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ほとんど記憶のない女
ほとんど記憶のない女
【白水社】
リディア・デイヴィス (著)
定価1995円(税込)
ISBN-4560027358
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  清水 裕美子
  評価:★★★

 若い頃、便秘に悩む女子学生が10人以上集まった時、悩みから開放される場所が2つ挙がった。本屋派とデパート派。
 下方に視線を固定することで副交感神経にスイッチが入るからだとか、本の印刷インクの匂いが効くからだとか、理由は諸説あるようだが、とにかくその場では「じゃあ、何の本が効くのか」と盛り上がった。大まかに雑貨カタログのような物欲刺激系本、想像力が飛翔するイラストの細かい本、ちょっと考えさせられる本の名が挙がった。
 で、何の話かというとこの「ほとんど記憶のない女」は、そういうアイテムに最適だということで。いえ、すっごい誉めているんです。
 つぶやきのような、命題のような、日記のような物語が51編。1編が5行くらいから数ページ。気がついた時に少しずつ読む進めるのに最適です。つまりは身体に影響を及ぼすほどの……知的刺激と想像力の飛翔と思考をもたらす本なのです。こんな紹介ですいません。
読後感:1日1エピソード、まだ途中です。

  島田 美里
  評価:★★★★★

 いくつか候補に挙げた言葉の中から厳選したかのように、著者の描写には狂いがない。訳者の言葉の選び方も的確なのだろう。
 51編の短編の中には、行間を空ければ詩に見えるものや、頭の体操になりそうな論理的なもの、そして日記のような記録風のものなど様々である。長さが1ページにも満たない作品であっても、まるで読者の心にくっきり足跡を残していくように、強い印象を置いていく。水浸しになった庭の手押し車の下から現れたウナギ(「天災」)も、瞬間的に猫の姿に見えた樹木の葉の影(「混乱の実例」)も、短編映画のワンシーンさながらである。語り手が一軒家の管理人として暮らす「サン・マルタン」では、散らかっている部屋の埃っぽさや、古い粉で作ったオニオンパイの風味まで、こっちの鼻をくすぐってきた。人里離れた土地のわびしい空気が、読者の体をも包み込んでくるようだ。著者は、頭の中にある映像を伝えるとき、ピントがぼやけないように細心の注意を払っているのだろう。
 これだけ優れた表現力を披露されたら、長さが短くても、起伏のあるストーリーじゃなくても、一向にかまわないのである。

  松本 かおり
  評価:★★★

 入れも入れたり、51編入りの短編集だ。最短作品は、なんと2行。絶句。しかも、51編に統一感はまるでない。哲学問答モドキあり、ただの日常描写のようなものあり、独り言風つぶやきあり、よくわからんものあり、悩む悩む悩む。あとがきによれば、これが「彼女という作家の本質に深く根ざした特徴」だそうな。素材だけドサッと差し出して、アンタ、好きに料理してネ、といわんばかり。はっきり言って奇妙な本である。
 ただ、全部で51編もあれば、いくら奇妙でも好きな話は見つかる。「二度目のチャンス」「ある友人」「自分の気分」「失われたものたち」、そして「オートバイ忍耐レース」。特に、「オートバイ〜」の、「オートバイを誰よりも遅く走らせるのは、一見簡単なように見えて簡単ではない。ゆっくり≠ニか忍耐≠ニいったことは、オートバイ乗りの気質には含まれていないからだ」とは鋭い。その気質がいいか悪いかはともかく、耳が痛いよ……。

  佐久間 素子
  評価:★★★

 いわくいいがたい奇妙な味の短編がなんと51編。その中には数行という超短編も含まれているので、これが小説?!と疑問をおぼえたりもする。たしかに起承転結をもつ狭義の小説ではないけれど、意外にも物語を求める心が満たされてしまったりするのだ。例えば『この状態』。名詞の羅列にすぎないのに、頬が赤らむほどエロいうえ、存在しないはずの時間の経過と虚無感まで味わえる。例えば『恐怖』。たったの六行だけれど、このエッセンスだけで一冊本ができてしまうくらい密度が濃い。不可解な世界におびえる狂女も、それを抱きとめてやるのも、私でありあなたである切実さがここにある。
 正直、全く歯がたたないところもあるのだが、生真面目な哲学めいた語り口が、思いもよらない感情のひだに、じわじわ麻薬のように効いてくる。怒りに哀しみにあきらめに。量は少ないけれども、笑いに喜びにやさしさに。いつもは忘れてしまっている感情を慎ましやかに刺激されて、だから、この本、ちょっとクセになる感じ。

  新冨 麻衣子
  評価:★★★★★

 アメリカ小説界の静かな巨人、と呼ばれる著者の短編集。日本での翻訳は初めてらしい。もちろん私も読むのは初めてだ。
 既視感を伴う日常のひとコマがこの小説家の手にかかると、クールでひねくれた、そして静謐な物語になる。かといって乾いた印象はない。それどころかけっこう人間味あふれる小説なのだ。そして読み返せば読み返すほど、味が出てくる。個人的には男と女の諍いやすれ違いを描いたショート・ショートのアイロニックさがお気に入り。
 上手く説明できないが、気になった人は書店でちょっと立ち読みすることをオススメする。ほとんどがかなり短いショートショートなので2〜3編すぐに読めるから。
 それにしてもハンガーにかけられた服の上におっぱいが浮いてるこのカバーイラスト、いいですね。目を引くし、中身の小説の何ともいえない奇妙な雰囲気にぴったり。

  細野 淳
  評価:★★★★★

 読み始めたときは、彼女の描く不思議な作品に、正直どのように対処していけば分からなかった。多分、普通の小説を読むような感じで、この本も読んでいたからだろう。いわゆる起承転結のような構成をもつものはほとんど無いし、そもそも作品自体がとても短いものばかり。だが、その中からたった一つだけでいい、上手くハマれる作品に出会うと、他の作品も輝いて見えてくるから不思議だ。
 自分の場合は、「出て行け」という作品がそうだった。男が女性に言う、「出て行け、二度と戻ってくるな。」という言葉を、本心では男性はどう思って発しているのか、女性はどう思ってその言葉に傷ついているのかを、冷静に考察した作品だ。この作品に妙に納得してから、本全体が、断然面白く感じるようになってしまったのだ。
 ある意味、思っていることを、とても素直に書こうとしている作家だと感じる。だからこそ、文章が多少難解でも、その世界にふいに引き込まれてしまう魅力を持っているのだ。今までとは違った本の持つ味わいを、新たに見出すことができた気がする。何回も丁寧に読み直したい一冊。