第79回:中島京子さん
田山花袋の『蒲団』を題材にした『FUTON』でデビュー、その確かな観察眼と描写力、そしてユーモアのエッセンスで、毎回読み手を虜にしてしまう中島京子さん。言葉遊びの楽しさに気づいた本、暗唱できるほどお気に入りのフレーズ、そして読みふけった海外文学の数々…。小説家デビューするまでの道のりも交えて、その渋くて奥深い読書遍歴を語ってくださいました。
(2008年5月30日更新)
【お姉さんと出版社ごっこ】
――中島さんの幼い頃の読書の思い出というと。
- 『あいうえお絵本』
- まどみちお(文)
- 鈴木寿雄(絵)
- 小学館
- ※絶版
中島 : すべて掘りおこすと、すごいことになってしまうんですが…。最初の本はすごく覚えていて、それは、まどみちお先生がお書きになった小学館の『あいうえおえほん』。これがすごく優秀な絵本だったんです。出だしが「ありありありがあるいていく いぬいぬいぬもあるいていく」で、「なすときゅうりがなかよくおふろ なすはあらわないからまっくろよ」といったような内容で…。
――覚えているんですか。
中島 : それほど強烈だったんです。小学校就学前の5歳か6歳くらいのときで、風邪をひいて寝込んでいたら、姉とその友達が変わりばんこに読んでくれたんです。その日のうちに詩を覚えました。その後、他の「あいうえお」の絵本も見ましたが、やっぱり、まどみちおさんの本が面白い。言葉遊びの面白さを、ものすごく早い段階で体験したというのは、自分にとって財産だな、と思っています。
――中島さんは生まれは東京ですか。
中島 : 生まれは杉並で、3歳か4歳のときに埼玉の和光に移って団地で育ち、高校のときに八王子に引越しして、その後中野で一人暮らしを始めて…。この絵本を読み聞かせてもらったのは、和光市ですね。
――ご両親ともに、フランス文学者で、大学教授なんですね。
中島 : そうなんです。小さい頃から「家ではフランス語をしゃべっているの?」なんてよく聞かれるんですが、ありえないですよね(笑)。父は大学には週に2、3回行くだけで、あとは書斎で翻訳の仕事をしていました。たまに出版社の方が原稿を取りに見えることもあったので、私は世の中には学校というものの他に会社というものがあって、それは出版社だと思っていたんです(笑)。姉とも出版社ごっこをして遊んでいましたね。
――出版社ごっこ?
中島 : 社長と部長がいるんですが、それがなぜか、キャベツ畑でキャベツを作っている詩人で。そこに、意味は不明ですが“しど社”というところに勤めている社員が原稿を取りに来るという。リアルなのかなんだか、分かりませんよね(笑)。最初は子供の本から童謡を書き写して絵をつけたものを“出版”していたんですが、そのうちに印刷技術を発明して。画用紙の裏をクレヨンで塗りつぶして、裏返して文字を書くと、下の紙に写る。その印刷技術を駆使して2部作っていました。
――カーボン紙みたいなものですね。面白い!! やはり言葉に関する遊びがお好きだったんですね。
- 『鏡の国のアリス』
- ルーイス・キャロル(著)
- 岡田忠軒(訳)
- 角川文庫
- 357円(税込)
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中島 : なんか好きでしたね。それと、小さい頃から好きで好きでたまらなくて今でも好きなのが『鏡の国のアリス』。角川文庫の岡田忠軒さんの訳で、最初のほうに出てくる「ジャバーウォックものがたり」の口調があまりにもよくて、全部覚えているんです。
「あぶりの時にトーヴしならか まはるかの中に環動穿孔 すべて哀弱ぼろ鳥のむれ やからのラースぞ咆囀したる。」…。
――すらすらと出てきますね!
中島 : 後半、アリスがハンプティ・ダンプティに意味が分からないというと解説してくれるんですが、全部造語なんです。意味もないのに楽しい言葉の面白さってあると思っていて、そういうのは今でも好きです。私の書いた『FUTON』も語呂遊び的なところがあるし。それは小さな頃から変わらないのかな、という気がします。
――インドア派の子供だったのですか。
- 『さいごの戦い』
- C.S. ルイス(著)
- 岩波書店
- 1,470円(税込)
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中島 : インドアです。机の下とか部屋の隅とか隙間が好きで、見つけるとそこに入っておとなしくしていて、みんなに忘れ去られていました。親戚の間では、3歳上の姉はものすごい読書家で、妹の私はどこにいるか分からない子供(笑)。ただ、私も本は好きでしたね。環境的にも本がいっぱいありましたから。児童館に通って借りることもありましたが、わりと本だと買ってもらえて、ずい分読みました。今、姪が9歳で甥が6歳で、読んでいる本を見ると懐かしい。ケストナーや『ナルニア国ものがたり』とか。
――『ナルニア国ものがたり』は、ラストについての感想がみなさん違うんです。
中島 : ああ、私は批判精神がないので、特に強く何かを思ったわけではないんですが…。ただ、「最後の戦い」は一番面白くなくて、他の巻は何度も繰り返し読んだのに、最後の巻は読んだ回数が少ないかも。ただ、「朝びらき丸 東の海へ」の時にいなくなってしまったねずみのリーピチープと再会できたので、よかったなあ、とは思った記憶が(笑)。
【海外文学の世界】
- 『オリバー・ツイスト(上)』
- チャールズ ディケンズ(著)
- 新潮文庫
- 580円(税込)
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- 『デイヴィッド・コパフィールド(1)』
- チャールズ ディケンズ(著)
- 岩波文庫
- 735円(税込)
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- 『秘密の花園』
- バーネット(著)
- 光文社古典新訳文庫
- 840円(税込)
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- 『段階』
- ミシェル・ビュトール (著)
- 中島 昭和 (訳)
- 竹内書店
- 1,260円(税込)
- ※絶版
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- 『トーマの心臓』
- 萩尾望都(著)
- 小学館文庫
- 710円(税込)
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- 『木のぼり男爵』
- イタロ・カルヴィーノ(著)
- 白水Uブックス
- 1,239円(税込)
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- 『ユビュ王』
- アルフレッド・ジャリ (著)
- 現代思潮社
- 945円(税込)
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- 『ジャリおじさん』
- おおたけしんろう(著)
- 福音館書店
- 1,239円(税込)
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- 『ライ麦畑でつかまえて』
- J.D.サリンジャー(著)
- 白水社<
- 861円(税込)
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- 『長距離走者の孤独』
- アラン・シリト(著)
- 集英社文庫
- 1,239円(税込)
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- 『ロング・グッドバイ(DVD)』
- ロバート・アルトマン(監督)
- 3,990円(税込)
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- 『ぼさつ日記』
- 倉多江美(著)
- 小学館
- ※絶版
- 『栗の木のある家』
- 倉多江美(著)
- 小学館
- ※絶版
- 『はみだしっ子 (1)』
- 三原順 (著)
- 白泉社文庫
- 670円(税込)
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- 『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』
- カート・ヴォネガット・ジュニア (著)
- ハヤカワ文庫 SF
- 714円(税込)
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- 『猫と悪魔』
- ジェイムズ・ジョイス(著)
- 小学館
- 893円(税込)
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――翻訳小説が多かったのでしょうか。
中島 : 日本の作品もあったと思うのですけれど、なんとなく外国のものが多くて。マーク・トウェインやディケンズとか。最初は子供向けのものから入って、大人向けのものも読むようになりました。ディケンズでは『オリバー・ツイスト』や『デイヴィッド・コパフィールド』が好きだったかな。あとは『秘密の花園』とか…。両親が翻訳をしていたので、家に本が送られてくることも多かったですね。新しい本がくると嬉しくて、それで当時のものを読んだりもしました。
――ご両親の翻訳されたものを。
中島 : 背伸びして。ミシェル・ビュトールとかね。もうどこの書店にも置いていないんですが、ビュトールの『段階』という本は、当時から「階段」とか「断崖」なんて間違われていたんですが(笑)、これが高校生の話なんです。リセに通っている男の子がいて、先生が叔父さんで、親族が多い学校の話で。これがすごく面白い。萩尾望都さんの『トーマの心臓』を読んでいる年頃にとって、リセの話は入りやすかったんですよね。ほかに、その頃って、集英社や白水社が積極的に現代文学を翻訳していたので、よく読みました。当時読んで好きになったのはイタロ・カルヴィーノの『木のぼり男爵』とか。ヘンなものを読みたい時期だったんです(笑)。アルフレッド・ジャリの『ユビュ王』という戯曲はシュールレアリスムの作品ですが、絵がついているから子供向きだと思って読んだら全然違っていました。大竹伸朗さんの『ジャリおじさん』という絵本は、ジャリおじさんがユビュ王の顔をしているんですよ。
――翻訳小説も、現代文学が多かったのですか。
中島 : 外国のもので新しいものを手にとるのが好きだったんです。読んでみてから合う合わないを判断していました。今でいうと新潮社のクレストブックスのような、その叢書から出ている本なら面白いかも、というシリーズが結構あったんです。それで『ライ麦畑でつかまえて』や『長距離ランナーの孤独』やアップダイクなどを読みました。サンリオ文庫も充実していましたね。フィリップ・K・ディックやトマス・ピンチョン、ウラジーミル・ナボコフまでありましたから。あと中学生の頃にハマっていたのが、レイモンド・チャンドラー。真面目な地味な女の子が…。
――「優しくなければ生きる資格がない」なんていうハードボイルドの世界に。
中島 : そうなんですよ、おかっぱ頭で(笑)。似合わないですよね。深夜にテレビでロバート・アルトマンの『ロング・グッドバイ』をやっているのを観たんですよね。エリオット・グールドが格好よかったんです。『オーシャンズ11』のシリーズに出演しているおじいさんですが、彼が若い頃にフィリップ・マーロウを演じていたんです。ロバート・ミッチャムやハンフリー・ボガードも演じていますが、最初に植えつけられたせいか私の頭のなかではフィリップ・マーロウはエリオット・グールドです。
――幼い頃から言葉に敏感だった中島さんからすると、翻訳文というのはどのように思えたのでしょうか。
中島 : ああ、翻訳小説を読んでいると、わけの分からない文章にも出くわしましたね。それで読み続けられなかったものもある。カタカナの登場人物がたくさん出てきて分からない、なんていうことは思いませんでしたが、確かに、日本の作品のほうがすーっと入ってくる部分はありました。ただ、自分のことを深く掘り下げる、私小説的なものには苦手感があって、それで日本文学はあまり読まなかったんです。
――さきほど萩尾望都さんのお名前があがりましたが、漫画はお好きでしたか。
中島 : すごく好きなのは倉多江美さん。『ぼさつ日記』というギャグ漫画があって、地獄寺ぼさつ、という子が主人公なんですが、ある日起きると1匹のおじゃま虫に変身している。カフカの『変身』の影響だろうけれど、私は『変身』より先に『ぼさつ日記』を読んだんですよね(笑)。『栗の木のある家』は、逸郎くんという男の子と二人のお姉さんの話。これは最近書いた『平成大家族』の家族構成や名前のつけ方に影響している気がします。あとは三原順の『はみだしっ子』。ここでも私、カート・ヴォネガットよりも『はみだしっ子』を先に読んだんだと思うんです。「ローズウォーターさんってなんだ?」なんて思っていましたから。
――ヴォネガットの『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』が漫画の中に出てくるんですね。
中島 : あの作品って、いろんな作家や作品が出てくるんですよね。ディック・フランシスとかジョイスの『猫と悪魔』とか。その後、ヴォネガットもよく読みました。他にはサリンジャーやサローヤン、フォークナーなんかも。ゴーゴリなどの古典も好きでした。
【小説を書き始める】
――大学に進学されてからは。
中島 : 大学生になる時に、本を読んだりすることは自分で勝手にやろう、と思って史学科に進んだんです。今思えば、なんで英米文学科にいかなかったんだろう(笑)。英語ができなかったからだと思うんですけれど。本はあまり読まなくなったんですが、漱石は好きでしたし、大学生として読んでおかなくちゃ、という気分で大江健三郎や三島由紀夫も読みました。谷崎潤一郎も好きでしたね。80年代だったので、中上建次も読みました。
――ご自身で小説を書き始めたのは。
中島 : 大学生の頃には書いていました。そういうものになりたい、とは思っていたんですよ。でも、大工さんを目指すのとは違って、どうやったらなれるのかは分からなくて。人は新人賞などを目指して書いたりするんだろうけれど、そういう才覚がなかったんですね。やったことないわけじゃないんだけど。小説を書きたい、ということと、新人賞を目指す、ということは、私の頭の中ではちょっと別のものだったんです。
――どういうものを書かれていたのですか。
- 『桐畑家の縁談』
- 中島京子 (著)
- マガジンハウス
- 1,575円(税込)
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中島 : 大学生のときは、高校生を主人公にしたダラダラした青春小説のようなもの。その後も同じ感じのものを書いていて、『桐畑家の縁談』の桐畑姉妹の話は、20代後半くらいか30歳くらいの時にぼんやり書いていたものが元になっています。
――ああ、大学を卒業されてすぐのお仕事は…。
中島 : 日本語学校の事務をしていました。
――まさに桐畑家の次女と同じ!
中島 : そうなんです。中国語を勉強していたので、中国語が話せる仕事がいいや、と思って。就職戦線には完全に乗り遅れていました。大学4年の頃からライターみたいな仕事をしていたんです。バブルの頃だったので、雑誌もデータマンみたいな人をいっぱい必要としていて、書くことが好きな子を探していて。インタビューはプロのライターがやって、私はその下の5、6冊の本の紹介記事を書くとか、店データをひろってくるとか、そういうようなことをしていました。で、そのままライターにならないか、という甘い囁きもあったんですが、それもだらしないわ、私はちゃんと就職しよう…と思ったら完全に乗り遅れていて、でも中国人と話ができればいい、と日本語学校に就職したんです。でも、その学校がつぶれてしまいまして。
――その後、出版社に転職されましたよね。
中島 : そのままライター生活になだれ込んだのですが、空きがあるからこないか、と言われて主婦の友社に入社しました。最初は『主婦の友』の編集部にいて、そこから『Ray』にいき、高校生向けの『Cawaii!』の創刊に立ち会って半年くらいで辞めました。
――編集者時代は、相当忙しかったとか。
- 『魔界転生(上)』
- 山田風太郎 (著)
- 講談社文庫
- 790円(税込)
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中島 : 本を読む環境ではなかったですね。わりとこの頃に読んでいたのは、山田風太郎とか池波正太郎…。あ、それより前に、金井美恵子さんが学生時代からすごく好きで、金井さんの読書案内に従って本を読むことも多かったので、それで、山田風太郎にたどり着いたんだと思います。池波正太郎は友人のおすすめでした。あー今日も高校生相手に疲れたわ、と思いながら『魔界転生』を開く…。もう、自分でもすさまじい精神状態だったんじゃないかと思います(笑)。カズオ・イシグロやミラン・クンデラもすごく好きでした。そのちょっと後に、マーガレット・アトウッドやイアン・マキューアンも読んでいましたね。カズオ・イシグロはどの作品も好き。どれも好きと思える作家はあまりいないので、本当に好きなんだと思う。『日の名残り』や『浮世の画家』とか…。『浮世の画家』は日本の話なんです。以前は中公文庫にありましたが、最近『わたしを離さないで』がすごく売れたので、そのためか早川のepi文庫から新たに出ていました。ミラン・クンデラは『存在の耐えられない軽さ』が最初だったのかな。『不滅』も好きでしたね。
- 『日の名残り』
- カズオ・イシグロ (著)
- ハヤカワepi文庫
- 756円(税込)
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- 『浮世の画家』
- カズオ・イシグロ (著)
- ハヤカワepi文庫
- 756円(税込)
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- 『存在の耐えられない軽さ』
- ミラン・クンデラ (著)
- 集英社文庫
- 860円(税込)
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- 『不滅』
- ミラン・クンデラ (著)
- 集英社文庫
- 1,200円(税込)
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【インターンシップでアメリカへ】
――出版社を辞めてから、アメリカ、ワシントン州に教育実習生として赴任されたそうですが、英語はどちらで勉強を?
中島 : 英語はまったくできなくて、コンプレックスだったんです。でも、会社を辞めて外国に行こうかな、行くとしたら中国語圏か英語圏だなと思った時、英語圏のほうがラクそうだと思い、半年間ほど英会話学校に通ったんです。それから、応募してインターンシップでアメリカにいきました。まあ、高度な語学力はなくて、旅行や友達を作ることはできる程度です。
――思い切った転身だったのでは。
中島 : その頃にはヘトヘトに疲れていたんです。物理的にも小説を書けない状態が何年か続いていて。会社員になったら30歳くらいで辞めてフリーになって、そうしたら自分で時間を作って書こうかな、とは思っていました。でも、そんなことを考えている間にも、仕事は日常的にまわっていく。女性誌の編集者で、小説を書いているなんて、なんだか使えない感じがしませんか(笑)。その人がよっぽど格好よくて異彩を放っていたら、やっぱり人とは違う何かがある、と思われるかもしれませんが、そうでない場合、現実逃避のように思われて「小説なんて考えていないで真面目に働いてくれる?そこのクレジットチェックしてくれる?」と言われそう(笑)。それで職場では小説のことは誰にも言わず、忙殺されていると、その現実のほうが自分の中で強くなってくるんですよね。20代前半でデビューする人もいるのに、私はこのまま書かないのかなと思いはじめていました。ただ、アメリカに行ったのは、そういうこととは別に、とにかく疲れていたので、1年間休みをもらってのんびりしたかった。だから日本語の本も持っていっていなくて、最初の半年間は日本語を見ない生活をしていました。
――英語で本は読まなかったのですか。
中島 : その頃は勢いで読める気になっていたのですが、難しいものは私の語学力では読めませんでしたね。でも、ほら、顔が丸くて髪がもじゃもじゃのコラムニストの人とか…。
――?
- 『The Wind-Up Bird Chronicle』
- Haruki Murakami (著)
- Vintage Books
- 1,789円(税込)
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中島 : あ、ボブ・グリーンだ(笑)。ボブ・グリーンなんかを読んでいました。シアトルに「エリオットベイ・ブックカンパニー」という有名な本屋があって、そこのカフェにレイモンド・カーヴァーと奥様が来て、書いたり朗読会をしたりしていたそうなんです。カーヴァーはもう亡くなっていましたが、そこにいって、ほおーと思って短編を買ったりしていました。そういえば、ちょうど私がいる頃、村上春樹さんが朗読会でいらしたんですよ。『ねじまき鳥クロニクル』が英訳された頃だったのかな。会場は日本人とアメリカ人が半々くらいで、日本人がためらわずに日本語で質問するので、村上さんは日本語で答えてから「今こういう質問をされて、こう答えました」と英訳していたんです。なんていい人なんだろうと思いました。
――その頃は、何も書いてはいなかったのですか。
中島 : その日にあったことをちょこちょこと、タイトルをつけてエピソード風に書きとめていました。それが後で書いた本の元になっています。
――アメリカ滞在のことを書いた『ココ・マッカリーナの机』ですね。小説を出す前に刊行された本。ほかにも、作家デビューされる前に本を数冊出されていますね。『ライターの仕事』とか。
中島 : アメリカに1年3か月くらいいて、帰ってきてからはライターの仕事をしていたんです。『ライターの仕事』は請負い仕事で書いたんです。もう、いやというほど同業者にお会いしました(笑)。それと、『自然と環境にかかわる仕事』という本も書きました。これは樹木医など環境にかかわる仕事の資格取得の、女性向けハウツー本です。もう絶版ですが、類似本がないらしく、環境関連のところから今でも時々、「あれはいい本だった」と褒められるので嬉しくなります。
- 『ココ・マッカリーナの机』
- 中島京子 (著)
- 集英社
- 1,575円(税込)
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- 『ライターの仕事』
- 中島京子 (著)
- 主婦の友社
- 1,260円(税込)
- ※品切・重版未定
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- 『自然と環境にかかわる仕事』
- 中島京子 (著)
- 主婦の友社
- 1,260円(税込)
- ※品切・重版未定
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【持ち込み原稿で作家デビュー】
- 『FUTON』
- 中島京子 (著)
- 講談社文庫
- 680円(税込)
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- 『蒲団・一兵卒』
- 田山花袋 (著)
- 岩波文庫
- 399円(税込)
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- 『イトウの恋』
- 中島京子 (著)
- 講談社文庫
- 680円(税込)
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――帰国後は、ライターの仕事をしながら、小説を書き始めたのですか。
中島 : アメリカでの1年間で、「もう自分は書けないんじゃないか」というマインドコントロールはとけて、やっぱり一番やりたかったことだから、と、小説を書き、ライターの仕事は生活のため、とわりきっていました。だからといって、片手間でライターができるわけなどない。もう大人だったのでそれも分かっていましたから、仕事が立て込んでいる時はそちらに集中し、2、3か月書かない時もあり、その後再開する、というペースでした。ですから『FUTON』は書き始めてから4、5年かかっているんです。
――デビュー作となった作品。田山花袋の『蒲団』が題材となっていますが、『蒲団』を読まれたきっかけは。
中島 : アメリカに行く直前くらいに読んだと思うんです。文学史上燦然と輝く、自然主義文学の原点とは思っていたのですが、読む気にさせるような解説を見たことがなくて、手にとらずにきたんです。きっかけは姉です。フランスに住んでいるので日本語の活字に飢えていて、帰国した時に『蒲団』を読んでいたんです。それを借りて読んだら、これが面白い。ただ、すぐに『FUTON』という小説を書こうと思ったわけではないんです。あの小説で最初に書いたのは、下町に住んでいるおじいさんが愛人の幻を見てよろよろ歩き始める部分。それとは別に、『蒲団』を奥さんの視点でだらだら書き直してはいました。おじいさんの話に「蒲団の打ち直し」を挿入していくことは、後から考えたこと。最終的に、現代の話と打ち直しの部分が、有機的につながるように意識して整理した、という作業でした。
――出来上がった作品を出版社に持ち込まれたんですよね。
中島 : そうです。これが550枚くらいの小説になったんですが、当時はそれほど分量のある作品を受け付けてくれる新人賞は時代小説とか推理小説の賞しかなかったんです。書き終わってじゃあ応募するか、と思ったら出せるところがない。それに、はやく出したくなっちゃったんですよね。ヘンな話ですけれど、小説が「もうお前のところにいたくない」って言っているような段階を迎える時って、ある。何度も書き直している状態を通り越して、もう手を入れてくれるな、となるんです。その段階にきたので、じゃあ持ち込むか、と思って。その時38歳だったんです。40歳手前ということで焦りもあったのかもしれない。今思うと、そこまで焦らなくても、と思うんですけれど。
――そして、作家デビューすることに。
中島 : 運もよかったんですね。機が熟していた感覚はありました。03年にデビューして、05年に2作目の『イトウの恋』が出るんですが、その間の2年間は辛かった。『イトウの恋』は『FUTON』が出る前からちょこちょこ書いていたんですが、『FUTON』がすぐ書店から消えると思ったら意外にも評判がよかったので、次の作品はヘンなものを出せない、とか、はやく出さなくちゃ、というプレッシャーを感じ、さらに、執筆の時間を作るためにライターの仕事をセーブしていたので、ものすごく貧乏な生活になってしまって。あれは本当に辛い2年間でした。
――のんびり読書、という心境ではなかったのでは。
中島 : でも女性誌をやっていた頃よりも時間ができましたし、読まないと書けない、という感覚もあるので、何かしらは読んでいました。ただ、だんだん勉強のようになってきちゃっていたかもしれません。その時に書いている小説と同じ時代のものや、関連したノンフィクションなど、調べものをするために読むことも多いです。
――今はお仕事も小説執筆に絞られているわけですが、日々のサイクルは。
- 『死刑執行人サンソン』
- 安達正勝 (著)
- 集英社新書
- 735円(税込)
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中島 : 書くのは午前2時間、午後は3時間でいっぱいいっぱい。本はあいた時間や、夜読んでいます。一気に読まないと前に読んだ部分を忘れてしまうので(笑)、読み続けて夜が明ける、ということも。本は本屋さんにいって自分で見つけるのが多いですね。出版社から送られてくる本もあるし、本をくださる方もいて、自分では見つけることのない本との出会いがあって楽しいですね。この間ハマったのは、編集者の方が面白かったからと言ってくださった、集英社新書の『死刑執行人サンソン』。フランス革命の時にルイ16世やマリー・アントワネットとか、ありとあらゆる人の首をギロチンではねた人の話です。
――新刊が出ると必ず読む作家さんなどは。
中島 : カズオ・イシグロは必ず読むかな。金井美恵子さんも。金井さんの作品は、『タマや』や『小春日和』などの目白ものが好き。これは何度も繰り返して読んでいます。
- 『文章教室』
- 金井美恵子 (著)
- 河出文庫
- 819円(税込)
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- 『タマや』
- 金井美恵子 (著)
- 河出文庫
- 672円(税込)
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- 『小春日和』
- 金井美恵子 (著)
- 河出文庫
- 672円(税込)
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- 『道化師の恋』
- 金井美恵子 (著)
- 河出文庫
- 819円(税込)
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【ジャンルに優劣なんてない】
- 『均ちゃんの失踪』
- 中島京子 (著)
- 講談社
- 1,575円(税込)
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- 『平成大家族』
- 中島京子 (著)
- 集英社
- 1,680円(税込)
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- 『冠・婚・葬・祭』
- 中島京子 (著)
- 筑摩書房
- 1,680円(税込)
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――『桐畑家の縁談』のように、以前からある構想というのはたくさんあるんですか。
中島 : ありますね。『均ちゃんの失踪』や、今『野性時代』で連載している『エ/ン/ジ/ン』も、昔に書いたものが元になっています。書きかけの原稿もあれば、プロットだけ書きだしたものなど、いろいろです。
――新刊の『平成大家族』は、夫婦と妻の母、ひきこもりの長男が暮らす家に、事業に失敗した長女の家族、離婚した妊婦の次女が戻ってくる。それぞれの視点から家族の人間関係が描かれているのが、すごく楽しいですね。
中島 : 人を観察して、この人だったらどういう行動を取るかな、と思って書くのが、私にとっては面白いんです。自分のことにはあまり興味がないんですね。自分を書くことはしたくない。面白くないだろう、と思ってしまうので。
――『冠・婚・葬・祭』など、最近は日本の家族や共同体を題材にした作品集が続いているように思いますが。
中島 : 短編が多い1番の理由は、要求される枚数の問題ですね。ただ、いつのまにか「日常の細々したものを書く女性作家」という紹介のされ方をするようになってしまっていて。自分はいろんなものを書きたいし、『FUTON』のように過去に書かれたものを題材にした書き方もすごく好きなんです。作品を読むものも書くものも、どれという傾向があるわけじゃない。例えば、時代小説でもSFでも、好きなものはすごく好きです。どちらのほうが上とか価値があるとか、そんなことは関心がない。でも、「あなたはもっと日本文学を題材にした知的なものを書くべきなのに、そんなものを書いているなんて」と怒られたことがあるんですよ。私は、そっちが知的だとかこっちは価値が低いとか、自分が読む時に思ったりしないんですけれど。
――思いませんよね。
中島 : 自分の中では、いろんなものを書いてみたい気持ちが強い。ただ、「おばあさんやおじいさんをよく書きますね」と言われたら「そうかも」と思うところはありますね。すごく好きなんです。一人の人間の中にすごく過去がつまっている。その奥行きや時間の流れの長さにすごく興味がある。小説はそういうものだという感覚があるし、これからもそういうものを書いていきたいと思います。
――最後に、近刊予定を教えてください。
中島 : 秋くらいにポプラ社から子供の話が出ます。小学校5年生のお話で、タイトルは変更がなければ『ハブテトル ハブテトラン』。広島県の福山市が舞台で、そこの方言です。「ハブテトル」が仏頂面、むくれる、といった意味らしくて、「ハブテトラン」はその否定形。カタカナで書くと魔法の呪文みたいだなと思って。『エ/ン/ジ/ン』ももうすぐ連載が終わるので、加筆修正して年内に単行本になるかどうか、という感じですね。
(了)