WEB本の雑誌>【本のはなし】作家の読書道>第72回:宮本 昌孝さん
痛快な時代小説で人気を博している宮本昌孝さん。小さな頃から周囲を楽しませるエンタテイナーだった宮本さん。漫画家や映画監督を志し、作家になることをまったく考えていなかった少年が、小説へと辿り着いた経緯は? そして、作家デビューのきっかけは、作品に劣らずとってもユニークなものでした!
(プロフィール)
1955年、静岡県浜松市生まれ。日本大学芸術学部卒業後、手塚プロを経て執筆活動に入る。'95年、『剣豪将軍義輝』で一躍脚光を浴び、時代・歴史小説の旗手となる。主な著作に『夕立太平記』『尼首二十万石』『夏雲あがれ』『影十手活殺帖』『ふたり道三』『風魔』など。
――宮本さんは、浜松のご出身ですよね。
宮本 : 厳密にいうと、生まれたのは祖母の家なので、少し離れたところなんですけれど。子供の頃の記憶というと、本よりも映画や漫画ですね。父が映画が大好きだったのものですから、小さい頃から連れていかれていました。映画が全盛期で、年間の入場者数11億人なんてあった年もあった時代です。国民一人一人がほぼ毎月1本観ていたんですよね。
――どんな映画を観ていたのですか。
宮本 : 父が観るものに連れていかれるんです。ハリウッド映画がいちばん多かったかな。日本のものは東映映画が多かった。というのも、父が鶴田浩二と幼馴染みだったんです。年齢は違うけれど。彼は最初新東宝にいて、僕が観ていた頃は東映に移っていたんですよね。それと、東宝のクレイジー・キャッツの映画は大好きでした。
――内容を覚えていますか。
宮本 : 大人になってから深夜の映画番組を観ていると、あれ、これ観たことがある、と思うことがあります。でも覚えているのはアクションシーンばかり。静かなシーンは子供だから飽きてしまって、劇場の外に出て遊んで、もぎりのおばちゃんに怒られていましたね(笑)。隣に座ったおネエさんがお菓子をくれたり、立ち見の時は父親に肩車してもらったり。今の映画館だったら怒られそう。映画が娯楽の王様だった時代です。
――漫画は何を読んでいたのですか。
宮本 : ちばてつやや川崎のぼるですね。『荒野の少年イサム』なんかを覚えています。ただ、なんでも読んでいて、少女漫画も読みました。というのも、お隣のお菓子屋さんが、雑誌も売っていて、タダで読ませてくれたから(笑)。
――小説には興味がなかったんですか。
宮本 : 僕は話を作るほうが好きだったんです。小学生の頃は漫画家になりたくて、ストーリー漫画を描くのが好きでした。5、6年の時の先生が面白い人で、参観日に授業でなく、子供たちに演し物をやらせてたりしたんです。グループに分かれてコントをやったり、僕のグループはお芝居をやったり。僕が作、演出、出演をやっていたら先生が気に入ってくれて、トリに指名されて。お前は間をもたせることを考えろ、と幕間に短いコントもやりました。
――エンタテイナーの才能を認められていたわけですね。コントとは、クレイジー・キャッツのような?
宮本 : 植木等のあの格好をしましたよ。カンカン帽を被って、丸メガネをかけて、チョビひげをつけて、ステテコに腹巻で、段ボールのギターを持って(笑)。
――読書の記憶となると。
宮本 : たぶん、中学生の時に読書感想文を書かなくてはいけなくて、芥川龍之介を読んだのが最初くらい。芥川を選んだのは短編だからすぐ読めるということと、あと、漢字が多かったことが理由ですね。
――漢字?
宮本 : 小学生の頃から、漢字が好きだったんです。小さな男の子って、そういうところがあるでしょう。「鬣」という漢字なんて、最初見た時は、本当に馬のたてがみが風になびいているみたいだなと感心しましたね。それに、漢字の形だけでなく、成り立ちを知るのも楽しかった。自分でストーリー漫画も描いていたんですが、そこで面白がっていろんな字を書いていたし。とにかく、芥川の小説には知らない漢字がいっぱい見られるから、と選んだんです。読んでみたら、どの短編も面白くて、漢字もたくさん出てくる(笑)。ただ、そんな不純な動機だったので、そこで一気に小説が好きになるわけではなかった。
――小説よりも漫画、ですか。
宮本 : 相変わらず漫画家になりたいと思っていたんですが、中学の時に嫌なことがあったんです。当時の教師って、漫画は罪悪で、隠れて読むものだという考え方だったんですよね。漫画なんか読むな、と。ある時、僕の絵を気に入ってくれている友達に、何か描いてくれと頼まれて、彼がプロレスが好きだったからその絵を描いてあげたんです。それを渡すところを担任に見つかって、「なんだこれは」「こんなことするんじゃない」って、目の前で、ものすごくゆっくりビリビリビリ…っと破かれ、うんと細かくして捨てられたんです。
――!!! ひどいではないですかー! なんですかその教師の行為は!
宮本 : 似たようなことが他にもあって、中学生なんて素直ですから、漫画を描くのはいけないことなんだと思って。その経験がトラウマとなって、それからは絵を描かなくなっちゃって。
――悲しいことですよね……。
宮本 : ただ、相変わらずお話を作るのは好きだったんです。たまたま友達が他県に引っ越してしまって、近況を知らせるのに普通の手紙は嫌だったので、彼の知っている友人たちを登場させて、映画のパロディでドラマ仕立の文章を書いて出していました。それぞれの性格を表したり、昔言ったことを取り入れたりして、時折はちゃんと近況もいれて。後から聞いたのですが、手紙が分厚すぎて、切手代が足りなかったことがあったらしい(笑)。その頃から、文章で人を楽しませたい気持ちはあったんですね。高校でも、同じパターンでクラスの仲間を登場人物にして話を作り、授業中にまわしていました。みんなクスクス笑いながらどんどんまわして、「はやく次!」と催促される人気作家でした(笑)。ただそれでも、小説家になりたい気持ちはなかったですね。
――その頃は、何になりたかったんですか。
宮本 : 映画監督です。監督になるには脚本が書けないといけないと思っていたので、書くことは続けていました。
――自分も映画を撮りたい、と思わせた作品はあったのですか。
宮本 : 特にこれ、というよりは、映画はうんと好きだったから、自分でもやってみたいなと思ったんです。子供の頃に観た『大脱走』は好きでしたね。台詞を覚えるくらい。音楽もいいし、スティーヴ・マックィーンも格好いいし。
――第二次世界大戦のときに、ドイツ軍の捕虜収容所から大勢が一気に脱走する話。
宮本 : だけれども陰惨ではない、完全なエンタテインメント。それぞれの逃げ方も面白いし。今になって考えてみれば、戦争という歴史背景のもとにあのエンタテインメントをやっている、ということに惹かれたのかもしれません。今僕は時代小説を書いていますが、歴史という題材をちゃんと活かしながら、ドラマはフィクション、というのがこのジャンルの王道ですね。
――そんな高校生の頃、本は読みましたか?
宮本 : なぜか戯曲は読みました。テレビや映画の台本は読んでも面白くなかったんですが、戯曲はわりと小説として読める。テネシー・ウィリアムズやユージン・オニール、バーナード・ショー、もちろんシェイクスピアも読みました。初めから映像のために書かれるテレビや映画の台本と違って、アングルが動かない舞台というものの戯曲は、かえって自分で好きなように映像を浮かべながら読めるんですよね。その頭の中の作業が面白かった。
――小説を読むようになったのは…。
宮本 : 僕は予備校に1年行っているんですが、そこから大学4年間ぐらいで濫読しましたね。最初にドストエフスキーの『罪と罰』を読んだ時、これはすごい娯楽作品だと思って。文庫で上下巻あわせて数百円なのに、僕は読むのが遅いから、何日もワクワクさせてもらいました。
――最初に読んだのが『罪と罰』だったのは、どうしてでしょう。
宮本 : よく覚えていませんが、たぶん、僕はタイトルに惹かれたんだと思うんですよね。ほら、漢字が好きでしょう。似た作りの感じの並びが、いい具合だなと思ったんじゃないかな、名作とも知らずに(笑)。小説を読みなれていないせいか最初はつらかったけれど、ラスコーリニコフが老女を殺すあたりから夢中になって、最後には涙でした。
――そこから、読書生活がスタートしたわけですね。
宮本 : わけがわからないままに、いろいろ読みました。安いから、全部文庫で。フランス文学はけっこうを読んだかな。
――『赤と黒』とか?
宮本 : はい、『パルムの僧院』とか。スタンダールは大変なストーリーテラーだと思いましたね。フランス文学なんて愛だの恋だの言っているだけだろうと思っていたら、ものすごくドラマ性が高かった。古典って読みつがれるだけあるなとも思いましたね。ロマン・ロランも好きでした。あとは、なぜかボーヴァワールとか、デュマとか、ラファイエット夫人、サガン、カミュ…。最初は洋物ばかりですね。『罪と罰』が面白かったから。
――ロシア文学は読まなかったのですか。
宮本 : ああ、トルストイは読みました。あとはゴーゴリ。なんで読んだのかは今となっては分かりません(笑)。ドイツのヘッセも読みましたよ。それから、哲学も。ショーペンハウエルなんかは、名前が面白いなと思って。人に勧められることは一切なかったので、自分で本屋にいって、感覚で選んでいました。冒険小説も読みました。新潮社が海外の冒険小説を文庫で出し始めて、その第一弾が『シャドー81』だったんです。これがものすごく面白かった。ベトナム戦争中に消えたはずの戦闘機が旅客機をハイジャックするという話です。確か、ラストも粋で、読後感がよくて、僕好みだったんですね。それを始めに各社が海外冒険小説を出すようになって、何でも読んでいました。
――時代小説を読むようになったのは?
宮本 : 黒澤明などの時代劇がすごく好きで。ただ、ある時期から映画は斜陽になって、時代劇が作られなくなっていったんです。僕の中の時代劇は高倉健や鶴田浩二の任侠劇まで。寡黙な主人公が、我慢して我慢して最後に爆発して一人で敵をやっつけにいく、それも武器は日本刀かドスというところに時代劇の雰囲気が濃厚に残っていて。でも『仁義なき戦い』になると、暴力シーンも陰惨で見た後の気分がよくない。それで、時代劇映画が観られなくなったことから、じゃあ時代小説を読んでみよう、と思い立ったんです。柴田錬三郎、五味康祐、司馬遼太郎、池波正太郎、山田風太郎、隆慶一郎、山本周五郎、藤沢周平…。本当に面白かったですね。これならもっとはやくから読んでおけばよかったと思いました。
――好きな時代は?
宮本 : 戦国と江戸。どの作家も男の描き方がいい。司馬さんの初期の作品なんて、本当に男たちが格好いい。女はキリッと知的だけれど色っぽくもあり、そのうえ母性もあって。女性たちから言わせると、こんな女はいないよ、ということらしいですが、男の願望では、理想像だなあという(笑)。
――ところで大学は日大芸術学部ですよね。専攻されていたのは…。
宮本 : 日本映画は死ぬほど暗いものばかりで、いつかつぶれると思っていて。その頃テレビがぐんと伸びていたので、同じ映像だしやってみて、映画界が持ち直したら移ればいいと思って、放送学科に入ったんです。相変わらず書けなきゃいけないと思っていたので、脚本実習を取っていましたね。それまでは楽しみだけで書いていたので、授業となると面倒だなとは思いましたけれど。そこで取材の仕方を教わりました。街中でずっと座って、隣の人の会話を聞くとか、誰でもいいからこれはと思った人の後をつけていくとか(笑)。やっている間に、書くことって無限の広がりをもつんだなと思い始めたんです。
――映画監督になりたいという思いは…。
宮本 : 大人になるといろんなことが分かってくるでしょ。映画監督って、ものすごくたくさんの人をまとめる力が必要だと分かってきたんです。それはオレにはできないなあ、そんな度量はないなあ、と(笑)。天才なら別ですけれどね。それと、書くのが面白くなってきていたんですが、映像の台本というのはたたき台にすぎず、演出家がどんどん変更していくことも分かった。自分の書いたものがそのままの形で何かになってほしいなと思った時、それは小説だな、と思ったんです。そこで漠然と物書きになりたいと。少なくとも、何かを書くことを職業にしたいと思いました。
――卒業後は、手塚プロダクションに?
宮本 : ああ、それは『鉄腕アトム』の第二シリーズが始まる頃で、物書きの先輩から、修行してこいと放り込まれたんです。脚本家や絵コンテを書く人や演出の人と折衝する文芸担当がいて、僕はその助手でした。いろんな脚本家、演出家の作品を読んだり観たり、会議に加わったりしましたが、ただ下っ端なので、口出しはできません。それはつまんないなと思ってもひたすら黙っていました(笑)。
――その後は…。
宮本 : 手塚プロダクションに入る前から、書く仕事をやっていたんです。大学の先輩で物書きをやっている人がいて、仕事をやらせてもらって。プロダクションを辞めた後も、同じようなことをやっていました。それこそありとあらゆるものを書きました。ヨガの大先生がいて、取材するんですが、とにかく100個くらいポーズの紹介しなくちゃいけない。こんなことがあった時にこのポーズ、という具体的なエピソードを先輩と一緒に考えましたね。アイデアママの家事、みたいな本もやりました。いろんな本からネタを集めて、それをアレンジして200個とか。子供向けの雑誌でアイドルのゴーストライターもやったし、会社案内のパンフレットまで書きました。でも、短い中にあれもこれもいれて読者を納得させる文章を作る、ということは相当鍛えられました。
――本も読めないくらい忙しかったんでしょうか。
宮本 : そういう時ほど、ちゃんとした本が読みたくなるんですよね(笑)。自分の好きな本を読んでいました。
――ご自身では、書いていたのですか?
宮本 : 書いてはいましたが、本をだすきっかけは、まともなきっかけじゃなくて…。先輩がいろいろいて、毎年忘年会をやるんですが…。
――む? 忘年会がきっかけ?
宮本 : 僕が幹事も司会も雑用も全部やっていたんですよ。自由人が多くて、非協力的だから。そんな人たちを楽しませないといけない。もちろんアトラクションなんてみんな参加してくれないので、ちょっと指名してひと言ふた言、言わせる程度。僕だけでスタンダップコメディアンみたいなことをやっていたんです。それをたまたま豊田有恒さんが、見ていてくれていたんですよね。田中光二さんが、早川書房でヒロイックファンタジーのシリーズものを出すのだけれど忙しくて自分で書く時間がない、誰か書いてくれる人がいないか探している、と言っているのを聞いて「いい奴がいる!」と、忘年会に田中さんを連れてきてくれたんです。僕は何も知らずにいつもの調子でやっていて。そこでお前は面白い、1回オレのところに来い、と言われ、横浜のお宅へ伺い、書かないかと誘われたんです。
――面白い! でも宮本さん、SF小説読んでました…?
宮本 : 僕はSFなんて苦手で書けません、僕は時代劇が好きです、と言ったら、それでいいよと言われたんです。ヒロイックファンタジーは、架空の世界で剣と魔法が出てくる物語なんだから、時代劇の主人公をカタカナにすればいい、と。じゃあやります、ということで田中さんの原案でシリーズを書いたのが、きっかけなんです。田中さんに勧められたSF小説をいくつか読もうとしましたが、結局読みませんでしたね。
――宮本さん、SF作家というイメージもあるのに!
宮本 : 読者の中には僕がSF好きだと思っている人もいるんですけれど…。結局、時代劇をベースに書いたんです。そうしたら、当時の早川書房の編集長の今岡さんが、時代ものを書かせてくれて。といっても本格的なものではなくて、『もしかして時代劇』『旗本花咲男』といった、ひねったパロディものですが。それを見た徳間書店の方が、この作家は本格ものを書きたいんだなと分かったらしく、声をかけてくださって。そこで、なんとかなったんですね。
――いやあ、SFから時代小説へ転身できるとは。
宮本 : 何かを目指して、こうしてああいって…と、ヘンな方向ばかりいっていて。結局、小説よりも映像の影響を大きく受けていますし。でもそういうのはいいと思っています。僕は『ゲームセンターあらし』の漫画家、すがやみつるさんのスタジオで働いたこともあるんですが、すがやさんはものすごく小説をよく読む。子供の頃から漫画しか読まずに漫画家になった人もいるでしょうけれど、そういう人って絵はうまいけれど、まずお話を作ることができない。成功している漫画家さんが、お話をちゃんと作ることができるのは、小説やほかのものにいっぱい触れているからだと思うんです。小説に限らず、芸術というのは専門ジャンル以外のものから触発されることのほうが多いような気がします。
――プロになってから、読書傾向は変わりましたか?
宮本 : やっぱり本は仕事でなく娯楽にしていたいですね。こんなにいい娯楽はないのに、プロになると、小説が読めなくなってしまって…。特に同世代の人の作品は読まないですね。影響を受けるのが嫌なんです。同世代というのは、描き方は違っても、題材は似ていることがよくある。それを読んでしまうと、僕の場合は書く意欲が失せてしまう。知らないほうができることってあるんです。編集者というのはすごくたくさんの小説を読んでいますが、それでも彼らが小説を書かないのは、小説を知りすぎているからだと思います。何をやろうとしても、すでにこれもある、あれもある、と、二の足を踏むことになってしまう。
――ではまったく本は読まない?
宮本 : たまにちょっと休みがあると、海外のエンタテインメントを読みます。あとは資料ですね。読書になるか分かりませんが、よく見るのは江戸の古地図。幕末に近い頃の地図の下に、うすく現代の地図が印刷されているんです。これは重宝しますよ。江戸ってこんな風に分かれていたんだ、とか、この場所が昔はこうだったのか、と分かって面白い。見ながら、必ず距離はどれくらいか考えますね。この時代はまだこの橋ができていないから、この場所からここに行くのはこれくらいで…と。
――宮本さんの時代小説は、明るいしユーモアがあるのが魅力ですね。
宮本 : 暗い物語は好きじゃないんですよ。明るい決着がつくものが好き。だからフランス映画は苦手なんです。途中まではすごく面白いのに、そこからだらだらしたりするでしょう。『ニキータ』なんて、最後のほうは男同士の話し合いになってしまって、ニキータはどこへいったの? って思いましたから。でも、フランスの小説は面白い。
――『影十手活殺帖』とシリーズの『おねだり女房』は、駆け込み寺にやってくる女性たちが出てくるので、女性読者も楽しんで読めます。
宮本 : あれは女性の味方のつもりで書きました。でも、騙す女の人も出てきますけれど。
――それが“おねだり女房”。
宮本 : ああいう女性に、男はハマるんですけれどね(笑)。
――今後の刊行や連載のご予定は。
宮本 : 今、『問題小説』で『海王伝』という長いものを連載しているんですが、来年からは『小説すばる』でも連載を始めます。春ごろからは新聞連載も決まっていて…。
――激務ではないですか!
宮本 : しゃかりきになるのは嫌なんですけれど、そうやって自分を追い詰めないと、書けないんです。来年のことを考えると逃げ出したくなりますけどね(笑)。僕はもともとは、なまけ者なんですから。
――お体に気をつけて、頑張ってください。楽しみにしています。
(2007年10月26日更新)
取材・文:瀧井朝世
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