WEB本の雑誌>【本のはなし】作家の読書道>第59回:法月 綸太郎さん
非常に論理的に構築された推理小説で、私たちをいつも唸らせてくれる法月綸太郎さん。今回はお住まいのある京都でお話をうかがいました。
とっても穏やかに話してくださる姿が印象的。読書歴から広がって、ミステリー小説の歴史や、京大ミステリ研のエピソードなど、興味深いお話がたっぷりです。
(プロフィール)
島根県出身。 京都大学法学部卒。 在学中は京大推理作家研究会に所属。 1988年『密閉教室』でデビュー。 以後ロジカルかつ大胆な推理で読者を圧倒する本格ミステリを次々と生み出す。
2002年には『都市伝説パズル』で第55回推理作家協会賞短編賞を受賞。 近著に『生首に聞いてみろ』『怪盗グリフィン、絶体絶命』などがある。
――法月さんの、最初の読書の記憶は?
法月綸太郎(以下、法月) : 母親が司書補の資格を持っていて、学校の図書室に勤めていたので、家にもわりと本がたくさんありました。『怪盗グリフィン、絶体絶命』のあとがきでも書いたんですけれど、『エルマーのぼうけん』を買ってもらって繰り返し読んだ記憶があります。後は、祖母の家に『暮しの手帖』が毎号揃っていたので、それの「商品テスト」を読むのが好きな子供でした。
――商品テスト?
法月 : 『暮しの手帖』は収入を広告に頼らない雑誌なので、各メーカーのフライパンや電化製品にこんな長所短所があります、ということを遠慮なく書いて、ランク付けしていたんです。それを読むのが好きでした。僕が子供の頃って、高度経済成長期なんですよね。電化製品のテストが多くて、国産のメーカーが並んでいる中に、必ずアメリカのゼネラル・エレクトロニック社の製品が比較対照として出ていて、毎回日本のものはランクが下だったんです。でも何年か読んでいると、だんだん日本の製品が勝つようになっていく。そうすると子供ながら嬉しかった(笑)。
――小学校に入った頃の読書は。
法月 : ご多分にもれず星新一から入って、クラス中で回し読みをしていました。前後して、シャーロック・ホームズの本を買って読み始めて、それでミステリーにハマったんですよね。周りの同年代の人はポプラ社の江戸川乱歩の「少年探偵団」シリーズやルパンを読んだと聞きますが、僕はホームズ一本槍だったので、そっちはあんまり読んでないんです。ホームズ関連本で手に入るものは全部読みました。シャーロッキアンという、ホームズ愛好家・研究家の団体があって、作品の辻褄が合わない部分についても、ホームズは実在の人物で、背後にこういう事情があったからこうなっているんだ…ということを想像しているんです。事件が起こった順番を研究家が並べ替えたガイドブックがあって、そればかり読んでいました。スーパーカーブームとかでみんなが車の名前を覚えている中、僕はそれを横目に見ながら事件の起こった順番を暗記してました(笑)。そういう子供だったんです。
――相当なホームズマニアですね。
法月 : 小学校5、6年生くらいの頃に横溝正史ブームがあって、その前後から海外のミステリーもいろいろ出るようになって。ホームズの本を読み終わった後は、そのパロディを読んでいました。昔から結構な数あったんですよ。それで、ホームズ・パロディ・マニアになって(笑)。ホームズとフロイトが推理合戦をする『シャーロック・ホームズ氏の素敵な冒険』は『ある愛の詩』の宣伝マンだったニコラス・メイヤーが書いたもので、映画化もされています。ホームズがコカイン中毒で頭がおかしくなって、ワトソンがこれはいかん、と精神分析の理論を発表する前のフロイトの元に連れていく。ウィーンで治療を受け、ホームズの宿敵モリアーティ教授の正体がわかり、大がかりな国際的陰謀を解決する…。ホームズがコカイン中毒になったのはお母さんが浮気をして父親に殺されたから、というシャーロッキアンの論文に出てくる説をうまく利用した設定で、それがすごく面白かったんですよ。悪役と列車の上で対決したり、純然な謎解きというよりは冒険ものでしたが。
――映画化作品も面白そうですね。
法月 : 76年くらいに映画化されて、かなり話題になったようです。ホームズのパロディ映画はたくさんあって、ビリー・ワイルダーにも『シャーロック・ホームズの冒険』という、ネス湖のネッシーが出てくる映画があります。本当はネッシーじゃないんだけど。小説だと、『ホームズ最後の対決』という、タイムマシンの出てくる話が好きでした。ホームズ・パロディが、僕がミステリーに入るスタート地点にある。でも、ある時期までは追いかけていたけれど、結構いい加減なものも多かったので、さすがにもう。フロイトの話が当たったものだから、他にもホームズとカール・マルクスとか、ホームズと夏目漱石とか、さらにはホームズがドラキュラや火星人と対決する話もあります(笑)。当然日本語で読めるのは、そのほんの一部ですが、ひとつのジャンルができるくらい、すごい数書かれている。今『シャーロック・ホームズのSF大冒険』を読んでいるんですが、宇宙人の殺人事件を解決するとか、タイタニックが「沈まなかった」謎に迫るとか、そんな話ばかりです。
――一通りパロディものを読んだ後は、何を?
法月 : 柳の下の2匹目のどじょうじゃないですけれど、ホームズのライバルというか、似たような、当時のマイナーな探偵がいっぱい出てきて。『シャーロック・ホームズのライヴァルたち』というシリーズもありました。結果的には、それらを読むことで、本格ミステリーの教科書的な作品を読むことになりました。
――どんな探偵がいたんですか。
法月 : 『ソーンダイク博士の事件簿』は、科学捜査の草分け的な存在で、鑑識の技術がまだ発達していない19世紀末〜20世紀初頭の話。当時の最新科学を使うとこんなことまで分かる、といったことに「おー、すげー」と驚いていた頃で。これはミステリーの歴史の中で、刑事コロンボや古畑任三郎みたいな倒叙物の走りでもあります。誰が犯人かを最初に明かした上で、探偵がどうやって解決していくかを見せるというのを最初にやった人ですね。犯人の隠蔽工作を科学の力で解き明かしていくという面白さがありました。後は、「1+1はつねに2にしかならない」が口癖の『思考機械』とか、店の隅で老人が事件をひもとく『隅の老人』とか。『隅の老人』は安楽椅子探偵の草分けと言われていますが、実際は結構自分の足で調べたりしている。それと、アメリカでは『アブナー伯父の事件簿』が出色です。開拓時代のアメリカが舞台で、地方の顔役みたいな主人公が、馬に乗って領地を見回っていると死体にぶつかって、次々と事件を解決していく。意外な犯人だったり、有名なトリックがあったりしましたね。
――有名なトリックとは。
法月 : 一応ネタバレ警告しておきますね。密室に置かれた水差しがレンズの変わりに太陽の光を集め、猟銃に点火して人が射殺される、というトリックがあるんです。裁判をしていたら裁判官が犯人だったとか、大胆な設定と犯人で面白かった。ただ、開拓時代の話だから、今読むとかなりヘンだったりするんです。アブナー伯父は一応ヒーローなんですが、ものすごいキリスト教原理主義者で。犯行を暴きながら「神はすべてお見通しだ!」などと説教する。それに、現代の読者からすると、犯人の主張のほうがまともだったりして。アブナー伯父のほうが頭がおかしいんじゃないかと思うほど(笑)。
――いろんな探偵がいるんですね。
法月 : ホームズが当たったものですから、第一次世界大戦まではみんな真似して短編で書いていたんです。雨後の筍みたいに。当時の出版形態も、雑誌が強くて読み切りのシリーズものが一番読者が喜ぶということもあった。その後、もっと謎解き小説をちゃんと書きましょうよ、という動きが出てきます。探偵が手がかりを隠し持っていた、とか、実は秘密結社の陰謀だった、という結末ではなく、ちゃんと読者にも解けるようにしよう、と。第一次大戦の後くらいに、今でいう本格ミステリーの長編のひな型がアメリカとイギリスで出てきて、それが大流行したんです。自分にとっては半世紀以上前のものですが、それにハマって。
――どんな作家を読みましたか。
法月 : 代表はエラリイ・クイーンですよね。最初は短編集で読みました。ドイルを継ぐ正統派、という触れ込みだったんでホームズのライバルたちと同じ感覚で読んだら、時代も違うしレベルも全然違う。謎解きのロジックも、ホームズ時代は手がかりが後出しだったのが、クイーンはフェアプレイで読者に挑戦していて、そして犯人が意外な人で。もうそれで残りの人生は決まったようなものです。
――本格推理一筋の人生に。
法月 : はい、本当に。同じ頃に武者小路実篤とか太宰治も読んだんですが。『人間失格』を読んで、これはまるで自分のために書かれた本だ、この本のことを分かるのはオレだけだ、と思ったら、実はみんなそう思っているんですよね。それがちょっと気持ち悪くなったので、対極にある、人間感情はとるにたらないものだというホームズや、動機とか心理的な問題を切り捨てて物的証拠だけを謎解きの手がかりにするクイーンが格好よく見えて、手当たり次第に読みました。
――ほかにもいろいろな作家がいましたよね。
法月 : 不可能犯罪のスペシャリストのディクスン・カーとか、クリスティーとか。いい作品がひとつ出ると、シーン全体がぐっと成長する。一年単位でものすごく進歩しているんです。1920年代から30年代の間に、ものすごいことが起こっていた。流行り廃りはあるけれど、後から書くほうが有利なはずなのに、レベルの高さはその時期のものに追いつきがたい。黄金時代と呼ばれる、すごく不思議な時代があったんですよね。僕らの年代にとっては、当然生まれた時にははるか昔の、しかも外国のこと。自分と何の関係もないことのはずなのに、本格推理、謎解きゲームの一点で時空を超えて直接リンクして、身近に感じられる不思議な時代なんです。
――当時、どうやって本を探していたんですか。
法月 : 中高生の頃に一所懸命読んだガイドブックが何冊かあります。各務三郎の『推理小説の整理学 外国編』、福永武彦、中村真一郎、丸谷才一の『深夜の散歩−ミステリの愉しみ−』、小林信彦の『地獄の読書録』など。
――それを参考にしていたんですね。ところで、30年代以降のミステリーの流れはどうなったんですか。
法月 : 1回わーっと盛り上がったのに、パターンが出尽くすと頭打ちになってしまって、第二次世界大戦の前後には下火というか、路線が変わっていった。イギリスはゆるやかに、少しずつ形を変えていったけれど、アメリカではハードボイルドやサスペンスが流行り始めて。謎解きは古くさい、という風潮になって、日本でも、時期はずれるけれど、そういう時代があったんですよね。
――日本では、どんな動きが。
法月 : 探偵小説でなく、推理小説。名探偵なんてリアリティがないから、やめにして、もっとリアリズムを重視しようみたいな。でも、70年代には横溝正史ブームがあって、密室や名探偵が出てくるフィクションを面白いと思っている人たちはいたわけです。75年に『幻影城』という、探偵小説の雑誌が創刊されて泡坂妻夫や連城三紀彦、竹本健治らが出てきたんですが、資金繰りが苦しくなって廃刊に追いこまれた。反リアリズム的な探偵小説の拠点がなくなってしまったんです。でも『幻影城』出身の作家たちのことは、僕らは大学生の時にすごく面白いと思っていて。81年には島田荘司さんの『占星術殺人事件』が出て、日本の現代の新刊として、すごいことをやっていたから飛びつきました。ところが、当時はそんなに売れなかったらしい。大学生は、こんなに面白いものが何で売れないんだって、みんな怒っていました。当時は本当にレベルが高かった。短編なんかは、世界最高水準だったと思います。でも、売れなくて、みんな路線変更を迫られていたようで。連城さんが恋愛小説を書いたり、泡坂さんが人情物や時代物を書いたりと、なかなか直球の本格が出なくなって。島田さんはずっと直球でしたけれど。それはおかしいんじゃないか、と大学のミステリ研にいた人たちは盛り上がった反動の、欲求不満で自分で書き始めたんです。それで、綾辻行人さんや我孫子武丸、同志社の有栖川有栖さんらがデビューした。
――法月さんは、京都大学の推理小説研究会、つまりミステリ研に入られていたんですよね。綾辻さんや我孫子さんと同じ。
法月 : 我孫子武丸は同期です。当時は20人くらいいたかな。僕は島根の高校生だったんですけれど、田舎でミステリーを読んでいる奴がいなくて、自分はいっぱしのマニアだと思っていたんです。京都に来て大学に入ったら、みんなそれぞれ沢山読んでいて、得意分野が違う。ハードボイルド、冒険小説、警察小説…。新しい作品は何を読んでいるのか聴くと、みんな少しずつ違って、あれが面白い、これはどう、と情報交換ができました。でも基本はちゃんと押さえていて、クイーンなどはみんな読んでいたので、まず、話が通じる。ツーといえばカーという楽しさがありました。さらに、先輩にはもっと深いマニアもいる。都会の大学はすごいなあと思いました(笑)。僕はその頃は日本のものはあまり読んでいなくて、先輩に面白いからとにかく読め、と言われて、それで連城、泡坂を読んだらとりつかれたようになって。大学に入って1、2年目は同期や周りの人が言うものをひとつずつ読んでいく時期でした。それまではミステリー以外は読んでいなかったけれど、我孫子武丸がいろいろ読んでいて、村上春樹がいいよと言われて読んだら面白かったとか。芋蔓式に、他の小説、漫画や音楽を吸収する機会に恵まれていて、ミステリ研にいたのはよかったですね。
――相当数読まれていると思いますが、当時読んで印象に残っているものは。
法月 : やはり今でも一番覚えているのって、大学の時に読んだものなんですよね。1、2年目は連城三紀彦と泡坂妻夫を必死で読みました。インパクトは大きかった。泡坂さんだと、やはり『亜愛一郎シリーズ』ですね。連城さんの短編も水準が高くて、どれかに絞れと言われても両手でも足りない。一番ポピュラーなのは『戻り川心中』。でも、連城三紀彦が好きな人でも、どの本が好きかは分かれるんですよ。『夜よ鼠たちのために』はあきれるほどトリッキーだし、『宵待草夜情』には「能師の妻」や「未完の盛装」があるし…。僕はあまりみんなが挙げない『運命の八分休符』が好きなんです。これだけ同一キャラの連作になっていて、僕は昔からシリーズ名探偵が好きなので。本の佇まい自体が好きなんですが、この中の「観客はただ一人」という短編がお気に入りなんですよね。連城さんの短編の中ではおとなしいほうだと思いますが、逆転の発想であっと言わせます。
――当時、関西から続々とミステリー作家がデビューしたわけですね。
法月 : なんで関西はあんなに出るんだ、と言われていました。
――法月さんご自身は、ずっと書かれていたのですか。
法月 : もともと京大のミステリ研は伝統的に創作が主流だったので、同人誌にもずいぶん書きました。大学ノートを縦にして、シャーペンで書いたり…。デビューすることになった長編も、最初はそうやって書きました。
――『密閉教室』ですね。デビューされたのは在学中ですよね。
法月 : いや、卒業してました。留年したので、23か、24歳の時です。綾辻さんはもうデビューされていて、講談社の編集者の宇山日出臣さんが、もっと他に書ける人はいないか、と言われた時に手を挙げたのが僕と我孫子武丸だったんです。大学ノートに書いたものを長編にして江戸川乱歩賞に応募したんですけれど落っこちて、それを宇山さんに見せたら、これをきちんと書き直したら本にしますから、と言われて。普通だったら本にならない学生の小説を、宇山さんが面白いって言ってくれた。ミステリーランドも宇山さんの企画だったんです。先月亡くなられたんです、まだお若いのに突然。それでみんなしょんぼりしていました。でもちゃんと仕事するのが供養だよね、と言って励まし合って。
――残念なことです。そんな宇山さんの後押しがあってデビューされて。卒業したら作家一本でやっていこうと?
法月 : 我孫子君は就職せずにそのまま作家専業となったんですが、僕は当時は作家一本でいけると思っていなかったんですよ。それで就職活動をして、銀行に就職して半年間働いていたんです。でも、銀行は銀行でいろいろ軋轢が…。その一方で宇山さんは早く次の原稿を書けと言うけれど、新入行員では書く時間がない。それで、辞めて専業になったんです。
――当時の出版界は…。
法月 : 今とはだいぶ違っていて、世間のことを知らない学生が青臭い謎解きで次々とデビューしているけれどハナから小説になってない、人間が書けていない、とずいぶん言われました。今から振り返ると隔世の感がありますが、当時、そういう言い方にはある程度説得力があった。僕も24、5歳だから生意気の盛りですよね。謎解きが古くさいという批判には、いやこっちに理がある、と思っていた。でも、技術的に人間が書けてないと言われると、何も言い返せない。それで、理論武装しようと思ったんです。ちょうど僕らが大学生だった頃って、浅田彰が売れてニューアカ、と言われていた頃だったんですが。
――ニューアカデミズムですね。
法月 : ミステリー一色の学生から見たら、ニューアカとか新人類はちゃらちゃらしている印象で、推理小説なんてダサい、と見下されている感じだった。だからリアルタイムでは敬遠していたんですけれど、当時ポストモダン系の人たちが言っていたことは、人間が書けてないというのは古くさい、そういうのはもう終わったから、これからは新しい時代だよ、みたいな話で、そういう空気は現代思想の本を読んでいなくても身についていた。それで、理論武装するならポストモダンの哲学だ、と思い、作家になって何年かは、当時一番勢いのあった柄谷行人の本ばかり読んでいました。全部読みまくって、全部受け売りで理論武装して、柄谷行人が褒めるものも全部読んで。それであっという間に十年近く過ぎました。そうしていたら、小説を書くのがおろそかになって、ずい分怒られました(笑)。
――一度ハマったらとことん追究されますね。
法月 : ただ、結構何にでも乗り遅れているんです。それは本格推理の時から。旬の時より少し後でハマっているんですよね。乗り遅れた分、じっくり冷静に読めるという利点もあるんですが。ただ、それも90年代の前半には、乗り遅れていない時期があった。今、来ている、という感覚があって、それは楽しかった。出始めの頃に人間が書けていないと言われてものすごく悔しくて、確かにいろいろ下手な部分はあったけれど、絶対に何年か経てばこっちの言い分が正しいということになる、という確信があった。その後やっぱり、うまいことかち合ったのは、幸せでしたね。
――柄谷行人以降にハマったのは?
法月 : ある時期以降は柄谷が褒めるものばかりを読んでいました。中上健次と親友だからといって中上を読み潰し、坂口安吾を褒めているから安吾を読破し…。その後に、柄谷の門下から出てきて今はすっかりオタク評論家のようになった、東浩紀さんの論文を読んだんです。単行本の『存在論的、郵便的』ではなく、雑誌に載ったそれの原型を読んで、もう、ついていこう、と思ったんですよね。それを読んだのが94年くらいで、以来、読み続けています。
――実に10年以上、追い続けているんですね。
法月 : そうなんです。それが、ちょっと個人的に驚いたことがあるんです。学生の頃ハードボイルドを読んでいて、翻訳家の小鷹信光さんが面白いものを沢山紹介してくれていた。自分の中で憧れの人だったんです。そうしたら、東さんが結婚した相手が、ほしおさなえさんという、東京創元社のミステリ・フロンティアから『ヘビイチゴ・サナトリウム』といった本を出している人なんですが、小鷹さんの娘さんなんですよ。
――ええっ!そうなんですかっ!
法月 : 自分がずっと違った興味で読んでいる人たちが結び付き合うのって、すごく不思議な感覚ですよね。東京の文化人はすごいなって思いました(笑)。
――これまで読んできたものが、作品にも影響を与えていると思うのですが。
法月 : 大学生の時、自分の小説を書きたいと思った時、謎解きもの、本格モノは制約が多く、フェアプレイを守らなければならないという認識があって、どう書こうかはいろいろ考えました。叙述トリックの路線はひとつありましたが、僕は読者としては好きだけれど、書けないと思っていた。エラリイ・クイーンも作風が変わってきて、戦後は事件が起こって謎がとけるまでリアルタイムでおいかけるようになって、そういう書き方が自分には向いているかな、と思ったんですよね。ハードボイルドも、一人称、現在進行形で語られていきますよね。一人称というのは、その時点で語り手が信じていたこと、思い込んでいたことなら嘘ではない、ということになる。三人称の地の文では嘘は書けませんが、一人称なら書ける、というのがありました。ただ、その頃、ちょうど沢木耕太郎が若者の必読書で、読んでいて少しハードボイルドが入っているなと感じて、これも全部読み潰していたんです。僕はノンフィクションもミステリーと関連づけていたんですが、読んでいくうちに、語り手が辛そうに感じられていく。
――どうしてですか。
法月 : 沢木さんも最初は無名の若いあんちゃんで、どこにでも乗り込んで「私」を消すことができた。でも、だんだんに名前が知られていくと、どうしても沢木耕太郎が主人公になってきちゃうんです。それこそ名探偵が事件を捏造しちゃうような感じ。ハードボイルドでもそれと似たことが起こっていて、ダシール・ハメットの『血の収穫』などに名無しの探偵が出てくるんですが、次第に彼自身の物語になっていくんですよね。ハメットはその後のサム・スペードものでは三人称にしている。やっぱりナレーターが一人称か三人称か、有名か無名かということはダイレクトにのしかかってくる。ということは、ハードボイルド的な一人称でシリーズ名探偵を書くのはダメなんじゃないかと思ったんです。同人誌で100枚とか書く程度で、本格的に小説を書いているわけでない時期に、頭でっかちにそう考えていました。
――答えはどうやって出たんですか。
法月 : きっかけは忘れましたが、カート・ヴォネガット・ジュニアを読んで、やっぱりハマって、全部読み尽くして。ヴォネガットのほかに、アメリカのメタフィクションの大家で、トマス・ピンチョンやジョン・バースがいて、ちょっと年代は前ですが『キャッチ=22』のジョーゼフ・ヘラーがいて。どれも半分ホラ話で、ものすごく手の込んだ文学的なしかけがある。それらを大学4,5年の頃に読んで、小説っていうのは何をやってもOKなんだ、と思ったんです。実際にはその時点でピンチョンやバースは一世代前で、流行っていたのはレイモンド・カーヴァーといったもっとミニマムで日常生活を書いたものだったんですけれど。でも僕は、ヴォネガットやピンチョンのほうが新しいし、格好いいし、こういうのをミステリーでやったらどうだろう、と思った。デビューする前後に励まされた本は、そのあたりです。後は、イタリアですけれど、イタロ・カルヴィーノ。荒唐無稽な小説でいいじゃないか、と息を吹き返し、デビュー作はヴォネガットのパクリで、短い章立てで書いて「ヘンな本だ」と言われたものです。生意気だった頃は、そういう小説を謎解きでやるんだ、みたいに粋がっていて、でもだんだん数を重ねて書いていくと、下手な知恵がついてしまって、荒唐無稽なことができなくなって…。
――リアリティを重んじてしまう。
法月 : そうなんです。そんな時に、宇山さんが定年で退職する前に、ジュブナイルをやりますよ、とミステリーランドの企画書を持ってこられて。「かつて子どもだった大人(あなた)と少年少女のための」ミステリーと言われて、最初はお手上げだったんです。何をやればいいの? と。宇山さんって不思議な人で、本人はどれだけ自覚しているか分からないけれど、こっちにとって一番クリティカルなことを思いつきで言ってくる。最初はどうしたらいいか分からないし、他の人が同じシリーズでやっていることは避けなくちゃとも思ったし。
――ミステリーランドの『怪盗グリフィン、絶体絶命』、大人が読んでもすごく楽しかったのですが、悩まれた末にたどり着いたものなんですね。
法月 : いろいろ考えた末に、やっぱり荒唐無稽なホラ話、デビューする前にやりたかったようなことをやろうと決めたんです。なので、出発時点ではアメリカホラ話みたいな感じだったんです。書き始めたら、子供のためとか関係なく、好きなように書いていましたが。一回りしてデビューした頃に戻ってきたかな、という感があります。20歳の頃はこういうのがやりたいことだったのに、当時はできなかった。面白い話を書く時って、ヘンな自意識を捨てないといけないでしょう。
――それが『グリフィン』でふっきれた。
法月 : さきほど『人間失格』を気持ち悪く思ったと言いましたが、そう思う前に一度は自分も『人間失格』にハマったわけで、根はそういうのが好きな人間なんです。ですから、学生でデビューして間もない頃に書いていた小説を読むと、登場人物は書き割りのようなキャラクターかもしれないけれど、書いた奴がどんな奴かというのがことごとく出ている。人間のいじましさを隠せないところがあって、それが何年も続けているうちに膿みを出し尽くしちゃったところがあるのかな。その時にミステリーランドの話があったので、荒唐無稽なお話が書けたんだろうな、と思います。自意識の膿みが出ているような小説がいいという人もいるんでしょうけれど、やっぱり定期的にリセットかけないといけないなと思います。
――でも『グリフィン』以前の、04年の『生首に聞いてみろ』も、本格ミステリ大賞を受賞したり、『このミス』で1位になったりと、すごく評判になりましたよね。
法月 : あれは褒められすぎなんじゃないかな(笑)。10年ぶりの長編なので、投げ出さずによく頑張ったというご祝儀票が集まったんでしょう。連載を始めてから本になるまで3年半かかっているので、今も突き放してみることができない。でも、他の形もありえたのかなと。今書くなら、もうちょっと軽く書くだろうなと思います。ただ、今は自分の中で整理がついていないし、まだ読み返せない小説ですね。
――ところで、いつもご自身と同じ名前の探偵が登場しますが。
法月 : もともとはエラリイ・クイーンがそうなんですよ。珍しいわけではなく、ほかにも有栖川さんや、栗本薫さんの『ぼくらの時代』なんかもそうですよね。読者はシャーロック・ホームズという名前は覚えても、コナン・ドイルは忘れちゃう。それで、思いつきでエラリイ・クイーンもはじめたと思うんです、宣伝のアイデアとして。でも実際その後40年間くらい書き続けているとヘンな化学反応がありますね。だんだん作者本人の生活と作中人物の考え方が近づいていったり。エラリイ・クイーンは作者が二人だから、ややこしかったと思うけど。僕も、先のことも考えずにこのペンネームをつけて、作中人物にして。でもその頃つけたペンネームで、40歳すぎでも書いているとは思いませんでしたね、今41歳なんですが。
――今後のご予定を教えてください。
法月 : 年内に解説と評論をまとめた本が、国内編と海外編の2冊出ます。それと、晶文社ミステリーのシリーズが河出書房新社に移ることになったんですが、そのシリーズで来年出る予定のロバート・トゥーイの短編集の編者を務めています。作品のセレクトはすんでいて、タイトルはたぶん『物しか書けなかった物書き』。これは面白いですよ。短編しか書かない作家で、一応ミステリーなんですがどれもクセ球。昔からヘンな短編好きには知られている作家で、それも小鷹信光さんの訳で紹介されていたりする。とにかく一本一本ネジの外れ方が違っていて、むしろミステリーマニアでない人のほうが面白く読めるかも。単独の著作がなくて、たぶんこれが世界初の短編集になるはずです。ただ、向こうの出版社に問い合わせたら、雑誌の編集部に契約書はあるらしいんですが、本人は消息不明なんですよ。もともと小説だけでは食べていけずに、運転手や学校の先生など職を転々として、一番小説を書いていた80年代もパートタイムの作家だったそうです。負け犬のダメ男がトラブルに巻き込まれて必死でがんばるんだけど、やっぱりダメ男でした、という話が多いので、本人もそういう人だったのではないかと(笑)。
――面白そう! ご自身の小説の予定はいかがですか。
法月 : 直近の締め切りが法月シリーズのもので、星座をモチーフにした短編連作を光文社の『GIALLO』に書きます。「犯罪ホロスコープ」と呼んでいるんですが、とりあえず6つ書いたら1冊になるかも。はやくて来年になると思います。
(2006年9月29日更新)
取材・文:瀧井朝世
WEB本の雑誌>【本のはなし】作家の読書道>第59回:法月 綸太郎さん