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勝手に目利き
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東京湾景
東京湾景
【新潮社】
吉田修一
定価 1,470円(税込)
2003/10
ISBN-4104628018
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  川合 泉
  評価:A
   この本を読んで初めて気づいた。私は今まで恋愛小説というものをほとんど読んだことがなかったのだということを。
 品川埠頭の倉庫で働く亮介は、出会い系サイトで知り合った涼子と会う。しかし、それ以後音信は途絶え、亮介はやがて別の女性と付き合い始める。だが、再び涼子と再会し…。
自分の恋愛を、連載小説がなぞっていく。しかもその題名は、この小説と同じ「東京湾景」。この設定自体よりも、この小説の醍醐味は、「男と女は心で繋がりあえるか」というテーマだろう。相手にどう思われるかということ以上に、自分が相手のことをどう思えるか。恋愛が続くかどうかには、後者の方がより重要なのだということをこの小説は示唆している。男女両方の視点で描かれていたのもよかった。これこそ本当の純愛小説かもしれない。

 
  桑島 まさき
  評価:B
   亮介と美緒(涼子)。二人は出会い系サイトで出会ったカップル。お互い「若さ」にもかかわらず恋や身体的に障害のある者同士のように引き気味で情熱とは縁遠い〈恋愛ごっこ〉をしている。過去に傷もつ亮介が「愛し過ぎる男」だとしたら、美緒は恋愛依存症を恐れるあまり恋に臆病な女。頭と心で依存症を拒絶しながらも身体は欲望のまま。亮介が直球型だけに美緒のフェイントをかますような態度にイライラしてしまう。その上、美緒のキャラが「仕事に生きがいを感じる」となっているが、説明だけで具体的な描写があまりないので実感がなく、恋も仕事も中途半端、ヒマつぶしに出会い系サイトで男と知り合いデートをする女としか想像できない。
 昔のメロドラマのカップルはケイタイがなかっただけにいつもすれ違いばかり。だからこそ命がけで恋してきた。本作ではメールやケイタイは、本心を探りあう二人にはあまり用を足さない道具でしかない。恋やセックスに対する価値観が多様化した現在、案外、意識と身体の狭間で悩み〈擬似恋愛〉をしているカップルは多いのではないか。そういう点で「現代的」な題材と思い1ランクアップした。

 
  藤井 貴志
  評価:A
   じくじくと心に染みた。携帯電話の出会い系サイトで知り合った男女。付き合いは次第に深くなっていくが、お互いに完全には心を開けないでいる。そんな今でこそどこにでもありそうな2人のラブストーリー。
きっかけが「出会い系」という設定だったのであまり期待をしていなかったが、いい意味で見事に裏切られた。互いを十分に観察して理解し合う時間をもたないまま付き合い始めた2人の、不安定に揺れ動く気持ちの様がもどかしくなるほどよくわかる。相手が本気ではないだろうと頭では理解しているが、心は次第に相手を求めるようになっていく。この展開では「やがてお互いのすべてをさらけ出して……」となっていくことが多いが、そうならないところもいい。主人公が小説のモデルになったいきさつにはやや唐突な印象もあったが、結果としてこの事も主人公のバックグラウンドを整理整頓するのに一役買っていた。どこか冷めたまま、気持ちのすれ違いを残したままで迎えるラストシーンはさりげないけど実に劇的である。

 
  古幡 瑞穂
  評価:B
   これは東京湾岸を舞台にした恋愛小説。この辺りの場所に私はあんまり詳しくないのだけれど、海を挟んで一方はこじゃれた街、片一方は倉庫などが続く地区、というその街の雰囲気のギャップと二人の微妙なすれ違いが上手くリンクしていたなぁと思います。
 特にモノレールから主人公の生活する社宅を眺める場面というのが印象的に使われていて、出会い系サイトという現実離れした世界が、現実的な毎日と交差し融合していくきっかけになっています。二人とも日々をそれなりに楽しく過ごしているはずなのに、このモノレールを背景にした風景が描かれるとどうしようもないような孤独感を感じてしまうのですよ。あぁこの孤独感が相手を求める理由なのね…と一人合点。
 書きようによってはいくらでもドラマチックにも甘ったるくもなるテーマですが、綺麗事に終わらせなかったところに好感を持ちました。

 
  松井 ゆかり
  評価:B
   目次を見た瞬間「こりゃだめかも…」と思った。私には全く縁のない「お台場」「りんかい」などのきらびやかな地名がちりばめられている。
 2か月続けての吉田修一体験。でも残念ながら、先月の課題図書「日曜日たち」の方が好みだった。ラブストーリーは決してきらいではないが、息も詰まりそうな恋愛濃度。うーん、眩し過ぎるっす。
  しかし、先月も思ったことだが、やっぱり吉田さんは心の動きを描写するのがうまい。いまだに恋愛に関して現役ということだろうか。私も吉田さんと同年代だが、たまに異性に関心が向くことがあったとしても、「職場にラインハルトさま(SF大河小説「銀河英雄伝説」の主人公。類いまれなる美貌・才能・実力の持ち主)に似た人いない?」と夫に問い質したり、「ハリー・ポッター役のダニエルくんにハートを射抜かれた!」と騒ぎ立てたり、といった現実離れぶり。この本は、もっとご自分の身に置き換えて感情移入できる方が読むのが正解かもしれません。

 
  松田 美樹
  評価:B
   出会い系サイトで知り合った亮介と美緒のラブストーリー。「出会い系サイト」というだけで、何だか純粋な恋じゃないような、肉体的な繋がりだけを求めているような印象を受けますが、純粋で自分の気持ちを素直に表現できない不器用な2人のラブストーリーです。
 吉田修一らしく、恋愛小説とはいえ、生々しいところはなく、どこか醒めた、自分のことなのに1歩下がったところから見つめているような感じは変わりません。だからこそ、すんなりとは上手くいかない恋にもどかしさがあり、せつなさが増しているような気がしました。出会いが出会いなだけに、信じたいのに信じられない、そんな気持ちがさらに恋しさを募らせ、せつない恋を演出する上手い設定になっています。ストーリーの中で時々描かれる東京湾(夕暮れ時だったり、夜だったり、明け方だったり)が美しい。

 
  三浦 英崇
  評価:B
   私の今の職場から外に顔を出すと、ゆりかもめとレインボーブリッジがよく見えます。この作品で言えば、主人公・亮介と同じ視点で、日々、お台場を見ていることになります。昼休みに、ぼーっと向こう岸の建物群を眺めていると、時折、現実味が全く感じられない蜃気楼を見ているような気になります。そこには人が、それこそ山のようにいるはずなのに。
 亮介が、出会い系サイトを介して知り合った「涼子」との付き合いの中で、自分自身や相手の中にふと感じる希薄さは、私が感じている、お台場の「人の手で作られた埋立地」特有の人工性に通ずるものがあるのではないか、と思います。
 しかし、これが現代の恋愛の姿だ、と断言してしまうほど、この作品は安易ではないです。スタート時点での、どうしようもない希薄さから脱却して、彼と彼女は、本当に「相手と出会う」ことができるのか? はらはらしながら読んで下さい。