WEB本の雑誌>【本のはなし】作家の読書道>第70回:米澤穂信さん
古典部シリーズ、小市民シリーズなど、高校生を主人公にした“日常の謎”で人気を博し、昨今では探偵小説、ダークな青春小説、そして新刊『インシテミル』では殺人ゲームを描くなど、作品の幅をどんどん広げている新鋭エンターテインナー、米澤穂信さん。幼い頃から物語を作るのが好きだった彼は、どんな作品の影響を受け、どんな物語を作ってきたのか。その読書歴&創作歴が分かります。
(プロフィール)
1978年岐阜県生まれ。2001年、『氷菓』で第5回角川学園小説大賞奨励賞(ヤングミステリー&ホラー部門)を授賞しデビュー。青春小説としての魅力と謎解き面白さを兼ね備えた作風で注目され、第3長編『さよなら妖精』は大好評を博した。他の著作に『春期限定いちごタルト事件』『愚者のエンドロール』『クドリャフカの順番「十文字」事件』がある。
――幼い頃から、物語を作るのが好きだったそうですね。
米澤 : 家から学校までが遠かったんです。子供の足だと80分くらいかかるので、その間にいろいろ空想していました。
――80分も! 米澤さんは、岐阜のご出身ですよね。
米澤 : 山奥です。今回の取材にあたって、最初の読書の記憶を辿ってみたんですが出てきませんでした。ただ、最初に話を作ったことは憶えています。妹がなかなか寝付けずにいる夜、話を作って聞かせてあげていたんです。内容は忘れましたが、今でも頭の中には巨人、風車、帽子…といったキーワードが残っています。
――それらのキーワードは、何かの作品に触れたことでインプットされたのかも。本はよく読まれていたのですか。
米澤 : 家にいろいろな本がありました。この本を読んだ、と実感として記憶に残った最初の本はH・G・ウェルズの『宇宙戦争』。……小学生の頃、怖いものが三つあったんです。冤罪と深海と生前埋葬(笑)。『宇宙戦争』の後半に、狭い穴蔵に、気が狂いかけている副牧師と二人で閉じこもって、宇宙人に気づかれないようにひたすらじっとしている場面があって。それが3つのうちのひとつである、生前埋葬を思い起こさせて、すごく怖かった。子供向けのポーも読んでいたんですが、作者の個人的な趣味じゃないかと思うくらい生き埋めみたいな話が多かった記憶があります。
――『宇宙戦争』はその恐怖で記憶に残ったのですね。
米澤 : それと、サンダー・チャイルド号という衝角駆逐艦が、勇敢に戦って沈んでしまうのが、小学生だった僕にはすごく悲しく思えて。本文には「沈みました」と明記されていないのをいいことに、実はサンダー・チャイルド号は生き残っていた、という話を書いたのが、はじめて文章で書いたものです。それがたしか小学5年生くらいの時です。
――SFなど、イマジネーションを駆り立てる話が好きだったんでしょうか。
米澤 : エンデの『はてしない物語』も挑戦しましたね。ただ、文字が現実世界の部分は赤、幻想世界の部分は緑で印刷されていたんですが、赤い文字はどうしても目に痛くて読み飛ばしてしまいました。今思うと、もったいないことをしました。
――家にたくさん本があったということですが…。
米澤 :『はてしない物語』も家にあった本でした。『西遊記』も家にあったのが完訳本だったので、読んでも読んでも終わりませんでした(笑)。
――将来、自分も本を書きたい、と思ってました?
米澤 :中学校から高校に上がるあたりには感じていました。中学生の時に、とある遊びが流行っていて。…テーブルトークというんですが。
――ああっ! 前回の乙一さんもおっしゃってました!
米澤 : 乙一さんとは同い年なんです。ちょうど僕たちが中学生だった頃に山本弘さんのリプレイシリーズが出たんじゃないかな。テーブルトークRPGについては1時間ぐらい話せます(笑)。僕が住んでいたのは田舎だったので、ルールブックの種類があまりありませんでした。売ってあったのがなぜか、『ストームブリンガー』という翻訳もの。それがマイケル・ムアコックの『エルリック・サーガ』という長編ファンタジーを原作にしているということだったので、じゃあ、と『エルリック・サーガ』を買ってきて読みました。虚しい小説でしたね。
…テーブルトークには苦労させられました。ストーリーを作る「マスター」を誰もやってくれなかったんです。マスターが話を作ってプレイヤーが遊ぶんですが、いつもマスターばかりやっていて、自分は1回も遊んだことがありません。それが契機というわけでもないんですけれど、中学2年生くらいから、オリジナルで小説を書き始め、高校に上がる頃には小説家とは限らず、将来こういうような仕事ができたらな、と思っていました。
――その頃に読んでいたものは。
米澤 :中学生の時に読んだもので、ダイレクトに今につながっているのは、やっぱり綾辻行人かなと思います。初期の館ものが文庫化され始めた時期で、ノベルズでは『黒猫館の殺人』が出た頃ですね。まったく予備知識もなく、店頭で面白そうだなと思って手に取ったのが『十角館の殺人』で、こんなに面白いものがあるのか、と興奮しました。
――後でおうかがいしようと思っていたのですが、新刊の『インシテミル』が館ものであるのは、館シリーズへのオマージュですか。
米澤 :そうですね。ただ、あれに関してはスティーヴン・キングの『死のロングウォーク』という長編への憧憬もあります。
――少年100人が一定の速度で歩き続け、1時間に3回速度が落ちると射殺される…。それが最後の1人になるまでひたすら続く怖い競技の話。
米澤 :買うのが怖かった本ですね。その本が自分の部屋にあるなんて考えられない、と思って、後に書店員になる者としてあるまじきことながら、学校帰りに本屋で立ち読みして読み切りました(笑)。
――海外エンターテインメントも読まれていたんですね。
米澤:家にクリスティがありました。『なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか?』は綾辻よりも先に読んでいて、これも印象に残っています。
――ああ! 米澤さんの『愚者のエンドロール』に、江波という子が出てきますよね。「えなみ」じゃなくて「えば」。おやこれは? と思いました。
米澤:あれの仮タイトルは『なぜ、江波に頼まなかったのか?』だったんですが、編集者にボツにされまして(笑)。エヴァンズのフルネームはエヴァンズ・クラヴィスで、『愚者のエンドロール』に出てくるのが江波倉子(大爆笑)。最初に読んだミステリーだったので、どこかに反映させたかったんです。
――周囲の中でもとりわけ読書家だったんですか。
米澤:読むのが好き、というよりは、最初から書くのが好きだったんです。中学から高校にかけて最初に書いた長編が600枚くらいで、結構時間をかけていました。その一方で、友達相手にゲームマスターとしていろんな話を作っていました。
――いきなり600枚はすごい! どういうお話を…?
米澤:……ポリスアクションを。
――……ポ? ええっ、米澤さんのイメージとは違う。
米澤:びっくりしますよね(笑)。ただ、土曜日に洋ものドラマをやっていて『白バイ野郎ジョン&パンチ』とか『ナイトライダー』を見ていたんです。家には望月三起也のガンアクション漫画『ワイルド7』がありまして。それの影響も強かったと思います。
――なるほど。その後、高校時代に読んだものは…。
米澤:印象的だったのは、ウィリアム・L・デアンドリアの『ホッグ連続事件』、ハリー・クレッシングの『料理人』…。マイケル・クライトンの『アンドロメダ病原体』も。乱読でしたが、比較的気持ち悪いものが好きだったのかも。
――早川書房モノが多かったんですか。
米澤:ああ、『アルジャーノンに花束を』も高校で読みました。思い出すのが、ちょうど『にんじん』を読んでいたクラスメートに「お前そんなのを読んでいるのか」と笑われれて、それ以来『にんじん』が大嫌いになったこと(笑)。
――SFとミステリーと、両方お好きだったようですね。
米澤:初期の話ですが、綾辻行人と神林長平が好きで、ミステリーとSFと、どっちを中心に読んだり書いたりしていこうか迷っていた時期があったんです。いろいろ考えて、ミステリを選びました。谷甲州を読んで、SF作家は軌道計算ができないとダメなんだと思っていましたし(笑)。
――作品づくりの参考になったミステリーというと。
米澤:海外ミステリーのパット・マガーやロイ・ヴィカーズ、ハリー・ケメルマンなどを読んで、スタイルというか形式みたいなものを作るところから始める、ということを学びました。読むと『七人のおば』型、『迷宮課事件簿』型、『九マイルは遠すぎる』型みたいなのがある。そういう「形」を作ることを知りました。
――読んで分析されたんですか。ミステリーの研究書みたいなものを読まれたりとか?
米澤:研究書はあまり読みません。
――綾辻さん以外で、日本人の推理作家で夢中になった方は。
米澤 : 中学時代に綾辻さんを読み、高校時代は日本のミステリーから離れ、大学になってから戻りました。その時は東京創元社の「日常の謎」系が大好きで。北村薫から始まり、若竹七海、加納朋子、倉知淳、澤木喬…。広がって山口雅也や平石貴樹。岩崎正吾も。すごく楽しかったんです。それで、そこからひとつ時代をくだって、泡坂妻夫を読むようになり、これは本当に素晴らしいということになって…。最初は『煙の殺意』という短編集を読んだのですが、これが傑作選のような一冊なんです。泡坂さんは「チェスタトンばりの逆説が素晴らしい」と言われることが多いように思いますが、自分は泡坂さんの素晴らしいところは、粋と美しさがミステリーと融合していることだと思います。
――粋と美とミステリー。
米澤 :例えば『煙の殺意』に収録された「椛山訪雪図」という短編は一幅の絵をめぐる殺人事件を書いたもの。それがどういう絵だったのかという描写は、なまじの書き手には書き得ない素晴らしさ。しかもそのことが、ミステリーと不可分に結びついている。この路線の極地になるのが『妖女のねむり』だと思います。廃品回収をしていた主人公が、反故紙の中から、樋口一葉の未発表原稿を見つける…。美しいものと、美しいものを求める人と、奇想的なミステリーが結びついている、素晴らしい長編です。
――大学は岐阜を出て、金沢だったんですよね。学生時代も小説を書き続けていたんですよね。
米澤:インターネットという表現手段を手に入れたので、大学2年くらいからネットで小説を公開しはじめていました。
――その時書いていたのは、ポリスアクションではなく…(笑)。
米澤:それも公開してましたけどね(笑)。その前に、高校時代にはSFっぽいものを書いていました。大学に入ってからは「日常の謎」を書いていました。そういう曲折をへて、「日常の謎」で一度長編を書こうと思ったのが大学4年に入った頃だったと思います。
――北村薫さんを読んでいたんですものね。なぜ、いろんなジャンルに触れながらも、「日常の謎」を選ばれたのでしょう。
米澤:高校から大学にかけて、青春小説を1編書いていたんです。まあ、自意識ダダ漏れみたいな。そのキャラクターを応用したいなと思った時に、青春小説は続けるつもりがなく、ジャンルとして「日常の謎」を書いてみようと思い立ちました。人にはそれぞれ文体があると思うんですけれど、このジャンルが自分の文体に合っていて、すごく楽しくて。
――小さい頃から書かれていたから、いろんな要素を吸収されてきたとは思いますが、文体で影響を受けたと思う作家はいますか?
米澤:考えても浮かばないですね。樋口有介さんくらい。最初に書いたのがアメリカンテイストなわけですから、ひょうひょうとした感じはなんとなく今も受け継いでいると思います。マイケル・Z・リューインのソフトハードボイルドを読む前からこうでした。『犬はどこだ』という私立探偵ものを書いた時に、リューインに似ていると言われて自分の作品を読み返してみて、そうか、と思いました。
――ネットで小説を発表していたのなら、読者からの反響もダイレクトにあったのですか?
米澤:それはほとんどなかったんですね。ネット小説に読者が点数をつけるサイトがあって、そこでミステリー部門で1位になったりはあったんですが…。
――すごい。公開していた小説はもう読めないんですか。
米澤:それまで書いてきたものは習作という意識があって、投稿できるものを書こうと思って書いたのが、『氷菓』という作品だったんです。デビューが決まってからは、ネットに書いていたものは削除しました。卒業してから投稿して、2年後に本になる感じです。
――ライトノベル系の角川学園小説大賞ヤングミステリー&ホラー部門奨励賞を受賞されたんですよね。こちらの賞に応募した理由は?
米澤:投稿しようと思っていた頃に、いくつかライトノベルでミステリー専用の文庫を立ち上げようという動きがあったんです。これからは若年層も読むミステリーのストリームができるものと信じて、その第一陣となるのも面白いんじゃなかろうかと思って応募しました。第一回なんですよ、私が投稿したのは。
――それまでに読まれたライトノベルで好きだったものは?
米澤:新城十馬の『蓬莱学園の犯罪!』はコンゲームの経済小説。にっくき相手に嫌がらせするためだけに小国家をインフレに落としこんだりする、すごく楽しい話でした。相手がお金持ちなので、闇通貨を腐るほど発行して通貨価値を下落させるんです(笑)。これは中学生くらいの時に読んだと思います。あとは、朝日ソノラマ文庫から出た秋山完の『ペリペティアの福音』という長編。SFです。宇宙の一か所だけ、エントロピーは不可逆に増大するという法則が通用しない星がある。死が死ぬ場所。その星で全宇宙的な事件が起きる…。ネタバレになるので説明できませんが、クライマックスで登場する民謡みたいな歌があるんです。それが、よく読むと日本国憲法の前文。何をやっているんだこの本は、と思いました(笑)。
――ところで、さきほど書店員の経験がおありのような発言がありましたが…。
米澤:大学を卒業してから2年間、岐阜の書店で働いていました。働きながら投稿していこうと思っていたら、大学時代に書いたもので受賞してしまったんですが。ただ、生計の問題などがありますから、しばらくは兼業していました。深夜勤務でお客さんがいないのに、手元には文庫本リストと注文票があって…。
――自分の注文票を書いていた(笑)。
米澤:顧客注文票に自分の名前が並んでいました(笑)。3日に1日くらい、「今日も君の本が届いているよー」と言われていました。書店で稼いで書店で使うという、いい店員でした。それまで自分で発掘するしかなかったのに、書店員になると古今東西の本をまとめた目録を好きなだけ見ることができるので、それはもう宝の山に見えました。
――2年間働いていたということは、デビュー作が店頭に並んだ時も、まだ働いていたんですか。周囲は気づかなかったのでしょうか。
米澤:働いていました。店長にバレたんです。普段『少年ジャンプ』を並べている平台に『氷菓』が200冊並べてあって「なんだこれは」と驚きました(笑)。普段は宮部みゆきですら20冊なのに。で、自分もレジで『氷菓』を手に「文庫にカバーをおつけいたしますか?」って聞いていました(笑)。
――現在は東京に住まわれて。今の読書生活はいかがですか。
米澤:書き始めて専心している間はなかなか読めませんが、1作長編を終わると“誰々フェア”を一人で開催しています。米村圭伍フェアとか、吉村昭フェアとか。去年は、帚木蓬生フェアをやろうと決めたけれど、予定がつまりすぎてフェアが失敗に終わりました。今はプチ多島斗志之フェアをやっています。泡坂妻夫や連城三紀彦あたりの絶版ものや、山田風太郎の明治ものなど、品切れのものを探して読みたいですね。ネットで探すよりも、実際に古本屋に足を運ぶのが楽しい。
――気になる若手の作家はいますか。
米澤:ごく最近では森見登見彦。『小説NON』に載っていた「走れメロス」を読んで、この人おかしい、と思ってファンになりました(笑)。それと、道尾秀介。やっぱり『向日葵の咲かない夏』はいいですね。ミステリープロパーの作品だと、どうしてもミステリーへのてらいみたいなのが出てくるものなんですが、道尾さんは悪びれずにすごく誠実にフィクションを作られている。そこがすごく面白い。
――普段、本を読む時のスタイルは…。
米澤:夜になると原付で近くの喫茶店に行き、11時半に店が閉まるまで文庫本を読んで、帰ってくるという日が多い。仕事がせっぱ詰まっていると、クリアファイルにいろいろ入れて持っていき、仕事をするんですが。
――『氷菓』などの古典部シリーズや『春期限定いちごタルト事件』などの小市民シリーズといった「日常の謎」のイメージが強い読者たちは、米澤さんの『ボトルネック』があまりにダークな青春小説でびっくりしたと思います。そうしたら新刊『インシテミル』も、クローズド・サークル内の殺人ゲームではないですか。これも、ものすごく怖かった!
米澤:その2冊は、自分の中では過去からの要請で書いているイメージなんです。『ボトルネック』の原型は、さきほどちらりと言いましたが、大学の頃に書いた短い青春小説を、今の自分の感覚で小説にしたもの。『インシテミル』は、もともとミステリーそのもので遊ぶのが好きだったので、そういう虚構性の強いものを一度書いておきたかったんです。ミステリーのためのミステリーは、どんどん居場所がなくなってきている。それ自体は悪いことばかりではない気もしているんですが、『インシテミル』みたいなのは、今出さなければ当分出せない気がして。
――面白くて一気読みでした。本当に最後の時期だとしたら、すごく寂しいですよね。もちろん、「日常の謎」シリーズも続けていかれますよね。
米澤:はい。9月には古典部シリーズの新刊が出る予定です。こちらは安心して読んでいただけるかと思います(笑)。
(2007年8月31日更新)
取材・文:瀧井朝世
WEB本の雑誌>【本のはなし】作家の読書道>第70回:米澤穂信さん