WEB本の雑誌>【本のはなし】作家の読書道>第69回:乙一さん
17歳の若さでデビュー、残酷さと切なさの混在するテイスト、あっといわせるプロットで一気に多くのファンを獲得した乙一さん。本名で映像作家としても活動している彼が、幼い頃から現在に至るまで、影響を受けたものとは? 物語を創造するヒントを受けた作品が続々登場する読書道、乙一さんの原点が垣間見えます。
(プロフィール)
1978年10月21日、福岡県生まれ。 17歳のとき「夏と花火と私の死体」で第6回ジャンプ小説・ノンフィクション大賞を受賞する。2003年、連作短編集『GOTH
リストカット事件』で第3回本格ミステリ大賞を受賞。代表作に「GOTH リストカット事件」(2003年)「ゴーストは小説家が好き」(2004年)など。
――読書体験の最初の記憶というと…。
乙一 : 小学生時代は漫画を読んでいました。5年生くらいのときから図書館の本を借りて読むようになりました。那須正幹さんの「ズッコケ三人組」のシリーズがすごく好きでした。1冊1冊のシリーズのストーリーはよく覚えていないんですが、タイムスリップしたりと奇抜な展開があったりして、すごく印象に残っています。株券を発行する話もあって、それで株のしくみを知ることができました。あとは、『ジム・ボタンの機関車旅行』もやたら面白かった記憶があります。
――外国児童文学。
乙一 : 一気読みした覚えがあります。微妙にSF心を刺激されました。まるっきりの空想的なアイデア世界、というわけではなく、こういうしくみがあるからこういう現象がおこりうる、という論理的な道筋があったのが印象的でした。うろ覚えですが、海の上を船で移動している時になぜか船が動かなくなってしまうことにも、船からおろした網の中に魚がたくさんつまっていたから…という理由がある。そういう論理的に結びついているところを発見するのが楽しかった。
――著者はミヒャエル・エンデ。
乙一 : エンデは『はてしない物語』も読みました。映画の『ネバー・エンディング・ストーリー』がすごく好きだったんです。本は文字が小さくて分厚くて、挑戦として読んでやろうと思って読みました。そうしたら、映画は最初の部分だけ、長い話の一部分だけだったんだと分かって、映画と小説というのは違うものなんだと思って。もちろん、本も面白かったしちゃんと感動しました(笑)。あの分厚い本を読み通すことができたというのが、読書の自信になりました。昔は薄めの手軽に読めるものばかり読んでいたので…。
――他に夢中になったものは…。
乙一 : 「名たんていカメラちゃん」のシリーズです。僕のミステリーの起源はこのあたりにあると思います。それまでもいくつかミステリーは読んだけれど、1番このシリーズにハマりました。子供向けの作品で、主人公のカメラちゃんという女の子が特殊な能力を持っていて、見た風景をカメラみたいに覚えることができる。小学生の時以来読んでいないのでどういう話かは覚えていませんが、どっぷり浸かって読みました。その世界観が好きでした。
――作者はデイヴッド・A・アドラー。翻訳ものなんですね。それと、小学生時代は漫画をよく読んだとのことですし、映画もお好きだったのではないかと…。
乙一 : 本も漫画も映画もゲームも大好きでした。映画ではティム・バートンの『バッドマン』などが好きで。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』や『インディ・ジョーンズ』シリーズも、中古でビデオを買って見ました。
――その中で、将来この分野にいきたいな、と思ったのは。
乙一 : ただ好きで、その中から将来これを、とは考えませんでした。プラモデルが好きだったので、この時期周囲から言われていたのは、プラモデル関係の仕事につくんじゃないかということ。
――プラモデル関係? 手先を使う仕事とか?
乙一 : 親には歯科技師と言われていました(笑)。工作など、緻密な作業が好きだったんです。
――ああ、そういえば、技術科学大学に進学されていますよね…。じゃあ、当時は文章を書くことには興味がなかったんですか。
乙一 : それが、最近になって重要なものが出てきたんです。
――そ、それは?
乙一 : 小学校時代に書かされた小説です。5年か6年のときに週1回先生にお題を出されて、小説めいたショートショートを書かされていたんです。うちの奥さんにも最近読ませたんですが、『小生物語』にそっくりなんです。
――『小生物語』は、乙一さんがネットで書いていた日記をまとめた本ですよね。日常のことを書きつつも、さりげなく不思議なことが盛り込まれている。ああいう感じのショートショートですか。たとえばどんなお話を?
乙一 : たしか先生から与えられたお題が「○○が食べられる」だったと思うんです。僕は砂が食べられる話にしました。ある日砂をなめてみたら甘かった。赤土をなめてみたら辛かった。周囲を見てみるといつの間にか、みんなが砂や赤土を食べていて、家に帰るとお母さんが赤土を調味料に使っていた。ああ、世界ってこうなっていたんだと思った。そのうち、地球はみんなに食べられてなくなっていた…。
――すごい! 発想も面白いし、ちゃんとオチまであるなんて!!!
乙一 : 当時は今よりも優れた発想力を持っていました…。
――中学生時代はというと。
乙一 : 一番本を読んでいなかった時期だと思います。小学生の時には図書館にいろいろ本がありましたが、中学校の図書館には大人向けの本しかなくて、読書意欲が沸かなくて。その頃はかなりゲームと漫画に偏っていました。今回、読んだ本を無理やり思い出してみたら、シドニィ・シェルダンを読んだな、と。テレビで売れてる売れてる、と騒がれていたので図書館で借りてみたら、すごく読みやすかった。それで、『ゲームの達人』『血族』『時間の砂』『明日があるなら』『真夜中は別の顔』などを。どれもとにかくおもしろかったです。
――それ以外は、ゲームと漫画で。
乙一 : 中学生時代が一番ゲームをやっていたと思います。スーパーファミコンが出た頃で「ファイナルファンタジー」をやっていました。「ファイナルファンタジー」や「ドラゴン・クエスト」のファンタジー世界のRPGをやっていたことが、後のライトノベルにハマる下地を作っていたんだと思います。
――深夜までやって親に叱られたり。
乙一 : 親は相当心配していました。
――ライトノベルとはいつ出会ったのですか。
乙一 : 16歳のときです。友達がうちに『スレイヤーズ』を持ってきたんです。スーパーファミコンで「スレイヤーズ」のRPGが出ていたんですが、それがライトノベルのゲーム化だと知った友達が、うちに本を持ってきたんです。それで読み始めたら、久々に読書熱が高まりました。なんだこの本! と思いました。より漫画やアニメに近くて、読んでいてすごく楽しかった。
――そこからライトノベルを読み出した。
乙一 : もっとこういう小説を読みたいとおもって、ひとまず『スレイヤーズ』が連載されていた『ドラゴンマガジン』という雑誌を購読しました。僕がはじめて書いた小説を応募したのも、『ドラゴンマガジン』を出版していた富士見書房主催のファンタジア長編小説大賞でした。一次選考にものこりませんでしたが……。ところで『ドラゴンマガジン』の本の紹介ページで「ソード・ワールド」シリーズというものが紹介されていたんです。さっそくよんでみたら、『レプラコーンの涙―ソード・ワールド短編集』に収められている「ジェイライラの鎧」という短編にはまって。その作者が山本弘さんでした。10代の僕にとってはそれが決定的というか、そこから山本弘さんにどっぷりハマりました。はじめて作家の人にハマって、山本弘さんの書く小説を追いかけました。短編集をあらかた読んだ後は、ソード・ワールドの世界観の話がもっと読みたくて追っていって、それで「ソード・ワールド」というのはテーブルトークRPG(TRPG)、つまりゲームだったんだと知ったんです。
――テーブルトークRPG?
乙一 : ごっこゲームのようなものです。5〜6人くらいでテーブルを囲んで、それぞれ、戦士だとか魔術師だとか精霊使いなど、自分のキャラクターを決める。それからルールブックにのっとってゲームを進めていくんです。
――短編集はそのノベライズだったんですね。ほかの作品はというと…。
乙一 : 『盗賊たちの狂詩曲―ソード・ワールドRPGリプレイ集スチャラカ編〈1〉』は、そのごっこ遊びを録音して文章にしたもの。キャラクターたちの発言が、戯曲のように並んでいるんです。それが小説と同じようにドラマティックで、そこで僕の中で価値の変換が起こりました。小説や戯曲は人が作ったものだけど、これは数人の人がアドリブで発言しているもの。なのにこんなに面白いなんて、物語って一体何なのだろう、と。TRPGのシステムのむこうに、物語づくりのヒントがかくれているような気がしました。後で大塚英志さんも「小説を書きたい奴はTRPGをやるといい」と言っているのを知って、なんか嬉しかったです(笑)。
――それも山本さんがまとめたものだったんですね。
乙一 : 『ベルダイン熱狂!−ソード・ワールドRPGアドベンチャー〈1〉』も、なんだこの企画は、と思った本。『ドラゴンマガジン』の企画で、読者がいろんな魔法のアイテムやキャラクター、発生イベントを投稿すると、それを使って山本弘さんが小説を書くというものです。そのシステムがすごく楽しくて、僕も投稿したかったんですが、そのためには「ソード・ワールド」のTRPGのルールブックを読んでおく必要があって。僕が住んでいたのは田舎だったので、TRPGの本がおいていなくて、雑誌で読んでいるだけでした。
――面白い企画ですね。
乙一 : 読書では、あとは山本弘さんの『サイバーナイト−漂流・銀河中心星域〈上〉』がはじめて読んだSFで、銀河系の中心に迷い出て、地球までの長い道のりを帰らなくてはいけない軍隊の話。すごく途方もない気持ちになって、それからポツポツとSFも読むようになりました。『ザンヤルマの剣士』は麻生俊平さんの作品で、16〜18歳の時にどっぷりハマりました。主人公の男子高校生は、世界を征服できるくらいの強大な力をもってるんですけど、「エヴァンゲリオン」のシンジ君みたいに戦うことにまよって、人を傷つけて悩んだりして。話のトーンも地味で湿っていて。このシリーズは本当に好きでした。今でも実家の棚の中に全巻そろってます。初めて小説を書いたのはライトノベルを読んでいたころです。このあと、トリイ・ヘイデンさんとミステリーにハマりました。
――トリイ・ヘイデンというと『シーラという子』。
乙一 : そうです。『タイガーと呼ばれた子』や『よその子』、『檻の中の子』も。親と子の関係や、子供たちの話ですが、全部実話なんですよね。実話にはかなわない、と思いました。トリイ・ヘイデンさんのこのシリーズを読み終えたときにはすごく寂しかったです。
――当時はかなり話題となって、類似した本もたくさん出ましたよね。
乙一 : 『Itと呼ばれた子』も読みましたし、それも好きでした。以前、雑誌の取材でトリイ・ヘイデンさんの本を読んでいると話したら、読者の方がその記事を読んでくださったみたいで、「乙一さんと文章が似ている」と言われて。トリイ・ヘイデンさんから文章の書き方を学んだのかもしれません。
――どういう部分を学んだのでしょう。
乙一 : 語り方がうまいんです。トリイ・ヘイデンさんのテクニックって、章が変わる時、最後に、続きが読みたくなるような事実をつきつけるんです。それは今も、使わせてもらっています。
――それと、ミステリーもハマったんですか。
乙一 : 17歳くらいの時です。ゲームの「かまいたちの夜」がきっかけで、ゲーマーの友人が我孫子武丸先生の『殺戮にいたる病』にハマって、そこからいろいろ貸してくれるようになったんです。
――「かまいたちの夜」は我孫子先生が脚本でしたか。
乙一 : 面白かったですね。それから新本格といわれている世代の人たちの本を読むようになりました。『十角館の殺人』、『占星術殺人事件』、『異邦の騎士』、『すべてがFになる』などが好きでした。島田荘司さんは御手洗先生、森博嗣さんは犀川先生のキャラクターが好きで。キャラ萌えです(笑)。
――『ZOO』に収録された「SEVEN ROOMS」は島田荘司さんの作品からヒントを得たとか。
乙一 : ああ、『アトポス』のお城に閉じ込められたエピソードがすごく怖くて、いつか脱出ものをやりたいと思っていたんです。
――そんな風に、他の方の小説からヒントを得ることはありますか。執筆中は人の小説は読まないという方もいますが…。
乙一 : 僕は小説を書く前に人の本を読みます。小説ってどんな感じだったっけ、って忘れるので、読んで思い出すんです。単に読みかけていた本の影響を受けることもありますね。最近は冲方丁先生の『マルドゥック・ヴェロシティ』という文体が個性的な小説を読んでいたら、うっかりそのテンションと文体が自分の小説に出てきてました。その部分だけ明らかにほかの場所と浮いていたので、後から修正してしまいましたけど。
――宝島社の『シナリオ入門』も、相当読み込まれたと以前おうかがいしましたが。
乙一 : 書いてあることはハリウッド映画によるところの「ミッドポイント」という考え方なんです。映画脚本の理論をかじった人には有名で、1本の話の中にいくつかのポイントを設置して、物語の展開のさせかたに自覚的になるというもの。このとおりにやれば傑作が書けるかどうかは別問題だとおもいますけど。単純にこの考え方、物語創作の理論が好きなんです。このへんが、たぶん理工学系なんだと思います。
――読んだきっかけは…。
乙一 : デビュー作の『夏と花火と私の死体』の後、全然小説を書いていなくて、書き方もわからなくて、でも出版社の人には原稿を送るように言われ、しかたなく書いて送ったけど、ことごとくボツになったんです。どうしたらいいのか、途方にくれていたとき、これを読んで視界のひらけた気がしたんです。これを読んだ時にホッとしました。
――ホッとした、とは。
乙一 : これで才能とかに頼らないでいい、と。才能があるとか、ないとか、もうなくなったとか、そういうことで悩む必要がなくなりました。『夏と花火と私の死体』はビギナーズラック的なもので、たまたま書けてたまたま賞をもらったわけです。でもそういう偶然が毎回、起こるわけではない。実際、デビュー後はボツになってばかりで。16、17歳でデビューして生き残っていく人はたぶん少ないし、自分もおそらく消えていくだろうとおもっていました。でも、「ミッドポイント」理論を読んで、この技術を体得すれば生き残れるかもしれない、と思ったんです。それからは短編を書くときだけじゃなく、エッセイを書くときも、あとがきを書くときも、「ミッドポイント」理論を意識してます。小説よりも、原稿用紙数枚程度の文章を構成するときに威力を発揮してるような気がします。『シナリオ入門』も「ソード・ワールドRPG」の『リプレイ集』も『アドベンチャー』も、どうやったら話が構築されていくのか、仕掛けの部分が見えことで、刺激を受けました。
――高専時代にデビューされたわけですが、周囲には内緒にしていたんですか。
乙一 : 秘密にしていました。
――ペンネームの由来は、電卓の名前だと聞いたことがあるのですが。
乙一 : 確かに、普通の電卓よりも高性能な計算ができるポケットコンピューターの名前が「Z1」でした。それが関わっていないことはないんですが、一番の理由は、画数の多い字が嫌いだったからです。ライトノベルのイラストの人には漢字二文字の人が多くて、『ザンヤルマの剣士』のイラストを描いていた方も、弘司さんという人で。その方の絵が好きだったので、漢字二文字で画数少なく、と考えました。
――サインがラクですね(笑)。
乙一 : サマにならないですけれど。
――大学で、福岡から愛知へと。学生時代はどんな本を読んでいたのですか。
乙一 : 名古屋の自主映画団体の人と自主映画を作っていたのですが、そこにいた人に勧められたのがウラジミール・ソローキンの『愛』。短編集なんですけれど、すごく頭のおかしい短編集で、読んでると、この本が狂っているのか、自分が狂っているのか、わからなくなってくる。衝撃的な体験として、すごく記憶に残っています。もうどんな叙述トリックを読んでも、この本みたいな衝撃はありません。内容についていろいろ言いたいんですが、言ってしまうとこれから読む人の楽しみが損なわれてしまうのでやめておきます。とにかく次のページで何が飛び出すか分からない、びっくり箱です。気がぬけません。
――人から勧められて読むことが多かったのですか。
乙一 : いろんな編集者の方とお話をするようになっていたので、これまで読んできた中で一番ハマった本は何かを聞いて、読むべき本を探していました。ある編集者の方が『百年の孤独』をあげてくださったので読んだら面白くて。これは途方もないなー、と、これもまたこういうのもありなんだ、と思いました。宇宙がまるごと文章化されてつまっているような感じがすきでした。僕が買ったのは本の装丁も黒くて神話的で、タイトルと表紙と内容と、全部セットで殿堂入りです。
――読書して、執筆して、自主映画製作も…。
乙一 : 大学時代は、自分で監督をするのではなく、お手伝いばかりでした。そのうち出演させられるようになって、血まみれのシャツで町をあるかされたり、人をおそわされたり、女の人と手錠して海に入っていったりしました。豊橋に住んでいたのですが、撮影は名古屋だったので、毎週友達の車で1時間かけて通っていました。その移動の間に小説のプロットを考えていました。記憶に残っているのは、そんな移動中に「しあわせは小猫のかたち」という短編のプロットを思いついて友達に内容を説明したら「つまらなさそう」と言われたこと(笑)。結局書きましたけれど。小説と映画、両方をこなしてたんです。勉強せずに。
――大学ではサークルは入っていなかったのですか。映画サークルは?
乙一 : 映画を作っているサークルがなかったので、名古屋の自主映画団体に入ったんです。学校では、物語が誕生するシステムが知りたくって、TRPGのサークルに入っていました。
――TRPGのサークルがあったんですか!
乙一 : 周囲の人たちもこのサークルがどういう活動をしているのか分からずやっかいな存在だと思っていたんだろうと思います。
――大学を卒業してしばらく愛知にいらしたんですね。
乙一 : いつか東京のほうに行こうかと思いつつ、だらだらしていました。そうしたら東京でルームシェアみたいなことをしようと考えていた友達に、その中の一人にならないかと誘われて、東京に行くことになりました。
――伊集院光さんの深夜ラジオ「深夜の馬鹿力」を聞くのが目的だったという噂も。
乙一 : 愛知でも聞けるんですが、本当に雑音がひどくて。時間になったら少しでも感度をよくするために、ラジオを外においてイヤホンを家の中にひっぱって聞いていました。
――そこまでして聞きたかった理由は。
乙一 : 昔のトラウマをチクチク刺激されるんです。僕は全然ダメな人生を送っていたわけです。そういうダメな人たちが、世の中にはいっぱいいるんだというのがわかって、ラクになったんです。
――東京では、ルームシェアだと執筆するのに気が散りませんでしたか。
乙一 : 『小生物語』にも書きましたが、それよりも隣の電気屋のCDラジカセの音が一番邪魔でした。
――その後、何度か引越しをされて。その後の読書生活はいかがですか。
乙一 : 読む時は一気にガーッと読んで、読まない時は読みません。ここ数ヶ月でいうと、数冊しか読んでいないですね。最近話題になっているものとか、知り合いが書いた本とか。
――普段は、執筆と、映画づくりと?
乙一 : 両方とも同じペースでやっています。大学生のときから、ずっとです。最近人と話していて嫌だなと思うのは、僕の撮った自主映画『立体東京 3D−TOKYO』が上映されて、それが第一作ととらえられていることが多くて。あれは三作目なんです。前の二つの作品は、一回だけ上映したきり、ほとんどお蔵入りになってますが……。大学時代から、小説とおなじくらい長く自主映画にかかわってきたのに、最近映画を撮り始めたように思われると軽くへこみます。自主映画のかたわら、小説を書いていたようなものなのに……。
――『立体東京〜』は桜井亜美さんが監督した作品と合わせて映画「東京小説」として上映されたんですよね。映像のお仕事の時は本名で。読者としては次の小説も、待っておりますが…。
乙一 : 長編小説は昨年中に書き終わってるんですけど、半年以上、修正をつづけてます。何度も書き直すタイプなので、修正に時間がかかってしまって……。今年末か、来年くらいに出るはずです。商業映画の脚本も何本かやってます。制作中のものもあります。
――おお。それは楽しみです!
(2007年7月27日更新)
取材・文:瀧井朝世
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