードも盛り込まれている。
島本 : 今までいろんな形で少しずつ書いてきたことを、ここでいったん全部出しきったかな、という気がします。
――すごく反響があったでしょう。
島本 : 女の人からの手紙が多いですね。「昔した恋愛を思い出す」という声が嬉しい。男の人からも意外に「自分も大学生くらいの時はあんな感じだった、登場人物の気持ちが分かる」といってもらえたりして、ああ書いて良かったな、と思います。
――『ナラタージュ』というタイトルについては? 映画などで、語りや回想で過去を再現する手法のことですよね。
島本 : この小説はどんな物語なのか、と考えた時に、一つ、過去がすごく重要なポイントになってるなと思って。主人公は今を生きているけれど、同時に、過ぎた過去をいつも現在に重ねているところがある。そのときにちょうど映画用語でナラタージュという言葉を見つけて、これにしよう、と。
――なるほど。ちなみに、こうして恋愛を書ききって、次はどうします?
島本 : 恋愛はしばらくいいかな(笑)。ただ、作品の中に恋愛が出てくるのって基本的に好きなんです。家族や生活といった違った要素がありつつ、そこには恋愛もある、というものは書きたい。どちらにせよ、長編ではなく、しばらくは短編を書いていきたいですね。
――同世代を書いていきたい気持ちは強いですか?
島本 : テーマや時代背景、それに世代特有の感覚というものを考えると、自然と主人公がリアルタイムで書いている自分の年齢に近くなるんですよね。ただ、そろそろ、もっと幅を広げたいとは考えています。根本的な作風は一貫していても、小説が変わるたびに、読者に新しい世界観を見せていけたらいいな、と思います。
(2006年1月27日更新)
取材・文:瀧井朝世
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