WEB本の雑誌>【本のはなし】作家の読書道>第63回:高野 秀行さん
早稲田大学探検部時代、コンゴの奥地を訪れた体験記『幻獣ムベンベを追え』でデビュー、以来各国での冒険記を上梓し、冒険を愛する人たちから尊敬を集める高野秀行さん。フラットで素直な視点ユーモラスな語り口も心地よく、最近では日本での異国体験や激安下宿生活を描いた自伝的な作品も人気。彼を辺境へと駆り立てる原点となったものは? そして、探検のまにまに読んでいる本とは?
(プロフィール)
1966年10月21日、東京都八王子市生まれ。1989年、早稲田大学探検部在籍時に書いた『幻獣ムベンベを追え』で結果的に物書き仕事をはじめる。
「辺境」「探検」をテーマにしたユニークなノンフィクションを発表するほか、『ワセダ三畳青春記』、『異国トーキョー漂流記』など、東京での青春や異文化体験を描いた作品も執筆している。
――小さい頃どんな本を読んでいたか、覚えていますか?
高野 秀行(以下高野): 先日八王子の実家に帰ってみたら、大方処分されていて…。子供の頃に見たあの本は何だったんだろうとネットで検索したら、小学館の「なぜなに学習図鑑」の第18巻、『なぜなに世界の大怪獣』だと分かりました(と、図鑑が紹介されているHPのコピーを見せてくれる高野さん)。
――おおっ! イラストがどぎついですね! ネッシーはもちろん、四つ目のカバ怪獣、タンザニアの青鬼、ヨーロッパの北の海にいる島のような怪物クラーケン…。
高野 : これのおかげで北欧というとクラーケン、というイメージをずっと持っていました(笑)。夢中になって読んだので、これらの絵のひとつひとつが全部目に焼き付いています。僕らの世代って、怪獣とかUFOというのが大流行したんです。このシリーズには他にもまともな生物図鑑や動物図鑑も家にありましたが、もう、かぶりついたのはこれでした(笑)。この本が今でも手に入るなら、ぜひ欲しいですね。
――おいくつぐらいでした? 他にはどんなものを読みました?
高野 : 幼稚園から小学校にかけてくらいだと思います。他には、いろんなものを雑多に読んでいましたね。それほど読んだわけでもないので、乱読というよりは雑読でした。僕は長男だったので親も何かしなくちゃいけないと思ったらしく、とりあえず本でも読んでやるか、とお袋がいつも読み聴かせをしてくれていたんです。うっすらと、それが面白かった記憶がありますね。そうやって読んでもらっているうちに、自分でも読むようになったようです。
――記憶に残っている本は。
高野 : 幼稚園の頃に読んだ『きかんしゃやえもん』は覚えていますね。あとは、水上勉の『蛙よ、木からおりてこい』。
――かえるですか。
高野 : 後に改題されて、『ブンナよ、木からおりてこい』となっています。冒険好きなトノサマガエルのブンナが、木を登っていくと土がたまっているところがあって、格好の場所だといってそこでくつろいで下界を見下ろしている。でも実はそこはトビの餌置き場で、トビがいろいろ生き物を運んでくるので、カエルは隠れようと土の中に潜って出られなくなる。トビが連れてくる獲物は、ウシガエル、蛇、もず…と、だんだん大きくなっていくんです。で、連れてこられたモノたちが「こんな目にあっちゃって…」と会話している、という話。ずごく面白くて、何回も読みました。
――読書好きの少年だったんですか。高野さんというとアウトドアな少年だったのではという先入観が働いてしまいますが…。
高野 : 普通によく外で遊んでいましたよ。でもそれは僕が特別なわけではなく、当時みんながそうだったんです。クワガタを取ったり藤子不二夫のマンガ『プロゴルファー猿』に影響を受けて枝を切ってクラブをつくってゴルフをやったり…。小学校3、4年で熱中し、その頃でゴルフは卒業しました(笑)。
――小学生時代はどんな本を?
高野 : 学校の図書室や、移動図書館から本を借りて読んでいました。少年向けのホームズやルパンのシリーズ、江戸川乱歩、岩波少年文庫…。タイトルはほとんど忘れてしまっていて…。ただ、『エルマーとりゅう』はすごく印象に残っています。板チョコを持って冒険に行くというのを読んで、こういうことをやりたいなと思いました。大学生になって探検部でコンゴのにある湖に行きましたけれど、あれも実は『エルマーとりゅう』みたいな、岩山に湖がある場所に行ってみたいなあって思っていたんですよね。実際は、ジャングルの中の湖でしたが(笑)。
――辺境作家デビュー作となった『幻獣ムベンベを追え』に出てくる湖ですよね。岩山とはずいぶん違った場所だったようで…。
高野 : そうなんです。あと、最高潮に熱中していたのはドリトル先生のシリーズ。あれは大人になっても読んでいました。あまりに好きだったので、大学に入ってからひととおり英語でも読んでしまって。
――おうかがいしていると、海外の作品が多かったのでしょうか。
高野 : 僕らの子供の頃って、いいものは外国からくる、というイメージがあったんだと思うんです。海外の翻訳モノって今はパッとしないけれど、当時は翻訳モノが多かった。親も好んで与えているところがあったのではないでしょうか。…って言っておきながら全然違って(笑)、松谷みよ子さんの『日本の伝説』も大好きで読んでいました。
――ああ、ありましたよね。結構コワイ話も載っていた記憶が…。
高野 : 僕が覚えているのは、奄美のケンムンと沖縄のキジムナーの話。妖怪なんだけれど結構動物っぽいんですよね。で、夜歩く時はとうもろこしを持って行けとある。ケンムンにあったらそれをお尻のところで振って、仲間だと示せ、と。人間だと分かると八つ裂きにされるからって…。そんな緊迫した状況において、とうもろこしでいいのか!? と思いましたね(笑)。
――中学や高校時代の読書は。
高野 : この頃から文庫を読み出して。ヴァン・ダインやクロフツの『樽』など、古典のミステリーの有名なものを一通り読みました。連続殺人ばっかりなんですけれど(笑)。八王子のくまざわ書店で買っていました。
――本を選ぶのに何か参考にされたのですか。
高野 : 子供向けの「世界の名探偵」みたいな本を読んでいました。そこにホームズとかポアロとか、フィロ・バンスなどが載っていて、その代表作を読んでいました。
――ミステリーが好きになったきっかけは何かあったんですか。
高野 : 分からないものがすごく好きなですよね、謎が。超自然的なもの、科学的なもの、論理的に分かるものに至るまで、謎っていうと、どうなっているんだろうと気になってしょうがない。
――学校で友達とそういう話は?
高野 : ミステリーよりも、超能力やUFOの話が多かったですね。UFOを見たという話をしたり、集まってスプーンを持ったり(笑)。
――超自然系の本では、どんなものを?
高野 : 『ニュートン』の監修をやっている竹内均先生の本はすごく読みました。正直、この本はどこまで本当なのかなと思いつつ(笑)。地球は一回南極と北極が入れ替わっている、24時間でじゃがいもの皮みたいに地表がぐるんと回った…などとあって、ほんまかいな、と(笑)。
――でも好きで読んでいた(笑)。
高野 : 高校の時に学研『ムー』的なものへの興味が再発して爆発したんです。『ムー』が出たのは僕が中学生の時らしいんですが、読み出したのが中3の終わりか高校1年の時で。あまりに面白くて、バックナンバーが欲しいと思い、神田の古本屋街にはいろんな本があると聞いて行ったのが、神田古本屋デビューでした。20冊くらい発見してすごく嬉しかったことを覚えています。それと、僕は高校が早稲田大学の付属だったんです。教育には不熱心でしたが(笑)、図書館が充実していて、生徒が読みたいというと無条件で取り寄せてくれる。だから片っ端からリクエストしましたね。「聖書と宇宙人」とか「アトランティス大陸は実在していた」とか「ピラミッドは異星人が作った」といったような本ばっかり(笑)。本棚3列くらい、高野オリジナルが並んでいました。今でもあるんじゃないかな。
――そういう本があるという情報はどこから…。
高野 : もちろん『ムー』です(笑)。出典が必ず書かれてあるので、それを見てすぐ注文するんです。
――一般小説はまったく読まなかったんですか。太宰とか…。
高野 : 太宰は一通り読んでいますが、面白くて読んだというより、見栄で(笑)。内容は一切覚えていません。夢中になったのは、筒井康隆。そして藤沢周平。だから高校時代は読書について語り合うほとんど友達がいませんでした。だって、『ムー』か藤沢周平だから(笑)。
――高校生で藤沢周平なんて渋いですね。特に好きな作品は。
高野 : 「隠し剣」シリーズ。あとは短編集の『たそがれ清兵衛』。映画は、こうじゃないんだ! と怒りながら観ました。
――どの部分に怒ったのでしょう。
高野 : 映画は三つの短編をまぜているので設定が変わっているんです。「たそがれ清兵衛」の話は、本当は奥さんが寝たきりなんです。その介護、特におしっこの世話のために、はやく帰らなくちゃいけない。掃除して炊事して、妻に「お前さんみそ汁の腕があがりましたね」なんて言われて、なんだかいい感じなんです。藩の上層部から政敵を討ってくれと頼まれるけれど、その時間は家にいて家内を厠に連れていかなければならない、と家老に平気で言うんですよね。カミさんの尿(しし)とお家とどっちが大切なんだ、ということですよね。家老も、彼が剣の達人だから他の者には任せられず、では小便をすませてから来いということになって…。原作には、お家の一大事よりも奥さんのほうが上と思っている清兵衛のよさがあるんですよね。滑稽でユーモラスで、哀しみがある。仕事を引き受けるのも、奥さんをいい医者に見せてやるから、と言われてのことだし。あれは本当に名作なんです。映画化されて、誤解されていると思います。
――そんな夫婦の話を高校生の時に…。きっかけがあったのでしょうか。
高野 : 親が好きで、家に本があったんです。あと、きっと、自分の心の無意識のバランス感覚が働いたんでしょうね。『ムー』との兼ね合いを…(笑)。
――大学に進学した際に探検部に入ったのは、『ムー』の影響ですか?
高野 : いろんな流れがあるんです。ひとつは『ムー』的なもの。川口浩のようなことをやってみたいと思ったんですよね。あとは、核戦争で滅んでしまった超古代文明を調べてみたかった。"超"考古学者になりたかったんです。結局、学者は真剣にそいうことを検証しないし、学者ではない人は立証できない。真面目に研究する人間がいないといけないんじゃないか、それをやろう、と思ったんです。まあ、結果的にはそちらの流れには行かなかったんですけれど。
――探検部の必読書は?
高野 : 僕のいた探検部は、いろんな人間がいて。難しい山に挑戦している奴もいれば、裏山の散歩も探検だと言う人もいた。なので、みんなに共通の本というのはなかったですね。でも、農大の探検部っていうのはすごくて、実力では圧倒的に上で。早稲田はマスコミを使うから、人気の早稲田・実力の農大、みたいなものがあったんです。そんな農大の人に話を聞くと、愛読書は植村直己さんでした。僕も読んだことは読んだのですが、それは普通に読書として読んでいました。植村さんて、すごく文章が上手ですから。『青春を山に賭けて』なんて名著だと思うんです。実は僕は、藤原新也さんを夢中になって読みました。藤原ファンは結構いたと思います。『東京漂流』が話題になってから、そこから遡って読んで、ああいう世界が格好いい、と。でも、実際にはああいうシリアスな路線には全然行かなかったんですが。自分にないものを求めたんでしょうね(笑)。
――そしてこの頃から現在に至るまで、世界各地を探検するようになるわけですが、コンゴの湖にムベンベがいるとか、中国の山奥に野人がいるとか、アマゾンの奥地に幻の幻覚剤がある、といった情報は、どこから得るんですか。
高野 : さすがに大学に入ってからは『ムー』ではなくて(笑)、本を読んでいました。海外の辺境モノを読んでいると、そういう話が出てくることがあるんです。それと世界未知動物学会に入っている人がいて。
――そんな学会があるんですね。
高野 : 学会なのに学説はないんです。捕まえることが目的だから(笑)。
――旅に行く時は、本も持っていきますか。
高野 : 持っていきますが、結局は資料が多いので読み物はあまり持っていけません。古典を時間をかけて読みますね。1冊で長く読める、燃費のよい本を持っていきます。
――旅に出る前は、行く国の本も読んでいくんですか。
高野 : 行く前に必ず、その国の文学を読むようにしていました。アフリカだったらアフリカの、南米なら南米の文学。その流れで、コロンビアに幻覚剤を探しに行く前に、ガルシア・マルケスを読んだらそれが面白くてハマりました。最高なのは『百年の孤独』ですが、他の作品もいいですよね。南米文学は結構好きでした。バルガス・リョサの『世界終末戦争』やイサベル・アジェンデの『エバ・ルーナ』とか…。
――実用書ではなく、小説を読むんですね。
高野 : 僕は実用書だと思って読んでいます。物事の感じ方や習慣って、小説で読むとよく分かる。その文化を内側から見るのは、小説が最適なんです。
――東南アジアの翻訳ものは? 数ありますか。
高野 : めこんという出版社からいろいろ出ていますよ。『人間の大地』というインドネシアの6〜8巻に渡るシリーズも読んでしまったし。タイの小説も結構出ています。まあ、読んでも全然役に立たないこともありますが…。
――そうして文化を学ぶだけでなく、すごいなと思うのは、現地の言葉を会得して向こうの人々と接していくところですよね。英語やフランス語、コンゴ周辺のリンガラ語、中国語…。
高野 : 会得してないんですよ。違うんです。というと謙遜しているようで嫌なんですが。
――高野さんの著作を読むと、毎回、短期間の勉強でその国の言葉をかなり話せるようになっていて、驚かされます。
高野 : いやそれは、英語も通じないところに行く時に、通訳を雇う金もないから、もう自分でやるしかない、というのがひとつ。もうひとつは、僕は人見知りで、土地の人とそんなにすぐ仲良くなったりできないんです。旅慣れたうまい人は、英語も話せないのに世界中どこに行っても周囲の人と仲良くなりますよね。僕はああいうのができない。しょうがないから話をつなぐというか、ウケ狙いで地元の言葉を話すと、すごく喜ばれて仲良くなれたりする。それに喋っていてちょっと話題が途切れたりすると、場つなぎのために、あなたの母語では――たいてい多民族なので――これは何ていうのか、などと聞く。すると夢中になって話してくれる。そういうことをやっていたら、面白くなってきて、自分でも言葉を覚えるのが好きになっていったんです。
――出発前、テキストで学ぶのではなく、東京に住んでいるその国の人を探し出してレッスンをお願いしたりしていますね。そのあたりのことが『異国トーキョー漂流記』などにも出てきますが。
高野 : それが結構楽しくて。いろんな言葉をやっていると、どういう風にやったらいいか分かってくるわけです。言葉って、こうだからこうなる、というパターンがあって、慣れるとそれが分かってくる。
――今、何カ国語話せるのですか…?
高野 : それが、使わないとどんどん忘れちゃうんです。そういうものなのかも。アラビア語も昔やっていて、イエメンで1か月くらいアラビア語だけで生活していたんです。そうしたら、アラビア語しか話せない詐欺師にひっかかった。だから結構喋れたんだと思うんだけれども(笑)、今アラビア語と言われても何一つ浮かばなくて。でも騙した奴の顔は覚えています(笑)。たぶん、言語の容量というかメモリが決まっていて、いっぱいになると削除されるんですよ。
――大学卒業後は、タイ国立チェンマイ大学で日本語の講師の仕事に就いたそうですが、チェンマイにいた頃の読書生活は?
高野 : 1年間は日本語の本を読むのは止めようと思っていたので、タイ語の漫画ばっかり読んでいました。というのも、日本の漫画が何でも訳されているんです。2週間前に日本で出た『少年ジャンプ』が翻訳されていたりする。それで、貸し漫画屋から借りて読む。蔵書数はかなりありました。最初はタイ語ができなかったので、『ドラえもん』から入りました。『ドラえもん』を読むのは最高の学習法なんです。日常生活における基本的なことがほとんど入っているから。ご飯食べて、学校に行って、お父さんは会社に行って、お母さんは買い物に行って…。分からない部分も、絵を見れば理解できるし。中国にいた時も『ドラえもん』を読んで勉強しましたね。のび太が「我学習ヲ愛サズ」なんて言っていって面白いんですよ。タイでは、その後『Yawara!』や『ブラック・ジャック』など、もともと好きだったものを読んでいました。
――学生時代に書いた『幻獣ムベンベを追え』でデビューされましたが、文章を書き出す時に参考にしたものなどはありますか。
高野 : あまり覚えていないんですが、最初は1か月くらい1文字も書けなくて、どうしようかと思いました。でもいつまでに書くかは約束してあって、当時は締め切りは守らなくてはいけないと思っていたから(笑)、やばいなと思っていて。結局、友達や家族にこんなことがあったんだよって話すような口調で書けばいいんじゃないかと思って、そこから書き始めました。
――どの作品を読んでも思うのですが、辺境の場所で他の人には真似できないような冒険をしているのに、"オレは特別な体験をしているんだぜ"的・高圧的なところがまーったくありませんよね。その視点も作品の魅力のひとつだと思います。
高野 : 僕も、そういう本があまり好きじゃないんです。それに僕は本当にすごくない、という非常に冷静な自覚がありますので(笑)。とてもすごいことをやっているわけではない、というのが正直なところです。
――いやいやいや。そして一昨年、家賃1万2000円の下宿生活を描いた『ワセダ三畳青春記』が「第一回酒飲み書店員」大賞を受賞してかなり話題になりましたよね。生活などに変化は…。
高野 : 執筆の依頼などが増えて、すごくヒマだったのが、フツーにヒマになりました(笑)。「最近毎日6時間も働いているんだよ」、なんて自慢したりしていて。
――その後の読書道はいかがですか。
高野 : 最近注目しているのは中島京子さんです。文章がいいんですよね。ぴったりしている言葉を使う「言"実"一致」な人だなと思う。どれも読んでもいいですね。最新刊の『均ちゃんの失踪』もいい。あとは、古典が結構好きで。
――時代小説とかではなく?
高野 : インドの叙事詩『マハーバーラタ』とか『ラーマーヤナ』とか。
――それはまた古典も古典ですね!
高野 : 完訳がないので何を読んでもダイジェスト版だけれども、結構面白いんですよ。神様がいろいろ出てくるけれど、騙されたり悪い奴に負けて奴隷にされちゃったり。ウルトラセブンみたいな感じなんです。セブンも捕まって警備隊に助けてもらったことがあったし(笑)。それにヘンな介入の仕方もする。用もないのに人間世界にPKOのようにやってきて活躍するし、生まれ変わって人間の姿になってしょっちゅう失敗するし…。
――ものすごいエンターテインメントですね。
高野 : ただ、これまで書くことを本業にしつつ半分別の世界にいたのが、だんだん本格的に本業になってきて。すると、他人の本が、普通の気持ちで読めなくなってきているんです。あ、うまいなとか、あ、これはかなわないな、とか、こういう手があったのか、なとど邪念が入ってしまって…。それでもノンフィクションだけを書いていた頃は、小説はまた別なものだったので素直に喜んでいたのが、最近小説にも片足を突っ込んでいるので素直に楽しめなくなってきました。だから自分と比較にできない古典に走るのかも…(苦笑)。
――昨年刊行された『アジア新聞屋台村』は、アジア系のミニコミ出版社で働くことになった体験をもとに書かれた自伝仕立ての小説ですよね。
高野 : 題材自体は自分の体験ですが、それだけだと頭も尻尾もない単なるエピソードの羅列になってしまうので、それを面白いものに構成し直しました。
――今年の刊行のご予定は。
高野 : 春に『アヘン王国潜入記』が集英社文庫から出ます。4月か5月にタイトルは未定ですが、トルコで怪獣ジャナワールを探した話を講談社から出します。
――それは湖にいる怪獣ですか?
高野 : まさに『エルマーとりゅう』の乾いた岩山にある、すごくきれいなエメラルド色の湖でした。そこにいると言うので…。
――見つかりましたか?
高野 : ヘンなものを見ちゃって。ビデオにも撮りました。
――ええええ!
高野 : 最近の旅のテーマは地元の人がどんな風に謎の怪獣を見るかということだったんですよね。でも10人聞いても20人聞いてもみんな「黒くてでかいもの」と言う。曖昧だなあ、説得力がないなあ、とだんだん飽きてきてくる。でも今回、自分が見ちゃって、人に「どんなのだった?」と聞かれると、やっぱり「いや〜黒っぽくて、でかくてさ〜」と話していました(笑)。それと、『小説すばる』に連載している「謎の怪魚ウモッカ格闘記」も夏か秋には1冊の本になります。
――そして今後の探検のご予定は?
高野 : 実は来週から自転車で沖縄に行きます。現在、ブラックリストに載っているためインドに入国できないので、なんとか入国できるように巡礼の旅ということで、神社仏閣教会お地蔵さんを訪ねていこうかと(笑)。
――しかも自転車で!
高野 : その旅については1月下旬くらいから集英社のHPに載せることになっています。
――楽しみにしています。お気をつけて、よい旅を!
(2007年1月26日更新)
取材・文:瀧井朝世
WEB本の雑誌>【本のはなし】作家の読書道>第63回:高野 秀行さん